住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『金剛重光と宮大工「金剛組」』(その1)

(はじめに~)・・私が住んでいる『観念寺』という寺は、立て直す前は宮大工『金剛組(こんごうぐみ)』にお世話になって建ったらしい・・。
 これは、うちのお寺にたまに来られる金剛組の営業マンの御方から聞いた話である。(昔の資料がうちの寺には残っていないが、金剛組には残っているということだ。)
 まぁそれで、その営業の御方といろいろとお話をする中で、僕はその『金剛組』そのものに興味を持った。
‥それは[日本最古の会社]とか[聖徳太子のラブコールで、百済の国から建築士が招かれて、日本で初めて五重塔を作った]とか、いろいろ興味深いお話を一杯聞かせて頂いたのだ。
 それで、この『金剛組』という宮大工の歴史物語を作ることにした。
 ただし、現にこの会社は今も活躍されているので、プライバシーは考慮して(金剛組社員さんに一度見てもらい、フィクションを交え)作らせて頂いた。
 それでは、はじまります。みて下さい。
ファイル 2318-1.jpg
昔々の大昔、今から1400年も前に、世界で初めての会社がここ日本で生まれました。
 それは宮大工の組織『金剛組』という会社です。
 その世界最古の企業「金剛組」は、現在もお寺や神社の建築会社として活動されています。
 それでは『金剛重光(しげみつ)』という宮大工から始まり、現在も続く「金剛組」の歴史を紙芝居で見てみましょう。はじまり、はじまりー。
ファイル 2318-2.jpg
 若き日の聖徳太子は悩んでいました。
「ああ、わが国にお釈迦様のお骨を祀る高い塔を建てたい・・。
 その塔があれば、人びとはお釈迦様の偉大さを見て思い、争いを止め平和を願うだろう。
・・しかし、わが国にはそのような高い塔を建てられるような建築士がいない。‥そうだ!海の向こうの国からそのような建築士を招こう!」(笑っちゃうけど、歴史的にはこの時、聖徳太子はわずか4歳という事でした。・・ちなみにサザエさんの子・タラちゃんは3才だそうです。「ばぶー」とは言わんか。あれはいくらちゃんか(笑))
ファイル 2318-3.jpg
 こうして聖徳太子の命を受け、578年、海の彼方[百済(くだら)]の国(現に朝鮮半島)から、[金剛(こんごう]、[早水(はやみ)]、[永路(ながみち)]の三人の建築士が招かれました。
太子は言われました。(以後、タラちゃんの声で)
「そなたたち、遠路はるばるよう来てくれたですー。そなたたちには、わが国らしい美しいお釈迦さまのお骨を祀る[宝の塔]を作ってもらいたいんですー。頼みますですー。困ったことがあったら、かつお兄ちゃん?違う違う、我が叔父[蘇我馬子]兄ちゃんの智慧を借りて決めてくださいですー。」と。
「はいー、わかりました。ばぶー」といくらちゃんが乗り移り、3人の宮大工は答えました。(次回からまじめにいきます)
つづく

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