『念仏ロス』になった大阪の町人たちは、集まってお寺を作ろう!と話し合い始めました。
「わしらの力で、お念仏の道場を作るんや!御堂さんを作るんや!」
「‥でも、ほんまに出来るやろか?お金も掛かるでー。」
「やれる!『やってみなはれ!!』の精神や!皆で頑張ろう!」と決まったのでした。
こうしてお寺は最初、[楼(ろう)の岸]という天満の近くの場所に建立しました。
さらにその後、[生玉の津村南町]という、現在ある場所に移転しました。
これが大阪商人の町人の力で作り上げた[北御堂・津村別院]のはじまりです。
「やっぱりわし等は、御堂さんの鐘が聞こえる所で商売せなあかん!‥もうかりまっか?ぼちぼちでんなぁ」と。
大阪商人はお寺を大事にしました。
そしてお寺の回りで、多くのお店を開いて行きました。
こうして、北御堂は江戸時代の経済、文化と共に繁栄していったのです。つづく
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紙芝居『大阪 北御堂ものがたり』(その2)
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