昔むかしの大昔、飛鳥の時代のお話です。
名前を高向玄理(たかむこのくろまろ)という、一人の秀才少年が居りました。
彼の故郷は、大阪は南河内の[高向(たこう)]という所でした。
ご先祖様は、古代中国からの渡来人で、皆頭が良かったのですが、中でも[くろまろ(玄理)]はピカイチ!
そんな噂を聞いて、時の大和(ヤマト)朝廷の代表である[聖徳太子]は、くろまろを呼び出しました。
聖徳太子は言いました。
「くろまろっ、そして他七名。
そなた達は、今から留学生として、[中国の]隋(ずい)という国へ行ってもらう。
・・知っての通り、隋国は、世界でも有数の先進国じゃ。
その国で、そなた達は、色んなことを勉強して来て欲しい。
このヤマトの国は、まだ[黎明(れいめい)]期じゃ。
黎明とは、新しい時代の前の時期のことじゃ。
つまり、夜明け前のことなのじゃ。
そなた達は、勉強して新しい文化をこの国に取り入れるのじゃ!
行けっ!遣隋使の留学生たちよ。」と。
「ラジャーッ!」と皆は興奮して答えました。
西暦608年。留学生と共に遣隋使一行は、日本を出航しました。
「よーし、僕たちはヤマトの国の為に、外国の法律や制度、そして仏教の教えをしっかり学ぶマロ!」と、くろまろ達は意気揚々と、船の上で叫びました。・・つづくマロ
(河内長野市高向(たこう):高向玄理顕彰碑)
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紙芝居:「黎明(れいめい)のくろまろ」(その1)
コメント一覧
カンネン亭 2017年03月08日(水)09時06分 編集・削除
・・そうですか。
聖徳太子が教科書から消えるのですか⁈・・
あの太子の垂れ下がりもみあげ毛が好きやったのに・・残念です。
その内、『そして、太古の偉人は誰も居なくなった』という本が出るかもしれませんね。(笑)
僕は『いるかを断った少年』という、若き日の中大兄皇子の紙芝居を描こうと思ってたのに、もう止めますわ。
マロンさん 2017年03月08日(水)09時40分 編集・削除
5日には初めて富田林のボーイスカウトの団体が、紙芝居付きでガイドをして欲しいと要求で、30名の参加者に紙芝居をしました。
くろまろ君の紙芝居が進行して居て、楽しみにして居ます。宜しくお願いします。
皆さん紙芝居を聞くと良く理解が出来たと好評です。有難うございます。
今河内長野市は「中世のサムライヒーロー楠公さん」で日本遺産の登録に向かって居ます。
カンネン亭 2017年03月08日(水)10時27分 編集・削除
すごいですねぇ。ビックリです!
くろまろも、いつか、あの立派な『くろまろの郷』と『くろまろ館』で、たくさんの方の前で演じられる日がくるのを楽しみにしております。
くろまろが、全国区になる日を夢見て応援します。いや、中国と日本の架け橋になる日がきたら、くろまろ公もきっと喜ばれますよね。
僕個人としても、いちくろまろのファンですので。
楠木公の日本遺産も応援しますね。
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Q 2017年03月08日(水)00時07分 編集・削除
「聖徳太子」が学校教科書から消える
らしいですけど 関する史跡の多い南河内の物証(お墓もあるし。。)とか親鸞聖人はお会いになったし。。。。どうよこれ?って....