住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『華岡青洲物語』(その4 最終回)

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がしかし、やがてこの嫁と姑に不幸が襲いかかります。
度重なる劇薬の服用によって、体力を失った母は亡くなり、妻は視力を失ってしまうのです。
こうした犠牲に支えられ、人に効く麻酔薬『通仙散(つうせんさん)』と名付けられた全身麻酔薬は、ついに完成したのでした。
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それからしばらくすると、青洲の元に一人の老婆がやって来ました。彼女は重い乳がんでした。
老婆は「あなただけが頼りです。」と頼ってこられたのです。
青洲は「‥以前、妹を乳がんで亡くした。その時は手術が出来なかった。この機会、これは妹の弔い合戦かもしれん。」と思いました。
そして、青洲はここで麻酔薬を使っての乳がん手術を決意します。
かくして、1804年10月13日。ついに手術は始まりました。
この薬を飲んだ老婆は程なく眠りに落ち、青洲は彼女の患部にメスを入れ、一気に腫瘍を取り除きました。
こうして、世界で初めての全身麻酔手術は成功したのです。
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この手術成功の知らせは、たちまち世間に知れ渡りました。
こうして彼の元には、治療を求める多くの患者と教えを請う日本中の医者達が押し寄せました。
そしてその後、青洲は全身麻酔薬を使った手術を成功させました。
やがて彼の元には、全国から一千人以上の弟子達が集まり、青洲の医院は日本の最先端医療の中心地となっていきました。
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こうして青洲の功績は、和歌山のお殿様にも認められ、武士の資格と医者の最高位を頂くことにまでなります。
がしかし、彼は生涯、自分の住む紀の川の場所を離れませんでした。
そして診療の暇を見つけては、目の見えなくなった妻の側に行き、絵本などを読み聞かせたりして、夫婦で楽しむ時間を大切にしたそうです。
その後、青洲の妻は1832年、68才で亡くなり、青洲はそれから3年後、74才で亡くなりました。
現在、華岡青洲とその家族のお墓は彼が活躍した和歌山の紀の川市に建っています。
おしまい
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(道の駅 青洲の里「華岡青洲顕彰記念公園」内)

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