
この騒動の結果、『米騒動武力鎮圧』や『新聞報道の規制、実施』の責任を取り、[寺内正毅総理内閣]は総辞職。(ビリケン似首相‥だったらしい)
そしてこの後、原敬(平民総理)が誕生という、歴史的な事態をうむ事になります。
‥そう、母親たちの「お米生活難」の苦しみから始まった『米騒動』は、結果的に日本の政治情勢も変える事になったのです。
これは余談になりますが、この新聞が書いた『越中女一揆騒動』は、やがて日本中の新たな[女性運動]に力(パワー)を与える事になります。
作家[平塚らいちょう]は、『元史、女性は太陽であった!』と宣言し、[新婦人協会]を設立して、女性政治活動や女性高等教育の拡充運動を広げてゆきます。正に女性パワーの文明開花のはじまりでした。
さて、昭和63年魚津市の市民グループ有志は、魚津にこの『米騒動』の歴史を後世に残そうと、『米騒動発祥の地』の標柱を立てます。
さらに平成10年、当時の騒動の生き証人ともいえるこのお話の舞台の[(お米)倉庫]は建て直され、『民主主義の市民社会の基礎を築いた場所』として、後世に残されています。
以上が‥、約100年前の『米騒動』のお話でした。
が、形は違えども、現代も「令和の米騒動」とやらが起こっています。(現在進行形ですね‥結末はどうなるのでしょうか?)
さて我々は今一度、この問題を通して、『米騒動』の背景に広がる社会の不平等や矛盾点を考えてみるべきではないでしょうか?
‥昔むかしの戦国時代、(百姓が武士を倒した)北陸地方は浄土真宗を基盤とする民衆(平等)の国『百姓が持ちたる国』と呼ばれた一時期がありました。
ひょっとすると、この『米騒動』は、北陸・魚津の母たちが知らず知らずのうちに、良き社会変革を求める我々の代表になってくれたのかも‥⁈ それも、知らんけど‥。おしまい
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紙芝居『富山・魚津の母たちと米騒動』(その3 最終回)
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