そして晶子は、昭和17年、狭心症の為、63歳で亡くなります。
法名は『白桜院鳳飛晶耀大姉(はくおういん・ほうしょうしょうようだいし)』。
その波乱の生涯を振り返れば、夫、鉄幹あって有名人になれた晶子であり、天才、晶子あっての、名プロデューサー鉄幹であったと思われます。
本当の意味で、良い夫婦だったのでしょう。
現在、二人のお墓は、東京多摩霊園に仲良くならんで、建っています。
おしまい
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紙芝居:「与謝野晶子(よさの・あきこ)」(その9:最終回)
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