今年もお盆の季節がやってきた。(関西では〔月遅れ盆〕なので、《法要》や《檀家参り》は約一ヶ月、遅くなるが・・)
我々は、ごく自然に〔お盆〕と呼んでいるが、正式名称は〔盂蘭盆(ウラボン)〕という。
この〔盂蘭盆〕は、『ウランバナ』という昔のインドの古語を、そのまま漢字に当てはめたもので、その意味は『逆さ吊りの苦しみ』をいう。・・・戒めの意もあるのだろうが、けっこうエゲツナイ!
さぁ、それでは『お盆のはなし』の紙芝居のはじまり、はじまり~です。
(仏教もの1)
昔、おシャカ様のお弟子に、《神通力第一》の〔目連(モクレン)〕と呼ばれる偉いお方がいた。
ある日、〔目連〕さんは、森の中で仲良く暮らす鹿の親子と出会い、何年か前に亡くなった実母を思い出された・・。
そして〔目連〕さんは、自分の神通力を使い、あの世の母親に会いに行こうと決心され、魂は身体を離れ、『極楽』へと向かった。
・・が、母は『極楽』にはおらず、・・次に「まさか!」の思いで『地獄』に行ってみると、そこで『逆さ吊り(ウランバナ)』の刑に苦しむ母親を発見する。
驚き、急いで母を助ける〔目連〕さんであったが、もはや優しかった母の面影はなく、食べ物はすべて炎に変わり、空腹で苦しむ《餓鬼》の姿になっていた。
どうしても助けることのできない〔目連〕さんは、一度、地上に帰り、おシャカ様に教えを乞うた。
するとおシャカ様は、「汝一人の力では、母を救うことはできない。母を救いたければ、七月十五日の<自恣(じし)の日《坊さんたちの反省集会、最終日》>に、十方の僧を招いて、食べ物などを供養し『徳』を積みなさい」と言われた。
そして、おシャカ様の言われた通りにすると、やがて母は救われ、天女の姿に変わり、『地獄』から『極楽』へと昇って行くことができた。・・・というお話でした。めでたし、めでたし。
が、ちょっと気になる・・この話。
どうして、坊さんに《供養》したら、亡くなった人が助かるのだろうか?特別な修行してるからか? それでは、ホームレスの方への《供養》ではダメなのだろうか?それも大事な人助けだと思うのだが・・。
やはり、この話を作られた背景に、どうも『坊さんを大切にしなくちゃだめよ!運動』byお寺・・の匂いがする・・・なぁ。
まぁ、僕への《供養》は、大歓迎やけど・・〔笑〕。
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紙芝居:『お盆のはなし』~地獄に落ちたお母さん~
コメント一覧
カンネン亭 2011年08月03日(水)16時54分 編集・削除
「供養」って、日本人なら「死者に対するもの」と思いますよね。
でも、生きてるものへの「供養」って言葉が、本来のお釈迦さまが言いたかった言葉ではないかな?と思うのですよ。・・僕は。
愛子 URL 2011年08月03日(水)18時24分 編集・削除
色々簡単にお話が学べるのは
嬉しいです。
供養って考えてみたら本来そうかもしれませんね。
そもそも死者に対して何かをしなければならないとかって、
お釈迦様は仰ってるのですか?
仏様=死ぬ
というイメージが多くて、終末期ケア施設などに
はんこを持って遊びに行った時も
お迎えが来るから嫌だ!と拒否される人も居られました。
仏教について、少しずつ知りたいです。
みょ 2019年08月06日(火)22時35分 編集・削除
盂蘭盆経は偽経なので他の経典からするとおかしい所だらけなのはしょうがないですね
お経の理屈的には
直接食べ物を渡す事ができないので
僧に供養し その大きな功徳を餓鬼道に堕ちた母に回向することで天界に転生するという流れです
そんな教えは釈尊にはないですけどね
生きてるうちにお寺に寄付すれば天界以上、しなきゃ餓鬼って事になりますね
カンネン亭 2019年08月07日(水)23時07分 編集・削除
昔々、作った紙芝居なのですが、今でも、あちこちで演じている一本です。
今では、偽経も気にせず演じています。
それは、あまりにもこのお盆の意味を知る人が、少なくなったからで、宣伝も兼ねているのです。これが現状です。
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愛子 URL 2011年08月03日(水)16時35分 編集・削除
ふ~~ん。
ちょっと腑に落ちない話ではありますねぇ。
私が地獄に落ちたら長男は
「悪いことしたんやから、そこに居るのは仕方ないな」とか
言いそうな気もしますけど(笑)
でも、閻魔さまに二人して直談判に行ってくれそうな気もします。
で、裁判みたいに戦って、逆転勝訴とかww
そんなわけないかww
元々供養っていう意味を私はき違えてたので
このお話最初??ってハテナになりました。
供養の意味からお勉強ですねぇ。