住職のつぼやき[管理用]

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こんなに良いお天気の日でも、人って死ぬんやなぁ・・

 先日、久々に一日中お休みの日があって、しかも良いお天気で、ちょっとだけ暖かくて、朝「どっか行こかなぁ・・」と思ってたら檀家さんから電話があった。「今まだ病院に居るのですが、主人が亡くなりましたので、もうしばらくして、家につれて帰りましたら枕経(臨終勤行)をお願いします。」との連絡であった。
 「わかりました。お寺で待機してますので、お帰りになられましたらお電話下さい。」と言って、受話器を置いた。
 「・・あぁっ、休みが無くなってしまった」とつぶやきながら、お通夜とお葬式の準備に入った。
 お寺の仕事というのはこんなもので、決まった定休日は無く、たまにあってもつぶれる事が多い。
 つまり年中無休だ。
 だから当然、旅行などには行けない。(どうしても、連泊で遠出しなければならない時は、友人に頼んでおいたりするが、外出先でも連絡を受けたら、たいていは急遽帰って来る。・・これがお寺の仕事なのだ。・・でもこれで、ご飯を食べさせて頂いているので当然でもある)

 準備をしていたら、電話が入ったので外に出た。
 なんと良いお天気なのだ! 小さい子供ちゃんがお母さんに抱かれて、歌を唄いながらのどかに散歩している。
 おばあちゃん達は家の前で、何やら笑いながら世間話をしている。
 僕は、その方たちに何も言わず、ニコッと笑顔で挨拶して自転車で出発した。
 運転しながら、呟いた。
「あぁっ、こんなに良い天気の日でも、人って死ぬんやなぁ・・」と。
 当たり前といえば当たり前なんかもしれんが、運転しながらそんなことを思ってしまった。 

「院主さん、おもろい話ありまんねんでぇ・・」

 僕が毎月、〔お参り〕に行かせて頂いているお家に、(自称)オモロイ人がいる。
 定年退職をされ、今は悠々自適に暮らして居られるIさん(男性)である。
 この方は、根っから明るい。
 おとといもお参りに行くと、玄関の所で待っておられたIさん。挨拶すると、間髪おかずに「院主さん、おもろい話ありまんねんでぇ」と言われた。
 いつもの事なので、家の中に入って(半笑いながら)僕は「じゃ、お勤め終ったら聞かせてくださいね」と言った。(言っておくが、僕はいつもおもろい話を期待している訳ではない。・・まぁ、ちょっと、楽しみにしている所があるかもしれんが・・。)
 お勤めが終ったら、待ってましたとばかり、仏間に入って来られるIさん。(「一緒にお勤めしましょ」と言おうとするが、いつもうまく逃げられ、かわされ言えない・・。なかなかの達人である。でもちゃんと隣の部屋でお経の終る瞬間を聞いてるんやなぁ・・)
 それで、本題の今月のおもろい話。
 もう、しゃべる前から笑っておられ話し始めるので、こっちもそれだけでつられて笑ってしまっている。
 「院主さん、この前なぁ、お客さんが来よってん。それで、えらい寒かったから、あまりわしも入らんこの仏間に(毎日入りぃや!〔僕の心のつっこみ〕)入ってもろてん。わし、それで急いで暖房のスイッチ(ルームエアコン)を点けたんや。・・なんか、町内の大事なお役を頼む話みたいで、わし、断ったろかと思てんけど、どっしり座りよるんで、こっちも『どうやって断ったろか』と腹すえたんや。・
 そしたら相手が、しばらくして、もぞもぞし出し震え出し、『又、来ますわ』と言っていそいそ帰りよったんや。
 わし、おかしいなぁと思って、エアコンの表示見たら《冷房》になってんねん。又、お客の席に直撃や! ははん、こら堪まらんわと思たら、笑えて笑えて・・。おもろいでっしゃろ、院主さん!」と、御まくしたてられた。
 僕は、おもろいというよりも、何か(相手さんが)ちょっと気の毒にもなったので、笑いながら「ご主人、僕にはその作戦を使わんといて下さいや」と言った。
 Iさんは、「わかってまんがな、そう来ると思たで院主さん。・・これを使う時は、『一緒にお勤めしましょか』と、誘われそうになる時や。」ときた。
 この言葉に『読まれてるわ』と思いながら、又、違う作戦を練らなと思い、笑いながら、そのお家を後にした。
 Iさん、それじゃ又、来月おもろい話頼みます!(そんなに期待してないけど・・。)

喜びと、悲しみと・・

 先日、ご自宅で「お葬式」をされた方があった。(今はほとんど葬儀会館で行う)
 それで、そのお葬式をする隣のお家が、〔僧侶控え室=(法衣に着替える部屋)〕となった。
 その〔控え室〕で、僕が着替えていた時のこと。
 突然の隣の部屋から、「やったー!やった、やった、超嬉しいー!」と悲鳴のような声がした。(当然、葬儀会場にも聞こえたであろう)
 「お母さん!推薦入試、合格や!」と引き続き、そのお家の娘さんの声がした。
 お母さんは間髪おかずに「しぃー!今、隣のお婆ちゃんのお葬式やで!大きな声出したら失礼やろ!常識考えなさい!・・・でも良かったなぁ。」と、聞こえた。
 合格の「速達」が、今届いたのだろう。
 人生、待った無しに「悲しみ事」が起これば「喜び事」も来る。
 「別れ」もあれば、新たな「出会い」もある。
 僕も心の中で小さく「お嬢さん、良かったなぁ・・」とつぶやきながら葬式会場に向かった。
 
 

ふと、思ったこと

 ふと、思ったのだが、・・四六時中、僕は『紙芝居』製作の事ばかり考えている。
 お経をお勤めした後も、自転車で檀家参り移動中の時も、ご飯を頂いている時も、テレビを見ている時も、お風呂に入っている時も、布団に入った時も、・・考えてみたら、次に作る『紙芝居』の事ばかり考えている。
 ・・どんな絵にしようか? 何枚で次の話は終らそうか?
 主人公にどんなセリフを言わせようか?方言はどうする? 説明書きが多すぎるのでどこかをカットしようか? 
 今度の空の色は何色を塗ろうか?青にするか?青に白を多く混ぜて薄くするか?いや、いっそのこと、赤にするか?黄色も混ぜ込み、濃い夕焼け色にするか?
 場面は朝が良いか?いや、雨を降らすか? 脇役は出すか?動物は出すか?犬にするか?そうしたら、犬の種類はどうする?
 ・・真面目一辺倒で話を進めるか?ギャグを挟むか? 
 宗教的な話にするか?いや、説教臭くしないようにするか?

 ・・考えてみたら、いつも考えている(笑い)。
 昨日も晩御飯を食べてる時、突然、僕は妻に「日本の江戸時代後期の牛は何色やろか?」と言った。
 妻は、いつもの事ながら「何色でもええんとちがう」と言った。
 僕は「田んぼの作業を手伝う牛は、黒か?それとも濃い茶色か?」と続けた。
 そんな事どうでもええやんか、邪魔臭いなぁというような顔をしてテレビからこっちを見ずに、「茶色でええんとちがう」と言った。
 「そうや、こげ茶に黒を混ぜてみるわ」と僕が言ったら、「そうしい」と言った。 
 一時が万事こんな調子で、僕の毎日は過ぎてゆく。

 そう、このブログを書いている今も、次のストーリーの構成を考えている。
 楽しいのだと思う。・・きっとそうに違いない。
 幸せなのだと思う。・・こんなに打ち込めることがあって。
 先日、友人が「120作も作ったら、もう作るネタも無いでしょう」と言った。
 そんな事は無い。・・まだまだ作りたい話が一杯ある。
 おそらく、仕事がなかったら、朝から深夜まで作り続けているだろう。
 又、ある友人が「紙芝居を作っている時と、会場で演じている時とどっちが楽しいですか?」と尋ねて来た。
 僕は、間髪おかずに言った。「作っている時。話を構成している時」と。
 さらに、僕は続けた。
 「もっと楽しいのは、完成した時より、完成間近な時。真っ白な場面が、色付いていく時。」と答えた。
 友人は「それって、プラモデルを作るのと同じやん」と言った。 そうかもしれない。
 僕にとって、紙芝居は「プラモデル」作りのようなものなのかもしれない。
 でもこの「紙芝居」というプラモデルは(そうだ!『紙モデル』と呼ぼう!)、部品も設計図も完成図も何もない、極めて想像力と根気がいる作品である。
 さて、『つぶやき』はこのへんにして、そろそろ、紙モデルの世界に戻りましょうか。
  
 

北海道:小樽仏教会広報紙『あ』からの原稿依頼

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 北海道の「小樽仏教会」からの電話で、広報紙『あ』の(次年度の)原稿依頼が来た。
 電話の依頼主さん(お寺の住職さん)に、「『あ』ってどういう意味ですか?」と聞いたら、
「『あ』とは、『物語のはじまり』、『よりかかる』、『親しみ』、『曲がり角』という意味があります。この様々な意味の『あ』を仏教に縁の無い一般の方々に、「スーパー」や「コンビ二」、はたまた「レンタルビデオ店」、「CDショップ」の店頭に置いてもらって無料で読んでもらっています。・・ですから、できるだけ一般の人向けの解り易い文章でお願いしたいのです・・。」と言われた。
 さらに、テーマは『一歩前へ!』という事で、震災を乗り越えて、皆が元気が出るような文が望ましいと付け加えられた。字数は3000字ぐらいで、「中身は任せる」という事だった。
 ・・今月末が締め切りだ。(原稿用紙七枚ぐらい)
 僕は『お寺から、一歩前へ!』と題を決め、出前活動の事を(おもしろおかしく、又、読んで元気が沸いてくるように)書こうと決めたのだが、まだ1000字ぐらいしか書けてない。
 ・・焦る、焦る、焦る。
 スーパーのトイレに行って、男性用便器の前で『もう一歩前へ』という『注意書き(張り紙)』を見ても、焦る、焦る、焦る・・ゆっくり出けへんやんけ。
 「あっあっ『あ』かんっ」、こんな事を書いてる場合ではない。
 早く書かなっ! 頑張ります!
 

今年一年(平成23年)を振り返る・・

 平成23年もあと幾日・・・。
 今日は例によって例の如く、今年一年の「お寺の出前」を大急ぎで振り返りたい。
 まず、今年は何と言っても、よくマスコミに出た一年であったと思う。
 1月は、TBS系列の『ごごネタ!きらきらTV』というミニ番組に出た。(これは全国放送だったので、各地から「出前」の問い合わせが相次いだ。)
 2月は、日経新聞の社説『春秋』に、僕の活動が紹介された。(企業からの「出前」の問い合わせが、この時から増えた。)
 3月は、旅の情報紙『ノジュール』に「お寺の出前」が紹介された。(しかしこの月、東日本大震災が起こり、日本中、旅行ブームどころでは無くなる。)
 4月、産経新聞に、ちょうど前月完成したばかりの「稲むらの火」紙芝居が紹介される。(これを機に、関西のあちこちの場所(西本願寺などのお寺や、老人会、老人ホーム、子ども会など)で、この紙芝居をすることになる。)
 5月、この月、縁あって今回初めて『レストラン』内で、ランチコンサートならぬ、ランチ紙芝居法話をする。又、病院や企業組合員の研修にも出前する。
 6月、大阪の寺院布教団に「お寺の出前」活動を紹介。法話の新しいカタチをアピールする。
 又、NPO法人や全国の企業組合員研修(場所:岡山県)、さらに岐阜のお寺に出講する。
 7月、関西テレビ『よーいドン!』「隣の人間国宝さん」というコーナーに出る。(テレビの影響でお寺パニック。この頃から連日「出前」に行く為、疲れが溜まり出す。・・というか、毎日自分で何をやってるか解らんようになりだす。)
 8月、一年で一番忙しいお盆参りが終り、休みが取れたので念願であった「東北:宮城県の被災地」へボランティアに出る。帰ってからすぐ、特養老人ホームでのお盆法要を終えて、その流れでNHK「ニューステラス関西」のテレビ取材を受ける。・・頭パニック。さらに、それから連日、ケアハウス、奈良の子ども会、そして子育て支援センター、などへ出前して、ついに2・3日ダウン。
 9月、毎年恒例の自坊での「紙芝居合宿」を終えた後、NHKテレビ「おはよう日本」(全国版)に出前活動が紹介され、さらに忙しくなる。・・敬老会、岐阜の寺院婦人会の記念大会、宗派を超えた彼岸法要にも出講する。
 10月、震災の為のチャリティイベントがお寺などで続き、なるべく出講する。さらに、母子福祉協議会や社会人大学への講座、珍しいところでは『太子灯路まつり』にも出講する。
 11月、テレビの影響か?!ついに、観光バスツアーが「観念寺」へ、紙芝居を見にやって来られる事となる。(このツアーは、さらに来年の11月まで予約が入ることになる。・・それまで僕は生きてなあかん事となる。〔笑〕)
 さらに、東大阪での『地域ふれあい事業』というイベント模様がケーブルテレビで紹介された為、『いきいきふれあい活動』という老人会などへの出前予約が増えだす。
 12月、今年の9月に大きな台風被害を受けられた奈良県黒滝村へ「紙芝居法話」を出前。
 又、各地の「いきいきサロン」への出前も増えて出講することになる。そやそや、各地域の伝説・伝承の話を紙芝居にして作って欲しいという注文も今、入っている。
 そういうたら、今年は6本しか紙芝居の新作は作れんかったなぁ・・。来年こそは腰を落ち着けて10本は作りたいなぁ。
 こうやって見たら、なんと今年の「出前」の多かったことか。
 年間80回の出前をついに越してしまった。4・5日に一回、出前をした計算となる。・・50歳越したのに、こりゃ無理やで。
 しかし、すでに来年の11月まで「出前」が入っているので、とにかく体調をコントロールして、無理な出前は引き受けず、なるべく一日一回講演の出前ペースを守り、なるべく毎月五回ほどに出前は押さえたい。だってボランティアやもん。仕事中心にした生活送らななぁ・・。まぁ、これは希望であるのだが? それでは皆さん、良いお年を! 合掌
 
 

紙芝居:「素晴らしき哉、人生!」のあとがきに代えて

 フランク・キャプラ監督のアメリカ映画「素晴らしき哉、人生!」は、クリスマスの日に起こる奇跡の物語である。
 アメリカ映画というのは、本当に、大なり小なりよくクリスマスの日に奇跡が起こる。(事実、神の子、奇跡の子〔イエス〕様が、お生れになった日なのだから当然かもしれんが・・。)
 しかしながら、はじめにこの映画を見た時、僕は『この映画は、仏教(お釈迦さま)の根本思想のひとつである《縁起(えんぎ)》を云わんとしている』と思った。
 縁起とは、つまり『世界の一切は、直接にも間接にも、何らかの形でそれぞれ〔関わりあって〕生滅変化していくのだ』という考え方である。
 人間はひとりで存在しているのではない。
 この世の一切のものは、他のものに縁(よ)りて(依存して)、起きているのだ・・。
 こんな、考え方を云わんとしている映画なのではないかと、僕は思った。・・だから「これって、仏教や~ん」と捉え、勝手に日本版に作り変えて製作したのである。
 実は、何度も文章は書き直した。・・が、まだもうちょっと書き直さねばならないとも思っている。(自分の中で、まだ熟していないのが本音だ。)

 後一つ。完成品を妻に見てもらったのだが、次のような感想だった。
「言わんとしている事はよく解ります。・・が、はたしてこの話は、今の日本社会で孤独に生きてる人の救いの話になるのでしょうか?」と言われた。
 又以前にも、他の人にも次のような事を言われた。「この話は、善きアメリカの時代の話じゃないですか?・・今の日本では通じるかどうか?」とも。
 ・・僕は妻に「その事をもうちょっと解りやすく説明してくれ?」と言うと、妻は「この長一には、家族があり、関わりのある人々がいる。・・だから人と人との『絆』に気がついて、もう一度やり直そうと思った。・・だけど、今、家族も居なくて、親戚とも関わりを持たず、友達もいなく、仕事も無い人って居てるよ。・・そんな人には、この話はやっぱり綺麗事に写れへんやろかなぁ?」と言うのだ。
 ・・確かに、このお話は一昔前なら通じた物語で、今はどうだか?と、思ってしまう。(その通り、このお話は老人ホームよりも、(家族との関わりを常に持つ)ディケアセンターや、地域の家族会の方々の方が遥かに反応が良い。・・これは間違いない。)
・・この紙芝居(お話)を今、あえて皆に見てもらう意味があるのか無いのか?・・少し迷うのだが、やはり僕はこの古臭い物語が、現代人に何か大切な事を思い起させるキッカケになると信じ、これからも演じていきたいと、今のところ思っている。

 さて、最後に余談ながら、この主人公の〔長一(ちょういち)〕と言う名は、映画では〔ジョージ〕であり、〔半人前地蔵〕は、映画では〔翼の無い二級天使〕という名で登場している。
 ・・これも余談の余談だが、妻に「本当に〔半人前地蔵〕っているの?」と聞かれたが、僕の勝手な創作で、こんな名の仏さま、居てはる訳無い!・・です。
 又、映画では、悪役〔ポッター〕という人物が登場するので、僕も初校の段階では、悪徳高利貸し〔堀田・栗兵衛(ぼったくりべえ)〕として登場させていたのだが、煩わしくなって(このお話に悪役は必要無いと思い)カットした。
 ・・まぁ、以上はどうでも良い余談なのだが、ちょっと書き足しました。 終り
 
  
 

映画「阪急電車」のプロローグ

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 『人はそれぞれ皆、いろんなやりきれない気持ちを抱えて生きている。
 死ぬほど辛いわけではないけれど、
 どうにもならない想いを抱えて生きている。
 ・・そして、その気持ちは誰にも言えないのだ。
 誰かに言っても仕方のない事だと 諦めるしかない。
 皆、そう思っている。
 自分自身で解決するしかないんだ。

 この世界には こんなにもたくさんの人がいるのに、
 同じ場所で 同じ時間を一緒に生きている人が こんなにもいるのに、
 それは 何の意味も持たない。
 名前も知らない人達は、私の人生に何の影響ももたらさないし、
 私の人生も誰にも何の影響も与えない。
 世界なんて、そうやって成り立っているんだ。
 そう思っていた。 
 でも・・・。』 映画「阪急電車」のプロローグより

 歳末恒例の「今年の漢字」は《絆(きずな)》に決まった。
 この《絆》という言葉を、まるで暗示するかのように、今年上映された映画が、『阪急電車 =片道15分の奇跡=』ではなかろうか? 
 僕は今年見た映画〔邦画ナンバー1〕にこの映画を挙げたい。
 あまりにこの映画が気に入った為、映画を見た後、原作を買い、サントラを買い、そして先日ついにDVDまで買ってしまった。
 まぁ阪急電車には、学生時代に(通学で)いろいろとお世話になったという思いいれもあってのことだと思うが・・。
 この映画の内容を、ちょっとだけ述べる。
 「宝塚~西宮北口間を15分で走る、えんじ色の車体にレトロな内装の、阪急今津線。
 その電車に、さまざまな『愛』に悩み、やりきれない気持ちを抱えながら、偶然乗り合わせただけの乗客たちがいた。
 電車内という限られた空間で、それぞれの人生がほんのちょっと重なり合い、影響し合い、そして離れていく。
 数々の出会いが重なり、そこに生れる小さな愛の奇跡。 
 勇気を持って踏み出せば、いつもとは違う景色が、人生が、そして素敵な出会いが待っている・・。」という、有川浩さん原作の(皆が主役の群像劇)の名作である。
 もう一度云う。・・僕の今年見た邦画ナンバーワンである。

善いと思ってお話しても、良くないことがあるのです

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 善いと思ってお話しても、良くないことがあるのですね・・。
 昨日の『特養白寿苑』での法話会のことです。
 新作紙芝居「カルピスを発明した僧侶」のお話を披露した後、あるご婦人に言われました。
 「私にとってカルピスは毒なんです。」と。
 「えっ?!」と僕。
 「私、とってもカルピスが好きで、牛乳と混ぜて飲むのが好きだったんだけど、今、糖尿病なの。・・だから、飲みたくても飲めないの。残念ですが・・。だから毒なのです」と言われました。
 自分では、健康についてのお話をしたつもりだったのが、返ってこの人にはつらい思いをさせてしまったようです。
 『自分は正しいことを言っている、つもり』の姿勢。
 これは、考えものですね。反省。
 (カルピスって、五倍ぐらいに薄めても糖尿の人にはあかんのやろか? いや、六倍、八倍、十倍に薄めては?・・でもそれじゃ、おいしくなさそう。)
 

母親(オカン)に叱られた話

 先日、和歌山の被災地にボンティアに行き、その時〔土産〕に「さんま寿司」を買って、母親の所に持って行ったら叱られた。
 家に入るなり、こう言われた。
(オカン)「あんたは、自分の身体の事をもうちょっと考えなあかんよ。・・もう若ないんやから、無理して若い人に混じって労働奉仕して倒れたらどうすんの?!・・それこそ、檀家さんに迷惑かけるねんで。ボランティアは他の人が居てはるけど、檀家さんの法事やお葬式をやる人は、あんたしか居らんやろ!・・ええかげんにしいや。」と。
 僕は「はい、お土産〔さんま寿司〕。今が旬や、美味しいと思うで。・・もう、無理せえへん。」と、うつむき呟き、すぐに退散した。
 帰り車の中で、『何で怒られなあかんねん!ほんま腹立つわ。土産なんか買わんといたら良かった・・』とブツブツ呟きながら帰った。
 ・・で、家に帰って妻にその事を言ったら、
(嫁はん)「どうせ、言うても聞かへんのになぁ。・・私なんか、とっくに諦めたわ。お父さんは、やりたい事をやって死ぬねんもんなぁ」と言いよった。
 これはこれで、寂しいもんがあった。・・完

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