(唯円)「・・このように私(唯円)は、お聖人の〔お言葉〕を、間近かで聞かせて頂ける幸せを味わい続けました。
・・が、しかし、この時、私は新たな〔悩み〕が生じていたのでございます。
そして悩んだ末、ある外出からの帰り道、私は心の内を〔お聖人〕に打ち明けたのでございます。」
(唯円)「・・お聖人様、私は〔お念仏〕を称えていても、一向に踊りたくなるような《喜び》の気持ちが湧かないのでございます。
このシャバ世界が、〔苦しみの(無明の)世界〕と知りながら、一刻も早く、素晴らしい〔極楽浄土〕の世界に往きたいと、思わないのでございます。
・・もはや、私には〔阿弥陀仏〕の《お心》が届いていないのでしょうか?」と、お尋ねしました。 すると・・、
(親鸞聖人)『おおっ、唯円、お前もワシと一緒であったか!』とお答えになりました。 そして・・、
(親鸞聖人)『・・しかしなぁ、よくよく考えてみれば、《お念仏》して〔大喜び〕できるはずの心が、抑えられて喜ぶ事ができないのは〔煩悩〕の仕業だと思わないか?
唯円よ、《阿弥陀仏》のお心は、そのような煩悩まみれの我々を救わんが為に、《願い》を起こされたのではなかったか?!
だから、「煩悩まみれの我々こそが、阿弥陀仏の救いの対象である!」と気づいた時、我々は益々、《阿弥陀仏》を頼もしく思わねばならんのじゃ。
(そう来たか!なんという発想の持ち主!・・以上、ブログ作者の余談)
又、「お念仏の教えを何度も聴きながら、急いで《極楽浄土》へ参りたいという気持ちにならない!」という問いは、一件、教えを頂いていないように思えるが、
・・お念仏の教えを頂いたからこそ、浅ましい(煩悩まみれの)本当の自分の姿が見えてきた!だからこそ急いで往きたくないのだ!・・と思わぬか?
ワシがもし、お念仏の教えを頂いて「すぐに浄土へ参りたい!」と思ったら、それはかえって、「自分には煩悩がないので、阿弥陀仏の救いの対象になっていないぞ!」と訝しく思わねばならないと思うのじゃが、どうじゃな・・。』と、お聖人は申されました。
つづく
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紙芝居:「唯円房の歎き~『歎異抄』かく語りき~」 その7
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カンネン亭 2010年02月17日(水)11時03分 編集・削除
たけちゃん様
コメントありがとうございます。
いよいよ、後二回でこの「紙芝居」は終ります。
・・実は、この「紙芝居」を紹介をする為、改めて何冊かの「歎異抄」を読み直しました。
実に内容が『深い!』
とても私のようなモノが、訳せるものではないと改めて気づきました。
又、紙芝居の内容自体も、毎回、新たに書き直し、又書き足し、又、カットしたところも多々あります。
それでも、内容が深いために、なんと書き足りないか!
しかし今、自分の力では『紙芝居化』はこれが限界です。
すみません・・です。はい。
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たけちゃん Eメール 2010年02月16日(火)19時57分 編集・削除
御院さん ありがとうございます。
毎日拝見させていただいております。
昨日は、他のお寺の、夜の集まり(ミニ法座)でした
お釈迦様の、涅槃の日なので 阿弥陀経を
お勤めしました!