住職のつぼやき[管理用]

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目に黒線・・まぁ、ええけどな。

 先日、K福祉施設職員から、一枚の「U施設発行新聞(ニューズペーパー)」が手渡され、「これって、宮本さんじゃないですか?」と言われ、指さされた。
 そこには、施設内で「紙芝居」をしている僧侶の姿が〔写真〕で掲載されていて、間違いなく僕だった。
 ・・が、目に黒線が引かれていた。(笑)って、ええんか?
 「そうや、これ僕やわ・・。」と言ったら、職員に「やっぱり、そうっすか。・・この新聞、ファックスとかで、あちこちの施設や病院に、『こんな行事をやってます』と送られてますよ」と言われた。
 僕は思った。
 『まぁ、ええけどな・・。目に〔黒線〕入れて載せるんやったら、一本電話かメールくれたらええのに。そんなんすぐにオッケーするのに。変に気を使われて、かえって僕、やばい人間みたいやんか。・・僧侶姿で「紙芝居」やってる人間なんか、黒線入れてもすぐ解ってしまうわいな』と思った。
 これから施設内発行のニューズペーパーで、僕の写真を使おうと思っておられる方がもし、このブログを読まれたなら、遠慮せずに〔そのまんま〕載せて下さい。頼みます。くれぐれも黒線はやめて頂戴。入れるんやったら、目だけ大きくなる写真(プリクラ)でたのんます。〔本当に(笑い)〕 

よくやる失敗・・(コーヒーと水入れ編)

 「紙芝居」の色(水彩画)を塗っていて、よくやる失敗がある。

 それは、コーヒーカップに絵の具の付いた筆を、無意識でつけてしまう事である。
 ちなみに僕はよくコーヒーを飲む。
 紙芝居を書いている時も、コーヒーを机の上に置いて、画用紙をおっ散らかして、絵を書く事が多い。
 そして、僕の絵の具の〔水入れ〕は、〔佃煮〕の空き瓶である。
 コーヒーカップと似ているのだ。
 〔水入れ〕と、〔コーヒーカップ〕を離して置いておいても、(色塗りに夢中になると)やってしまう・・。
 その度に「あ~~っ!」という声を上げてしまう。
 きっとお寺の外にまで、その声は響き、外を歩いている人を驚かせているに違いない・・。
 ちなみに、〔水入れ〕を〔コーヒー〕と間違えて飲んだことは、一度しか無い。
 「あっ~!」
 

司令塔は動かず!

 先日、或る老人ホームで、『秋の彼岸法要』の会が行われ、僕は『読経と法話』に行って来た。
 今日は、その時に感じた事を少し述べてみたい。
 施設内での『法要』=(イベント)は、突然何が起るかわからない。
 たとえば、喧嘩が起ったり、お焼香を食べようとして火傷しかけたり、車椅子から突然転げ落ちたりし、いろいろなハプニングが起る。
 だから、(僕も含めて)たえず、施設職員は〔会場〕内に目を配っておかねばならない。
 中でも、『会』の鍵を握るが、司会者である。
 司会者は、『会』の司令塔になる。
 法要の進行内容の変更や、会場での突然のハプニングにも、(笑顔で動ぜず、)職員たちに目配せをし、コミニュケーションを取り、進めてゆかればならない。(たいへんな役割だ!)
 だから司会者は、耐えず定位置に居て、動いてはいけない。
 たとえ、携帯電話が鳴っても、取ってはいけない。又、誰かが呼びに来ても動いてはいけない。
 大将のように、じっとして、周りの状況をよく見ておかなければならない。
 ・・・残念ながら、今回はそれができてなかった。
 大事な時に居ない事が多々あった。(何もトラブルが起らなかったのが、不幸中の幸いである・・)
 忙しいのは、仕方がない。・・が、やはりここは介護の現場。
 司令塔は、動かないで欲しいと思った。

「瓢箪から駒」、「紙芝居から寺」

 「瓢箪(ひょうたん)から、駒(こま)」
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 昔むかし、中国(唐の時代)に、〔張果(チョウカ)〕という一人の仙人が居た。
 〔張果〕は、白い〔ロバ〕に乗って、一日数千里を旅した。
 休む時は、仙術で〔ロバ〕を小さくして、《瓢箪》に入れた。
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 そして、又乗る時は、〔ロバ〕を《瓢箪》から出して大きくし、乗った。
 その伝説から、
『意外な所から、意外なモノが出る』、
 或いは『そんなのアリッエッティーじゃなくて、ありえっな~い』という、たとえとして、
 『瓢箪(ひょうたん)から、駒=(子馬・又はロバ)』という〔ことわざ〕が生れたという。
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 ちょっとだけ昔、大阪に『紙芝居』を作って、病院や施設で〔仏教法話〕をしている在家生まれの変な〔坊主〕が居た。
 この〔坊主〕を見て、その恩師が「ほほぉー、お前は変わっておる?・・というか感心な奴じゃ。・・お前にひとつ〔お寺〕を任せてみようかのぉ~! そこを拠点にして色々な所で、その『紙芝居法話』を広めてみよ!」と言った。
 そして、その変人〔坊主〕は、一ヶ寺の住職になったという。
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 そのたとえから、
『「紙芝居」から寺』という「ことわざ」は、・・残念ながら、まだ生れていない。
 
 ・・・自己紹介『ネタ』の一つでした。

『供養』、来い!

 先日、『出前』先のお寺から、(自家用車で)帰ろうとする時、そこの御住職から一言頂いた。

 「宮本さんの車の『ナンバープレート』は、特別に選んで貰いはったんですか?」と。
 「はぁっ?・・なんで?」と僕。

 「だって、番号が『94-51』でしょ。『クヨウーコイ』、『供養、来い!』でしょ。・・商売っ気、バリバリですやん。」とその訳を説明してくださった。
 
 ・・今まで、気がつかんかった。(こんな、重要でくだらん事!)
 僕は、そこの御住職の独自のユーモアのセンスに感服し、・・と、同時に、日頃から何考えて生きてるねん!という疑問まで起こった。
 又、「商売っ気、バリバリ」という宗教者としての《名言》も大変気に入った。(『葬式は要らない』がベストセラーになっている時代、このユーモアセンスが無い寺は、これから生き残れないかもしれないから・・。)

 これから僕の車を、『KUYO-恋 1号』と名づけて、あっちこっちの宣伝・営業活動に役立てたいと思う。(笑)
 

 

もう一度、『地獄・極楽』の紙芝居を!

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 お寺の庭の『ハス』の花が開いた!
 ・・本当に〔極楽浄土〕には、このような美しい花が咲いているのだろうか!
 そして、この花の上で、極楽の住人たちは、(何を思い・・)いつまでも立ち尽くすのか?
 花を見ながら、そんな事を考えていたら、もう一度、『極楽と地獄』のニューバージョンの紙芝居を作りたくなった。
 ・・以前は、『源信さまの「往生要集」』という〔極楽・地獄〕飛び出す絵巻という「紙芝居」を作ったのだが、今度は、もっと大きな正統派の「紙芝居」にして、(子供向きバージョンと大人向きバージョンを別々に)作ってみたいと思う。
 僕は、今まで「大人」向き(主にお年寄り向け)に「紙芝居」を作ってきたが、今度は、子供たちの『いじめ・自殺』抑止の為の地獄の「紙芝居」を作ってみたいと思う。
 ・・そして大人には、あの世の(スピリチャルな)『極楽』世界ばかりに逃避せず、今、「この世」の世界が、『極楽浄土』に続く世界であることが、再確認できるような、そんな「紙芝居」を作ってみたい!
 そうだ、テーマは『子供は地獄で、大人は極楽』。ちょっとブラックだが、これが良い。・・よし、これでいこう! こう、ご期待を! (つぶやき・・でした)

 
 
 

アゴがはずれた話

 皆さんは、〔アゴ〕が外れた事はあるだろうか・・?
 僕はある。
 それは〔マクドナルド〕の《ビックマック》バーガーを一口で食べようとした時だった。(CMを見てマネしたかったのだ)
 《ビックマック》を一口でかぶってやろうと思った瞬間、「カクックッ」と耳の中で弾けた音がしたかと思うと、強烈な痛みが走り、アゴがはずれたのだ。
 その瞬間、涙は出るし、何がおこったかわからんようになるし、もう元に戻らんようになるんと違うか?などと一瞬にして色々な事が頭の中を駆け巡った。・・そう、なんとも言えん恐怖心が僕自身を包んだのだ。
 ・・後は自分のした事を後悔しながらが、涙しながら両手でなんとか押し上げて、アゴをはめた。
 その時はうまく直ったのだが、それから、二度ほどなんかの拍子にはずれる事があった。
 欲はいかん!お釈迦さまもおっしゃっておられたではないか・・。なんでも一口で食べようなどと思わず、よく味わって食べること!・・それが大事!
 今ではその時の恐怖心から、何を食べる時も、大きな口を開けて食べないようにしている。
 皆さんも気をつけてください。・・つぶやきでした。

 ・・・それと、もうひとつ、ケンタッキーフライドチキンの骨は柔らかいから、食べれると思った事はないだろうか?あれは危険だ!のどに詰まる!・・・それは・・・、もうやめとこ。
 

乱読のススメ

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 僕は本が好きだ。
 乱読する。・・・一度に、何冊も読む。
 新聞の広告や本屋で見つけたり、面白そうだと思ったら、色んなジャンルの本を買って読む。
 じっくり読む方なので、読むスピードは遅い。
 今も、色んな本をあらゆる場所(トイレ・寝室・テーブル・机・車の中・鞄の中)に置いて、時間があれば読んでいる。(たいてい、寝る前に布団の中で読む事が多い。・・だから枕の横には、常に本が積まれていて、寝返りをすると本の角でオデコをぶつけたりして痛い。)
 学生の頃は、一冊ずつ読み終えるまで他の本は読まない、いや、読めない方だった。
 ・・が、今は年を取ったのか(厭きっぽくなって)、一度に何冊も読みかじり、最後まで読み終えてない本も多々ある、・・が気にしない。(小説などストーリーが混乱しても気にしなくなってしまった・・本来、エエ加減な人間なのです)
 さて、今(半分ほど)読んでいる本を少し紹介して終りたい。

(枕の横にある本)
『ほんまにオレはアホやろか』水木しげる著(新潮文庫)
〔寝る前には持ってこいの本。・・すぐ寝てしまう。「紙芝居作家」であった水木しげるの豪快な半生が書かれている〕
『新・井沢式 日本史集中講座(鎌倉仏教編)』井沢元彦著(徳間書店)
〔この本は、一押し。歴史好きにはもちろん、ややこしい日本の歴史の流れや宗教の話が満載の本・・、すぐに寝てしまうほど、軽くわかりやすい〕
『幸も不幸もないのですよ』小林正観著(マキノ出版)
〔この方の講演会には、一度行ったことがある。取り巻きの人々(ファン)からは、ちょっと引いた。・・が、内容は面白かった。元気が出た。・・気分転換に読む。よく寝れる〕

(机の上)
『親鸞』五木寛之著(講談社)
〔この本も(枕の横)に移動しても良いほど、読みやすい娯楽作品になっているのだが、分厚い本なので、オデコをよくぶつけるので、机の上に移動となった〕
『親鸞』倉田百三著(角川文庫)
〔同著者の『出家とその弟子』を紙芝居の原案にしたいと思って買ったが、セリフが難くて『出家とその弟子』ほど、面白くない。・・あっちこっち読みかじったが、おそらく最後まで読まないだろう〕

(テーブルの上・あるいは、車や鞄の中)
『葬式は、要らない』島田裕巳著(幻冬舎)
〔お寺の死活問題やんけ!と、このタイトルと見て買った本。現代の葬式事情などを、データを入れ詳しく解説してくれて読みやすいが、なぜか元気がなくなる本〕
『「枯れて死ぬ仕組み」を知れば心穏やかに生きられる』対本宗訓著(河出書房新書)
〔僧侶であり、医師でもある方の臨床現場から見た、生・老・病・死の姿・・説得力があります〕 ・・以上。
 乱読は面白いです。頭の引きだしが一杯できて楽しいですよ。
 やってみてはどうですか?(頭は混乱するかもしれませんが・・〔笑い〕)

あきらめないで、あなたのお肌・・・

 先日、『老人施設』に「出前法話」させて頂いた時、ちょうど別のフロアーで、『化粧療法』をされていた。
 『化粧療法』とは、別名「コスメティックセラピー」といい、〔美しく老いを生きる〕をコンセプトに、お化粧をする事によって、お年寄りの《自信の回復》、《対人関係の円滑》、《認知症の予防・回復》などに〔心理的効果〕があるらしい。
 確かに横で見ていて、お年寄りの女性が、鏡の前で若い美容師さんに、ヘアーセットやメイクをしてもらっている姿は、活き活きとされている・・ように見えた。(ちょっと派手目のメイクが、解りやすくて良いのやろなぁ・・)
 顔見知りの認知症の女性も、僕を見つけ、照れくさそうに微笑まれたので、僕は「あきらめないで、あなたのお肌!」とちょっと高めの声で言うと、何も言わずに笑っておられた。
 ・・・後ろの美容師さんには受けた。

わが町のイメージキャラクターは「西行くん」

ファイル 467-1.jpg(西行くん)
・・唐突ながら、わが町〔河南町(カナンチョウ)〕のイメージキャラクターは、「西行(サイギョウ)くん」という。
 そう、このキャラ、歴史の教科書に出て来たあの有名な歌詠みのお坊さん『西行法師』がモデルである。
 この人物が我が町で亡くなられ、お墓(弘川寺)がある。
 だから『キャラ』になったらしい。
 「他に、何かモデルは無かったのか?」と、言われたらそれまでだが、そう・・らしい。(・・が、お坊さんのキャラって、同業の僕にはちょっと嬉しい。)
 大阪府の南東に位置する、人口わずか17000人程の小さな町〔河南町〕は、関西人、いや大阪人に聞いても「その河南町って、いったいどこにあるの?知らんなぁ・・」と言われるぐらいマイナーな町である。(現に、10年前に大阪市内から引っ越して来た僕自身も知らんかった・・(今は、〔笑〕ってられん))
 うちの寺から、車でわずか10分程の場所にある『西行法師、終焉の寺〔弘川寺(ヒロカワデラ)〕』。ここは有名な桜の名所であり、春の桜のシーズンには(いやシーズンだけ)、人でごった返す。
 『願わくは 花の下にて春死なん そのきららぎの望月の頃』と詠み、その通り、桜のシーズンに亡くなった西行法師。
 僕は檀家さん宅のお参りの帰り、よくこのお寺に寄ってお参りをした。・・その内に〔西行法師〕について、色々と調べたくなり「これも何かの縁だ」と、一昨年、このお坊さんについての『紙芝居』を作った。 
 それでは次回から、この河南町キャラでもある『西行法師』の紙芝居を紹介したいと思います。
ファイル 467-2.jpg(弘川寺内、西行法師の墓)

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