白隠さまの言葉にカッとなった武士は、刀を抜くと斬りかかろうとしました。
すると白隠さまは、「おぉ、腰抜け武士のくせに、少しは度胸があると見える!? さぁ、わしを斬れるものなら斬ってみよ!腰抜けサムライ!!」と言って逃げ出しました。
怒りの頂点に達した武士は、刀を振り上げ、白隠さまを追い掛けました。
そして、追い詰め刀を振り下ろそうとした次の瞬間・・、
白隠さまはくるりと武士の方を向いて、武士を指差し大声で言いました。
「カッーツ!(喝)、それが[地獄]じゃ!お主は今、地獄の中におる!」
その言葉に、「はっ」と我に返った武士は、その場に座り込み両手をついて言いました。
「いかにも・・。あっありがとうございます。
・・私は今、地獄の中に居りました。
一瞬の怒りで身を滅ぼすところでした。
・・これが地獄のありかなのですね。」
と、ポロポロポロポロ涙を流しながら、謝りました。
「そうそう、それそれ、その涙を流して感謝し謝る姿が仏の姿じゃ。
即ち、極楽にありかじゃのう。はっはっはっ。」と白隠さまは笑いながら答えました。
これが、白隠さまが生涯テーマにした『脱地獄』の教えなのでありました。おしまい
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記事一覧
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紙芝居:『続・白隠さま』(その4 最終回)
紙芝居:『続・白隠さま』(その3)
[武士と白隠さま]
ある日の事です。
彦根藩の織田信茂という名の武士が、白隠さまを訪ねて来ました。
この武士、何か悩みがあるようでした。
「白隠和尚、仏教では[地獄]と[極楽]
があると教えます。
・・では、その地獄というのはどこにあるのでしょうか?
やはり地下にあるのでしょうか?
極楽は空の上ですか?
私はそれを考えると、最近眠れないのです。
どうかお願い致します。和尚、教えて下さい!」
すろと白隠さまは・・、
「さてさて、武士ともあろう者が・・、
地獄、極楽のありかを探しているなんぞ、おぬし、武士は武士でも腰抜け武士じゃろう!?」と白隠さまは言いました。
「何?!無礼な、侮辱したな!あやまれ。たとえ和尚たりとも、容赦はせぬぞ!」と武士は刀に手を掛けると、
「ほぉー、腰抜け武士でも怒るか!?」と、白隠さま。
「えーい!もう許さん!」
つづく
紙芝居:『続・白隠さま』(その2)
「おーよしよし、わしが育ててあげようのう。」と、白隠さまは赤ん坊を背負い托鉢に出て、お乳などを貰い歩きました。
この事件で、白隠さまはすっかり信用を無くしてしまいました。
しかし、白隠さまは何の弁明もせず、赤ん坊と暮らしたのです。
「お父様、ごめんなさい。どうかお許しください。私は嘘をついておりました。
あの赤ん坊は、白隠さまのお子では無いのです。
白隠さまのお子と言えば、許してもらえると思っていました。
・・なんと私は愚かであったでしょう。
どうか白隠さまにお詫びして、赤ん坊をお返し頂けるよう頼んではいただけませんでしょうか?!お願い致します。」
と、娘は良心の呵責に耐えきれず、ついに父親に本当のことを話しました。
びっくりしたのは父親です。
「なっなんだって!私はとんでもないことをしてしまった。」
「和尚さま、申し訳ございません。私の間違えでした。
失礼の数々、どうかどうか、お許しください!」と、父親は托鉢途中の白隠さまを見つけて、娘と共に深く謝りました。
そして赤ん坊を返して貰いました。
「ああ、そうですか。それは良かった良かった。ではその子を大事に育てて下さいよ。」と言って、白隠さまはそれ以上何も言わず、去って行きました。
その姿に父親と娘は、頭をいつまでも下げて見送ったと言うことです。
おしまい
次回は『武士と白隠さま』です。つづく
紙芝居:『続・白隠さま』(その1)
第一部の紙芝居では、一人の僧侶が偉大な宗教者『白隠さま』になってゆくまでを中心に、お話させて頂きました。
さて、この第二部の続編では、有名な白隠さまの二つのエピソードを紹介させて頂きたいと思います。
それでは「白隠さまの赤ん坊」というお話からスタートです。
はじまり、はじまりー
[白隠さまの赤ん坊]
このお話は、白隠さまが駿河の国(今の静岡県)の松蔭寺の住職をされていた頃のお話です。
お寺の近くに、一件のお金持ちの檀家の家がありました。
この家で、ある事件が起こりました。
家の年頃の娘に、父親知らずの赤ちゃんが出来てしまったのです。
「馬鹿者め!いったいその子の父親は誰なんだ!言え、言えんのかー!」と娘の父親はカンカンです。
娘は焦って、口を開きました。
「はい、白隠さまです。」
「何っ?!それは本当か?」
そしてその数ヶ月後・・、無事に赤ん坊は生まれました。
がしかし、我慢がならない娘の父親は、娘から力づくで赤ん坊を奪って、その足で白隠さまのお寺へと向かいました。
そして、「あんた、偉い坊さんだと思っていたが、とんでもない坊主だ!さあ、責任を取れ!この赤ん坊を引き取れ!」と言って、赤ん坊を白隠さまに手渡し、さっと帰ってゆきました。つづく
紙芝居:『白隠さま』(その4 最終回)
紙芝居:『白隠さま』(その3)
悟りを開いた白隠さま。
・・がしかし、悟り開けども病気はします。(そうなんやなぁ・・,)
長い間の厳しい修行が、白隠さまの身体を病いで冒しておりました。
それは有名な医師でも治す事が不可能でした。
そこで白隠さまは、今度は自分の病いを癒す事のできる医者探しの旅に出ます。
そしてある日、京都の山奥の洞窟に住むという、医学に詳しい仙人の噂を聞くのです。
白隠さまはそこに向かいました。
白隠さまは山中を彷徨いながら、ようやく仙人の洞窟に辿り着きました。
「お頼み申します!どうかお救い下さい。私の病いを癒して下さい。」
仙人の名前は[白幽(はくゆう)]と言いました。
白幽仙人は「お前さん、坐禅のやり過ぎからなる[禅病]じゃな・・」と言って、白隠さまに[軟酥(なんそ)の秘法]という治療法を授けて下さいました。
それは、頭の上にバターのような栄養に塊りを置くという一種の[イメージ治療法]でした。
大雑把に説明すると、頭の上にバターを置くとイメージして、それが少しずつ溶けてゆきながら、身体の中の悪いものが全て溶かして、大地へと流して消して行くと想像する瞑想法でした。(余談ながら、僕も以前、これを実践した事があります。時間は掛かりますが、結構スカッとします。)
このイメージ治療法は、白隠さまを徐々に元気にしていったのでした。つづく
紙芝居:『白隠さま』(その2)
そして、白隠さまは若くして修行先の越後(新潟県)のお寺で、悟りを開いたのでした。
「私は悟りを開いた!天下でこのような境地に達したのは、釈迦以来、私だけだ。
もう何も怖くない!ワッハッハッハッ!」と思いました。
が、しかし・・
師匠は白隠さまの悟りを認めません。
「あんな師匠はダメだ!」と白隠さまは別のお寺を探して、自分の境地を解ってくれる師匠を探しました。
そして、自分と同じような境地に達したと噂の師匠を探し出し、自分の悟りに境地を話しました。するとその師匠から、白隠さまは鼻をつままれ、こう言われました。
「このおごっている天狗の鼻はこれか!
一度や二度の不思議を体験をしたからと言って、良い気になるな!この慢心ものめ!」と。
そこで初めて、白隠さまは自分の奢りに気がついたのでした。
「あれは小さな悟りであった!もっと大きな悟りを目指さねばならない!」と。
そしてさらに修行を続けました。
そんなある日のこと。
托鉢を断られてたたずむ白隠さまに、そこの家のお婆さんが「さっさと帰れ!」と怒りのホウキが白隠さまの頭に直撃!
白隠さまは気を失ってしまいました。
が、その一撃が迷っていた白隠さまに、大きな悟りへのスパーク(導火線)となったのです。
このきっかけによって、白隠さまは本当に大きな悟りの境地に達したそうです。(悟った事の無い僕はようわからんねんけど・・)
この日、白隠さまは「悟りを開いた証明書」である印可(いんか)を、師匠から受けたのでした。つづく
紙芝居:『白隠(はくいん)さま』(その1)
昔、静岡県は[駿河(するが)の国]と呼ばれていました。
こんな歌があります。
「駿河には、過ぎたるものが二つある。富士のお山に、原の白隠(はくいん)」。
白隠さまは、臨済宗の『中興の祖』と呼ばれる立派なお坊さまです。
江戸時代の半ば、駿河の原(はら)宿(今の沼津市)に生まれました。
それでは、白隠さまのお話をさせて頂きましょう。
はじまり、はじまり〜。
白隠さまは、宿場町の大きな運送業の息子として生まれました。
幼き頃の名は[岩次郎]と言い、よく母親と共に近くのお寺にお説教を聴きに行っておりました。
そんなある日のお寺での事。
いつものように、住職がお説教を始めました。
「良いか、悪い事をすれば、あの世で閻魔大王に裁かれて地獄に落ちるんじゃぞ!・・たとえそれが子供であってもな・・、わかったかな。」と話されました。
それを聞いて、岩次郎は心の底から「地獄には行きたくない!」と思いました。
で、悩んだ末・・。
15歳で両親を説得して、出家することにしました。
「よし、私はお坊さんになって、これから一生懸命修行して、必ず極楽へ行かせてもらうぞ!」と誓うのでした。
お坊さんになった岩次郎は[慧鶴(えかく)]と名を改めました。
(が、この紙芝居では悟りを開いたのちの名である[白隠]で通します。)
それから白隠さまの修行の日々は続きます。
朝のお勤め、座禅、掃除、そして托鉢。
それは地獄に行かずに済む、悟りを求めた骨身を削るような修行でした。
そして、良い師匠を求め、全国各地の国を旅して巡り歩きました。
つづく
紙芝居:『鬼となった元三(がんざん)大師』(その3 最終回)
永観2年(984)、元三大師72才の時、疫病が大流行します。
そして、比叡山の元三大師の元にも、疫病の疫病神が現れます。
疫病神は元三大師の枕元に現れて、襲いかかろうとしました。
するとそれに気がついた大師は、「ここから身体の中に入れ!」と小指を差し出して、疫病神をご自分の体内に入れたのでした。
そして・・.
ご自分はデビルマン、いや鬼に変身して自分の体内で疫病神と戦いやっつけ、見事に追い出したのです。(元三ビームは熱光線!元三キックは悪くだく!仏のチカラ~、身に付けたー、比叡のヒーロー、元三マーン!)
そして目が覚めた元三大師は、弟子たちに大きな鏡を持って来させて、その前で座りました。
そして、こう言われます。
「良いか、今から鏡に写す姿は、わしが疫病神と戦い追い払った時の鬼の姿じゃ! お前たちはこの鬼の姿を、半紙に写してそれをたくさん印刷し、世間で、疫病を恐れる人の家の玄関に、貼るように命じなさい。きっと疫病の疫病神はそれを見て、わしじゃと思って退散するに違いないから!」と言われました。
そして、その一年後、正月(元旦)の三日に亡くなられました。
これが今も残る有名な[元三大師のお札]です。
今コロナ禍な中、様々な疫病退散のお札が注目されていますが、その中の一つ、この元三大師のお札は、庶民を疫病から守ろうとした一人のお坊さんの願いが込められた物なのです。
このお札、玄関に貼ってあるのを見られた方も多いはず。
このようなエピソードがある立派なお坊さんの一生のお話でした。おしまい
(四天王寺 元三大師堂)
紙芝居:『鬼となった元三(がんざん)大師』(その2)
康保三年(966)、元三大師は若くして(55才で)[第18代天台座主]に就任。お山のトップに立ちます。
そして荒廃したお寺を立て直し、改革してゆくのです。
がしかし、就任三か月後・・・、
比叡山から山火事が発生。
根本中堂・横川中堂など、主なお寺の大伽藍がすべて焼けてしまいます。
が、元三大師はたぐいまれな手腕を発揮して、お寺の造営・再興に成功させます。
これによって、元三大師は比叡山の[中興の祖(復興の偉大な統治者)]と呼ばれるようになります。
がその後、またまた問題発生!
お寺の中での風紀は乱れ始め、山法師たちは暴れ、僧侶たちの対立騒動が激しくなっていきます。
そこで悩んだ末、トップとして、すべてにおいて決断せねばならぬ元三大師は・・、
中国の古い学術書を研究して、そこから、仏様に祈り物事の良し悪しを占いで決める『おみくじ』法を編み出しました。
これは一番から百番まで、観音様のみ教えを、小さな紙に小分けして書きます。
そして仏さまにお祈りした後、くじを引き、出たくじの番号によって、そこに書かれてある仏さまの教えを吟味して、物事の良し悪しを占うというものでした。
これは今の『おみくじ』の元祖です。(※これは伝説であって、フィクションであるとも云われてもいます。・・が、今でも比叡山ではこのおみくじ占い法というものがあり、お坊さんが一般の方を占ってくださいます。(要予約)これは安易なものではなく、カウンセリングのようであり、真剣な心構えが必要でもあります。以上余談)
どうしても自分で決める事が難しい、と思われることをこれによって仏様のお告げと受け取り、決めたのですね。
つづく