しかし、やがて《民衆の超人気者、行基さま》の噂を聞いた時のミカド『聖武天皇』は、「一度、行基とやらに会ってみたい」と思われ、自ら、行基さまにお会いに行かれるのでした。
そして、行基さまのお話を聞き、行基ファンになられた天皇は、「行基菩薩よ、巨大なる盧舎那仏(大仏)を私と共に作ってはくれぬか?」とおっしゃられたのでした。
初めは大仏建立に、躊躇した行基さまでしたが、「大仏建立は、必ず民衆の心の大きな支えになるにちがいない!」と決心されたのでした。
そして朝廷でさえ、集める事の出来なかったお金や人手を、『行基さまの為なら喜んで!』と、民衆は大仏制作に、惜しむことなく力を貸したのでした。
この大仏建立開始時期は、行基さま76才でした。
が、行基さまは『大仏完成』を待たず、82歳でお亡くなりになります。
奈良の大仏さまが完成したのは、行基さまが亡くなって、わずか三年後でした。
仏の教えを伝え、苦しむ民衆を救うことに、生涯を掛けた男[行基菩薩]。
その功績跡は、今も日本各地に残されています。
(行基墓:生駒市[竹林寺])
(行基像)
おわり
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紙芝居:「ただ、ただ人の為に・・、行基さま」(その3:最終回
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