・・気になっている人がいる。
今の時代の人では無い。
平安時代末期の人だ。
名を『聖覚(せいかく)』法印(ほういん)という。
親鸞聖人の兄弟子にあたる御方だ。
この方が居なかったら、おそらく親鸞聖人は、法然上人にも出会っていない。・・ゆえに、今の浄土真宗はない。
もうちょっと詳しく述べると、親鸞聖人がまだ自分の心の悩みに苦しんでいた時、偶然、聖覚さまと京の町中で出会う。そして当時、(聖覚さまの)師でもあった法然上人を紹介してもらい、法然門下になり、心の悩みは消えるのだ。(これは伝説という説もあるが、僕はこの話が好きだ。)
又、聖覚さまは、親鸞聖人より先に、堂々と結婚されていて、子供もたくさん居られた。
親鸞聖人は、この比叡山時代からの兄弟子から、何らかの影響を多く受けているに違いないのだ。
又、この方は貴族の出ではあるが、文字の読み書きも出来なかった庶民の為、節談説法という、身振り手振りをつけた浪曲のような説法を編み出し(父の代からの手法を更に新たなものにし)、念仏を庶民のものにした。(安居院[あぐい]流)
ちょっと書いただけでも、凄い高僧だが、あまり知られていない。
この人を紙芝居にしようと思う。
先日、縁あって、聖覚法印をおまつりしている京都の西方寺さまにお参りさせて頂き、インターネットでは見る事のできなかった、その肖像画をご住職に見せて頂いた。
・・実に優しそうなお顔であった。
今、僕の頭の中は、この『聖覚』法印でいっぱいだ。
ストーリーの構想は沸いた。
聖覚さまのお話をもっと親しみやすく紙芝居にしたいと思う。
ぢぢー 2023年10月19日(木)21時21分 編集・削除
どうも、法然 聖覚 親鸞と書きました。十六門記、唯信抄、下山状、登山状、輿御書など
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