住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居と「小説[水底の村]」

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 今年のお正月に息子が帰って来て、「新しい紙芝居を見せて」と言ったので、最新作の「ダム湖に消えた村」を見せた。
そしたら息子が、「お父さん、その話って、さだまさしさんの小説『水底の村』を元にして作ったん?」と聞いた。
 「えぇっ⁈ それってあの歌手のさだまさしさんか?」と驚いて聞き直すと、「そうやで。・・似てる話やと思うわ。」と返事が返って来た。
 僕は、その小説とは一切関係ないと息子に答えておいたのだが、その時からその小説が読みたくてたまらなくなって・・、そしてこの正月休みに読み終えた。(妻が『解夏(げげ)』というさだまさし作の単行本の中に収録された、この中編小説を持っていたのだ。)
 この話は、近畿地方ではなく、関東が舞台のお話なのだが、土台は『新しい都市の生活用水確保のために、ダム建設の話が起こり、その為に村の一つが水底(みなぞこ)に沈み、そこに住んでいた人々の生活が大きく変わってしまった』という話だ。
 ・・僕は二つのことに驚いた。
 一つは、少し前、日本ではよく似た[開発]という名目の環境破壊(改造というべきか?)があちこちでおこっていて・・そして、その後、そこに暮らしていた人々の生活(人生)は、大きく変らざるを得なかったという事実。
 そして二つ目は、(こっちはどうでも良い事なのだが)息子が、この話を、「紙芝居」を観た瞬間に、思い出したということ。
 いつの間にか、ゲーマーだった息子は(あらゆるジャンルの本を読む)読書家に変わっていたということだった。
 
 
 

今、創りかけの「紙芝居」

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 今、『ダム湖に消えた村』という題名の、[河内長野市滝畑地区]の紙芝居を創りかけているのだが、それを終えたら、すぐに次の作品郡に取り掛からねばと思っている。
 ・・その控えの一つが、『ジキル博士とハイド氏』。
 これは、有名な二重人格者のおはなしだ。(・・これは、僕自身の性格?(笑い)に照らし合わせながら作りたいと思っている。・・原作はすでに二回読んでいるが、自分流に解釈しシンプルに描きたいと思っている。)
 そして、その次に『懺悔の聖者 覚鑁上人』の制作も控えている。
 これは、すでに今年、和歌山県の(覚鑁上人所縁の)根来寺にお参りし、どんな話にするかは、頭の中で描き終えている。(来年、覚鑁上人出生地の佐賀県での取材を終えたら制作を開始したい。)
 それが済んだら、『修験者 役小角』、『大和の清九郎』、『楠木正成ここにあり!』と、(地元のヒーローたちの話を)続けて制作を開始したいと考えている。
 これでは、来年も目いっぱい、健康に気をつけながら、描きまくらねばな・・。
 
 

おもてなし・・

 今、『おもてなし』という言葉が、注目されている。
 まず、この意味だが、辞書で引くと「持て成し」とあり、意味は『ふるまい。とりなし。歓持する事・・』と説明されている。
 つまり、饗応、接待という受け取って良いのだろう。
 話は、僕のことになるが、
 僕もよく、この『おもてなし』を、老人ホームで受ける。
 それは、お寺の出前の『紙芝居法話』が終わった後、個人的に、入所者の方からのお部屋に招かれるのだ。
 「住職さん、後でちょっと部屋に来て、」と言われて、片づけが終わってから、その方のお部屋にお邪魔する。
 たいていは、深刻なお話があるわけではなく、孫や昔のご自分の想い出写真のご披露で、話は終わるのだが・・。
 その時に、この「おもてなし」がある。
 ベット横の机の引き出しから、(賞味期限の切れた[笑い])饅頭やせんべいなどを出して、僕に「これ、食べて」と、もてなしてくださるのだ。
 ・・その『賞味期限』が気になるので、たいていは持って帰るのだが、「どうしても」と言われたら、覚悟して食べる。(後で職員さんに、引き出しのチェックを言っておくが・・。[笑い])
 中には、お金を出して、「これ、お賽銭にしてください」と言われることもある。(でも、これは金銭の事なので、受け取らない。「どうしても」と、言われた場合のみ、担当職員に必ず、相談する。)
 
 お年寄りは「おもてなし」の心を、常識として持っておられる。
 それが、施設内でも当然のように、実行されるのだ。
 その「もてなし」の(気遣いの)お心が、十分にこちらに伝わってくるので、これからも僕は、(賞味期限を少し気にしながら、)「もてなして」もらい続ける・・。
 ああっ「もてなして」もらうのも、ちょっと勇気がいる。
 

親鸞聖人のこと・・

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(京都市伏見区日野)
 浄土真宗の開祖『親鸞聖人』は、今からおよそ八百年ほど前、現在の京都市伏見区日野(ひの)の地で、お生まれになった。
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(日野誕生院)
 現在この地に立つと、京都市内とは思えないほど、静寂な空気が漂っている。・・つまり、なんというか、田舎だ。
 であるから、当時はもっと静かで寂しい場所であったのだろう。
 ここで、親鸞聖人は生まれ育った。
 父は、日野一族の藤原有範(ありのり)。
 母は、源氏の血を引く(源義家の孫)吉光女(きっこうじょ)と言われている。(そう、時代は違いますが、あの日野富子も一族です)
 つまり、閑静な環境のエエトコのボンに生まれたのだ。
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(法界寺[日野家菩提寺])
 しかし、時代は源平争乱の時代に入り、親鸞聖人は(政治的な理由があったのか?)幼き頃に出家させられ、比叡山で修行することに・・。
 そして、波乱の生涯を送られることになる。
 しかし、この長閑な日野の地で育てられたときは、きっと自分にそんな波乱の人生の幕開けが来ることなど、夢にも思われなかったであろう。
 そう、この誕生院のすぐ下にある立派な阿弥陀仏の祀られている『法界寺』で、ある時は無邪気な遊び回り、又ある時は祈り、多感な時を過ごされたのだろう。
 この地に立つと、案外、親鸞聖人の(内観的な)思想の柱となったものは、この日野の地で培われたのではないかと、僕はそんな気がする。 
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(境内の蓮池)
 僕も、親鸞聖人と同じ場所に立ち、同じ空気を吸い、同じ道を歩いてみる。・・そして阿弥陀仏に手を合わしてみる。
・・僕の紙芝居づくりは、いつもそんなところから始まるのである。

聖フランチェスコと一遍上人

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(聖フランチェスコ)
 昔、友人の一人が僕に、「お前の一番お気に入りの映画は何か?」と尋ねたことがある。
 僕は「『ブラザーサン・シスタームーン』だ。」とその時答えた。
 それは今も変わっていない。
 『ブラザーサン・シスタームーン』は、アッシジ(イタリア)の聖フランチェスコの生き様を描いた洋画である。
 僕はこの映画を観て、僧侶になる決意をしたといっても過言ではない。
 とにかく、この映画が大好きなのだ。(今観ても、涙が止まらない)
 ・・裕福な商人の息子に生まれたフランチェスコが、戦争体験して、精神を病んで帰宅。・・その後、奇跡的回復をしたのち、やがてキリスト信仰に目覚め、富や財宝を拒絶し、それらは信仰の妨げになるだけだと(何もかも)捨て果てて、病の者や貧しい者たちに寄り添いながら、修道の道を歩み始める。・・そんな映画である。
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(一遍上人)
 これって、日本の『一遍上人』に似ている・・ではないか。
 又、お互い同じ[中世]に生まれ、日本とイタリアの国の違いこそあれ、仏教とキリスト教の違いこそあれ、『物に執着するな!・・何もないのが幸せへの近道なのだ』と、二人とも言っている。
 僕は憧れる。・・このような生き方に。
 このような、生き方はとてもできないが、僕は迷った時や悩んだときは、この二人の生涯を追う。
 そして、この映画を観て、仏教徒として、僧侶として、どのように生きたら良いのかを模索するのである。

お線香の香り

 自分では解らないのだが、僕って『お線香』を香りを、周りに漂わせているのだろうか?
 先日も、毎月行かせて頂いている『老人ホーム』に入って、廊下を歩いていたら、向こうから職員さんが来て「あぁ、やっぱり宮本っさんでしたか。来られたら、お線香の匂いですぐ解りますわ。」と言われた。
 確かに、毎日、ご門徒さんのお宅にお参りに行っているので、お線香の香りは全身あびている。
 しかし、私服でいる時でも、お線香の匂いを漂わせているのかもしれない・・。(おそらく、髪の毛に染み付いているのだろう)
 香りにうるさい世の中になってきたが、一人ぐらい『お線香人間』が近くに居っても、迷惑にはならないと思うのだが・・、いかに。
 でも、もし、気になる人がいるなら、『朝シャン』ならぬ、『仏シャン』していかなあかんかなぁ。

仏の三十二相

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 『観相学(かんそうがく)』とは、顔立ちや表情などから、その人の性格・気質・才能などを判定しようとする学問で、そのルーツは、古代インドと伝わっている。
 そう、古代インドといえば、お釈迦様。
 そのお釈迦様にも、その観相学が当てはめられ(用いられ)、やがて、仏さま(如来部:阿弥陀如来・大日如来など)すべてにその『観相』が当てはまるようになっていった。
 ・・さてさて、古代の誰が言い出したのか解らんが、その仏の観相が、『無量寿経(第二十一願の部)』や『仏本行集経』などのお経にも書かれている。
 不思議で滑稽な部分も多々あるのだが、その言葉だけを読むのではなく、その深い部分を想像して読めば、これは結構面白い。
 と、いうことで、僕はこの『仏の三十二相』(正確には『三十二相八十種好』)の屏風(縦140cm、横100cm)を作って見た。〔写真参照〕(完成したら、人体の不思議図みたいやった〔笑い〕)
 それで、今回は、おもろそうな部分だけ、ピックアップして書かせてもらいたいと思います。

 〔仏の三十二相〕
 一、足下安平立相(そっかあんぺいりつそう)=〔扁平足のこと。お釈迦さまって扁平足やんたっや~。・・これは、大地にすべてが付いている、すべての人に対しての慈悲の心を表しているらしい〕
 二、足下二輪相(そっかにりんそう)=〔足の裏(手のひら)に法輪模様がある〕
 三、長指相(ちょうしそう)=〔指が繊細で長い。(ピアニストみたいやね)〕
 五、手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう)=〔手足の指の間に金色の水かきがある。(これは、誰一人もらさずに救い取ることを表しているそうだ。・・でもカッパみたい。〕
 九、正立手摩膝相(しゅうりつしゅましっそう)=〔直立した時、両手が膝まで届く。(なが・・、まるでエヴァンゲ○○ンみたい〕
 十、陰蔵相(おんぞうそう)=〔男根が体内に隠されている。(そうか~、だから仏像はもっこりが無いんやぁ。)〕
 十四、金色相(こんじきそう)=〔身体が金色に輝いている。(仏像が金色の理由はここにあったのだ!)〕
 十五、丈光相(じょうこうそう)=〔後光を放っている。仏像に後光がある秘密はここにあった!〕
 二十二、四十歯相(しじゅうしそう)=〔歯が四十本ある。ちなみに常人は、三十二本。(仏さまも歯がいのち。)〕
 二十六、味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう)=〔何を食べても、最上の味として味わえる。(エエ旦那になれましたのになぁ・・)〕
 三十一、頂髻相(ちょうけいそう)=〔頭の上の肉が、髪の毛をたばねたように盛り上がっている。頭脳明晰をあらわす。(そうか、あれは髪型ではなく、頭の形だったのだ。・・そら、あのヘアスタイルしかできんなぁ。)〕
 三十二、白亳相(びゃくごうそう)=〔眉間に右巻きの白毛があり、光を放っている。(そうか、あれはデンボではなく、毛だったのだ!)〕
 ・・エトセトラ、エトセトラ。
 このほか、『八十種好』には、福耳や、のどに三本のしわがあるとか、耳たぶに穴がある(ピアスの後みたい)とか書いてある。
 どれも面白そうな『観相』ばかりなので、こんどゆっくり(如来部の)仏像を観てみて・・。
 

「チャリティイベント」が、本願寺新報に掲載!

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 先月の2月9日に、「富田林市すばるホール」にて行われた、『東日本大震災物故者追悼三回忌法要&復興支援チャリティイベント』の模様が、3月1日号の『本願寺新報』に掲載されました。
 中でも、僕の『紙芝居記念法話』の様子が、(写真付きで)大きく書かれていて、(ただのメンバーの一人である僕は)非常に恐縮してしまいました。
 しかしながら、新聞記事になるということは嬉しいことでもあります。
 もちろん、これは、運営委員のみんなの勲章だと思っています。 
 ありがとうございました。合掌
 
 

大阪が感謝しなければならない男、甚兵衛と重源

 今、二つの(歴史)紙芝居を作り始めている。
 一つは「大和川を付け替えた男、中甚兵衛」。
ファイル 1046-1.jpg(中甚兵衛像)
 もう一つが、「狭山池を復活させた男、重源上人」だ。
ファイル 1046-2.jpg(重源上人像)
 この二人、生まれた時代は違うが、(甚兵衛は江戸時代、重源上人は鎌倉時代)共に、大阪府民が永遠に感謝しなければならないスーパースター達である。(あまり一般には知られていないスター達だが・・やった事はスゴイ。)
 この二人、僕の住む場所から、どちらも比較的現地取材がしやすい所に史跡がある為、時間を掛けながらゆっくり見て回って作っている。
ファイル 1046-3.jpg(新・大和川)
 その一人、中甚兵衛は、庄屋(百姓の代表)でありながら、その当時、大雨が降ると荒れ狂った『大和川』の洪水被害を防ぐには唯一つ、その流れを変えてしまうしかないと、途方も無い計画を立て、46年間幕府に訴え続け、それを実行した男だ。(これは執念というよりも、もはや滑稽というしかないと思う)
ファイル 1046-4.jpg(昔の狭山池)
 そしてもう一人、重源上人は、(なんと82才で)その当時、(田畑を作るための)水が干上がってしまった狭山池という大池を復活させようと、その近くの古墳の石棺(豪族の墓)を引っ張り出してきて、棺を〔石樋=水を流すための水道管のようなもの〕に改造して、狭山池を復活させた男である。
 その当時の、途方も無いリサイクル推進者だ。
 この二人、現在の大阪の繁栄を作り出した男たちには間違いない。
 我々は、歴史に埋もれた(このような)スター達の存在を忘れてはいけない。
 そのために、今、彼らの紙芝居を作っている訳なのだ。
ファイル 1046-5.jpg(今も残る石館=いわゆる棺おけ)

風邪を引いたら、住職さんのせいでっせ

 寒い日が続いております。
 僕は毎日、自転車で檀家宅のお参りをしておりますので、ホンマ寒さが堪えます。
 さて、そんな或る日の事。
 「こんにちは、観念寺から参りました。お参りさせて頂きます」と、この日もいつもおもろい「掛け合い漫才」をする、陽気なお爺ちゃんのお家に、僕はお参りに行ったのであります。
 仏壇の前に座った僕は、「○○さん、寒なりましたねぇ。風邪引いてはりませんか?」と聞く。
 すると、後ろに座るそのお爺ちゃん(=○○さん)は、「はい、外へはめったに出かけませんので風邪引きませんねん。それに、寒いから誰も遊びに来まへんし。そやから悪い菌が入ってきませんねん。だから、大丈夫でんねんわ。」と言う。
 「・・・。」と、ちょっと僕は沈黙。
 そして、「・・と、いうことは、○○さんがもし風邪を引いたとしたら、僕が読経をして、悪い菌を撒き散らしたらということになりますねぇ。」
 ○○さんは「・・まぁ、そういうことでんなぁ。」と笑いながら言われた。
 そこで僕は、「ということは、今日は声を出さんと、口ぱくで読経したらベストでんねんなぁ。・・僕も楽やし。」と言ったら、
 ○○さんは、「まぁそう言わんと。ほな、わしは向こうの部屋でコタツに入って、つらいけど耳だけで聞かせてもろて手を合わせますから、思いっきり隣の部屋まで聞こえるように挙げてください。」と返してきた。
 それで、僕は大笑いしながら、「・・今日は負けました。・・ほな、このへんで矛を収めて読経しますからよろしく。時間ももったいないし・・」と言ったら、「はいはい、有り難いとこだけ、ちゃっちゃっと挙げて、風邪の菌を撒かんように頼みますわ。ロウソクももったいないし・・」と言って、○○さんも笑われた。
 今年最後の対戦は、完全に僕の負けとなった。が、来年は必ず勝率を上げて、リベンジしたいと思っている。
 ・・何しに行ってんねんやろ。(笑)
 

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