「山伏さん、お前さんの言いたいことはわかってるで・・。
なぜ、加持祈祷は必要ないというのか⁈ってことやろ。
‥確かに、加持祈祷という方法もある。・・が、この親鸞においては必要なかったんや。
わしも若い頃、お前さんのように修行をした。・・それは命がけのもんやった。・・が、わしは自力の修行では自分の苦しみを解決できんかった。・・わしは絶望した。
そんな時、わしは[念仏]の教えに出会った。
仏様の方から、こんなわしを『見捨んと救うてくれてる』という教え、『南無阿弥陀仏』の念仏の教えに出会うたんや。
これでわしは救われたんや。・・わしに加持や祈祷はいらんかったんや。
こういう考え方をわしは縁のある人に話しているんや。・・こんなけのこっちゃ。」
「話はこれだけや・・。
さぁ、わしをいかさま師やと思うんやったら、斬ったらええ!」と親鸞は言った。
・・ワシは思った。
『この正直な男はただものや無い。『誠の宗教者や!』と直感で悟った。
そして、神や仏をワシの手下のように扱おうとしていた自分自身が恥ずかしくなった。
その瞬間、ワシの両目から涙が出てきた。』つづく
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紙芝居:『山伏・弁円(べんねん)と親鸞聖人』(その5)
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