住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居『神武東征記(じんむとうせいき)』取材

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(東大阪市・日下直越道)
 今、神武天皇の[東征ものがたり]の紙芝居を作っている。
 神武天皇といえば、伝説の初代天皇である。
 この紙芝居、取材も終りほぼ完成した。(本当は和歌山にも行く予定であったが、コロナ禍で断念した)
 奈良の橿原神宮や畝傍山東北陵にもすでに行き、後は東大阪の日下直越道(神武天皇が一番苦戦されたであろう激戦の地。この紙芝居でも一番のメインになる場所)にどうしても取材に行きたくて、思い切って行って来た。
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(神武天皇聖蹟孔舎衙坂顕彰碑・大激戦の地)
 この物語は作っていて思ったのだが、これは冒険小説のようなお話である。
 40才を過ぎた、九州(宮崎県出身)の豪族の四男坊(のち神武天皇)が、兄さん達と共に船を作って、東に向かって旅に出る。
 そして、大阪まで船旅は順調であったが、東大阪の日下(くさか)の地で、生駒の山を越えて奈良県に入ろうとした時、初めて大きな地元の敵と出くわして、大激戦となる。
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(五瀬命碑文・厄山)
 ここで神武天皇は、敵の攻撃を受け兄が負傷。その結果、戦死される。そして味方は撤退。
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(日下公園)
 この頃、大阪は中心が大きな湖であり、東大阪は海辺であった。
 その証拠が、この写真の[日下公園]。くじらのモニュメントがある。(ここの貝塚からクジラの骨が出たらしい。)
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(神武天皇盾津顕彰碑・住宅地の中である)
 この海辺まで撤退した神武軍は、ここで初めて盾(たて)を並べて防戦したらしい。(この場所を[盾津]という)
 そして、神武天皇は雄たけびを挙げた!・・らしい。(さぞや悔しくて復讐戦を誓ったのか・・、それともものすごく悲しかったのか⁈)
 ここから、神武軍は大阪を船で離れ、和歌山を回り上陸し、困難な陸戦を経て(三本足のヤタガラスの助けも得て)大回りして、リベンジ戦を経て、奈良の橿原の地で初代天皇として即位をされる。
 この紙芝居はここまでを描く。もう完成します。乞うご期待!
 

コメント一覧

Q 2022年01月22日(土)00時11分 編集・削除

「くさか」、「うねび」 とか 難読地ばかりですね。
東大阪で遺跡調査してました。河内湖の関係で、少し掘ると室町時代の茶碗が出てきて 次は弥生時代の住居跡と貝塚ばかりでした。 八尾のあたりは大聖勝軍寺など 大和川の河原であった名残がよくわかります 正月のモックンの聖徳太子が良かったです 守屋の宝田明がツボでした

カンネン亭 2022年01月22日(土)16時14分 編集・削除

最近は、地元ネタの作品が多くなりました。
もう一本、東大阪が舞台の一つとなるヒーロー「楠木正行」、ダークなイメージの「楠木正儀」を今作っています。半分は完成しています。
 八尾では「道鏡」も気になっています。
 聖徳太子のドラマは、何年か前に見て涙しました。
 宝田明さん、緒形拳さんは最高でしたね。

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