・・神・仏に対して手を合わし拝(オガ)めても、生きてる人間に対して、それをするのは難しい事ではないだろうか・・?これは、それを実践して《生仏》となった男のおはなし・・。
〔仏教もの41〕『法華経〔常不軽菩薩品〕』
あらすじ
昔、インドに〔サダーパリブータ〕というひとりの修行僧がいた。
彼は〔お経〕も唱えず、人に〔説教〕もせず、ただ人を見ては「私はあなたを拝みます。それはあなたは拝まれるにふさわしい人だからです。決して軽んじません・・。いずれあなたは《仏》となるでしょう」と言い、手を合わせて拝み旅をしていた。
この僧侶は、誰を見ても〔この挨拶〕を実践していた為に、みんなは気味悪がり、中には〔石〕をぶつけたり、棒で叩いたりする者もいた。
ある日、この修行僧は〔渡し船〕に乗った。
船頭は僧侶を見て言った。「あなたはあの〔軽んじません〕と言って、誰にでも拝むお坊さんではありませんか?」
「はい、そうです。私はあなたも軽んじません。私はあなたを拝みます」と僧侶は答えた。
「ああ、それはどうも・・。ところで、あなたにそう言われる事で、腹を立てて暴力を振るう人もたくさんいるでしょう。・・そんな人をあなたは憎んでいるのでしょうね?」と船頭が尋ねると、「いいえ、私は憎んではいません」と僧侶は答えた。
船頭は言った。「あなたはどうかしてますよ!だいたい人は、無条件に拝まれると返って反発しますよ。・・だって誰だって、魂の深い処には〔傷〕や〔影〕がある事を、自分でもよーく知ってますからね。そこをついて相手を不愉快にするんですよ。・・ところで、なぜあなたは〔お説教〕をされないのですか?そうする方がよっぽどお坊さんらしいのではないですか?」と聞いた。
すると「はい、私は教えを説いたりするよりも、ずっと大切な事があると思っているのです。・・それは人を讃える事です」。
それを聞いて、「ではあなたは悪党でも讃えるのですか?」と船頭が言うと、僧侶は「はい、人は誰でも本来〔清浄な魂〕を内に秘めていると思うのです。だから、私は讃えずにはおられないのです」とそう答えた。
やがて船は岸に着き、僧侶は降りて去って行った。
船頭はつぶやいた。「・・うむむ、彼は本当のバカなのか?それとも、すさまじい男なのか?」と・・。
やがて、こののち、この僧侶は天からの《光の祝福》を受けて〔生き仏〕となったという。
そうこの男、〔拝むだけ〕でその言葉の通り、仏となったのであった。
これはおシャカ様の前世が〔軽んじない男〕と呼ばれた時のお話と伝わっている。 おしまい