その薬と筆を動かすリハビリが、いつしか北斎を元に戻して行きました。
その後、メキメキと回復し、北斎は復活しました。
まぁ、甘いものも少し控えるようにもなりました‥。
そして、倒れた翌年には新しい作品を描き始め、出版もできるまでになりました。
その後、北斎は一人旅が出来るまで歩行能力も回復します。
日本のあちこちを歩いて、有名な『富嶽(ふがく)三十六景』などを描き、大傑作を残します。
又、新しい千円札のおさつで有名なった「神奈川沖浪裏」、いわゆるビッグウェーブの絵も北斎が脳卒中を起こした後の作品である事を、あまり現代人は知りません。恐るべし!北斎!努力人北斎!
北斎は当時として長生きでした。
彼の辞世の句とは別に、有名な最後の言葉が残っています。
『天が後、五年俺を生かせてくれれば、必ず誠の絵師になってみせたのになぁ。』であったそうです。
死に際まで、絵の上達を願った天才絵師のは生涯でした。
最後に、脳卒中に気づく現代のチェック方法を少し書きます。
FAST(ファスト)と言います。
Fは、顔の麻痺。
Aは、腕の麻痺。
Sは、スピーチ。言葉の障害。
Tは、タイム。発症時間です。
これらに気づいたら、すぐ救急車を呼びましょう。僕もこれに救われました。
(山梨県から見た富士山)
余談ですが、北斎ファンの僕は富嶽三十六景の富士山をどうしても見たくて、紙芝居完成直前に取材に行って来ました。やっぱり、富士山はどこから見ても良いですねぇ。
おしまい
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紙芝居『葛飾北斎と脳卒中の話』(その4 最終回)
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