住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居を描いている所

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 これが、コツコツと『紙芝居』を描いている所の写真です。
 毎日、毎日、地味にやってます。
 でも完成したら、とても充実感があります。
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 ・・それでも、時々「僕は、いったい何をやっているんや⁈これって何の意味があるんや?!」という気持ちが襲ってきて、嫌になります。
 そういう時、庭の蓮の花などを見て、気分転換して、又コツコツ掻き始めます。
 

妙好人の紙芝居って?

 妙好人とは?
《純粋な信仰心を持ち、その(信心の)レベルの高さにおいては、飛びぬけた人》を云う。
 又、お寺の僧侶であるという権威を持たず、一般家庭の信者の方が多い。
 又、主に浄土真宗の門徒(信者)を差すことも多い。
 余談ながら、(あまり知られていないが)今年の大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公、吉田松陰の妹・文も《妙好人》の一人と言われている。
 僕は、この[妙好人]という言葉が好きで、憧れもあり、たくさん《妙好人紙芝居》を作った。
 『大和の清九郎』さん、『因幡の源左』さん、『讃岐の庄松』さん、『浅原才市』さん、『物種吉兵衛』さん、エトセトラ・・。
 そして、これからも作り続けるだろう。
 一般に、浄土真宗の門徒(信者)の方(僧侶も含めて)は、この[妙好人]の話(エピソード)を聞くのが好きだ。
 それは、僕と一緒で《スーパーマン》に憧れるような感覚で、彼ら妙好人の[胸がスカッとするような(一休さんのような)奇抜な行動・言動]や[そんな、奴おらんやろ~⁉、んな、あほな⁈]や[よくぞ、(私に代って)言ってくれました!]というようなおもしろい行動に、一喜一憂して拍手喝采したいからだと思う。
 又、単純に『こんな風になりたいなぁ!』という感じもある。
 それが最近、門徒さんの中にも「妙好人って誰?何なの?」という言葉が多い。(少なくとも僕の回りでは・・。)
 又、「妙好人とは、ごく普通の人なんです。エピソードは誇張です。」という、頭の固いインテリ僧侶も多い。
 僕は、ほんま、もっと一昔前の「紙芝居」を観るような感覚で[妙好人]を知って楽しんで頂きたい。
 そんなワクワクするような、(時には真面目すぎる)妙好人の紙芝居をこれからも作っていきたいと思う。
 

次の[紙芝居]制作へ⁉

 「紙芝居を一本作るのに、日数はどれくらい掛かりますか?」とよく聞かれる。

 その作品の[内容]の深さにもよるのだが、「だいたい、[三か月]ぐらい掛かります。」とよく答える。
 それは、資料集めから始まり、現地取材、構想、そして文章を書き、絵を描く。・・やっぱり、三か月は掛かる。(仕事の合間に作るのだから、仕方がない。)

 今年は、一本の枚数は12~3枚だが、内容の濃い作品が多かった為、三本しか出来なかった。

 又、「一日、何時間ぐらい、机に向かって絵を描いているのですか?」とも聞かれる。
 
 ・・それはまちまち。
 昔は、暇さえあれば、一日中でも描いていたが、病気をしてからは、一日10~30分ほどだ。右手も前より不自由になった。(だから、描くスピードが遅い) でも描けるだけ良いとするか?!と思っている。

 今、新作『妙好人 物種吉兵衛さん』の紙芝居の下絵が(ようやく)完成した。あとは、色塗りだけだ。(ここまで来たら、後は楽だ。)

 それで、次回作『妙好人 六連島(むつれじま)のお軽(かる)さん』の制作準備に入っていて、
先日、お軽さんの故郷、山口県下関の[六連島]に行ってこようと計画を立てたのだが、
島のお寺の住職から「12月は玄界灘の海の波が荒れる日が多い為、舟の欠航が多く、こちらに来るのは止めたほうが良い。」とのお電話を頂いた。
 そのため、取材旅行は中止にした。(来年の春に延期だ。)

 さて、お軽さんの制作は、次の々にするとして、次回は何の作品を作るとしょうかな?


 

岡山市:真宗本派『光清寺』様の[定例法座]への出講

11月14・15日。
 岡山市の浄土真宗本願寺派[光清寺]様に、お招き頂き、息子と共に車で行かせて頂いた。
 遠方なので、こちらもビジネスホテルで一泊。
 運転は息子にしてもらった。
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(岡山市:後楽園)
 時間があったので、お寺の近くの、紅葉の[後楽園]を見学。
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(息子と記念撮影)
 ・・心が洗われました。
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(居酒屋の日本酒[獺祭])
 その夜、息子と近くの居酒屋へ。
 そこに、アメリカのオバマ大統領へ、日本の首相からプレゼントしたという日本酒[獺祭(だっさい)]があったので、頂きました。
 ・・胃が洗われました。
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(光清寺さま)
 さて、光清寺さまのこと。
 コンクリート二階建てのお寺で、二階の本堂へはエレベーターがあり、羨ましい限りであった。
 そして、一階が控え室と、門徒さんの納骨堂になっている。これも羨ましかったです。
 他のお寺を見たら、最近「羨ましい!」ばっかり。・・今を感謝し満足せねば!・・反省。
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(ご住職と共に)
 又、こちらの住職さんも、一般家庭(在家)からお寺の世界に飛び込まれた方だそうで、色々と[お寺世界]の苦労話にお互い花が咲きました。
 岡山のご門徒さんにも、受け入れて頂けた[紙芝居法話]。
 ご住職さま、坊守様、お寺の役員様とご門徒の皆さま、本当にお世話になり有難うございました。合掌


  

豊中:法雲寺さまの[報恩講法要]への出講

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(豊中:法雲寺さま)
 11月5・6日。
 二日間に渡って、豊中市の浄土真宗本願寺派『法雲寺』さまの[報恩講法要]へ出講させて頂いた。

 ・・余談だが、僕は昨年の大病以来、近畿圏内で二日間続くお寺の法要では、近隣のビジネスホテルを取って泊まる事にしている。夜になる自宅からの往復運転が、まだ不安なのだ。この日も、豊中市内のビジネスホテルに泊まって、くねくねと夜の街の散策をした。久々に夜のネオン街は楽しかった。

 さて、こちらの住職は、テレビ・新聞などのマスコミに、その多彩な活動で取り上げられている『イベント坊主』こと、辻本純昭さんだ。(先日、関西テレビの[よーい、ドン]の取材でタレントの織田信成氏がレポーターで来られたらしい。)・・面白くて楽しくて、口も頭もよく回る立派な住職だ。
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(境内のスポーツ公園)
 また以前にも述べたが、こちらのお寺の境内には、なんと『スポーツ公園』が設置されている。
 地域振興を旗頭に掲げているこちらの住職は、このバスケットコートなどがある公園を若者や子供たちに無料で提供しているのだ。(すっすっ凄い!)
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 さてさて、《報恩講法要》のことであるが、「両日共、お参りの方で、満堂に近かった! そして紙芝居を使っての親鸞聖人のお話は解りやすかった。」と、ご住職・前住職親子は、とても喜んで下さったようだ。
 僕も、それをお聞きしてホッとしたというのが、正直な気持ちだ。
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 さてさてさて、来年も、報恩講法要のご予約頂いた。
 それまで、来年の《新作紙芝居》を考えときます!合掌

 

富田林:[真宗興正派]西徳寺様の親鸞聖人750回大遠忌法要への出講

 11月1日。
 この日は、富田林市:浄土真宗興正派『西徳寺』さまの[宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要]が行われ、記念(紙芝居)法話として、お招き頂いた。
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お天気も心配されたが、小雨も降らず、稚児行列も賑やかに、近隣のお寺さんも御参集され、大法要は大成功だった。
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 僕も張り切って、親鸞聖人の生涯の紙芝居と、その教えの紙芝居をさせて頂き、無事にその大役を(どうにか⁈)果たせた。 
 ご住職、坊守さん、若住職さん、総代さま、そしてご門徒の皆さま、誠におめでとうございました。合掌
 

パレットは、使わない

 僕は、[紙芝居]の絵を描くのに、パレットは使わない主義だ。
 パレットは、絵具の色をいろいろ混ぜ合わせ、色んな色を作り出せる効果もある。・・が、一度パレットに絵具の色をチューブから出すと、迷いが生じるのだ。
 想像していた絵と微妙に違ってしまう。
以前、NHKの記者が「宮本さんの絵の特徴というか、魅力は絵の色(=原色)にあると思う。」と言われたことがある。
 だから、なるべく[原色]をそのままに、直接チューブから、画用紙に色を出す。
 真言宗の曼陀羅絵図を見ていても、原色のチカラが大きいように感じる。
 ・・ひょっとして、昔の曼陀羅を描いていた僧も、僕と同じことをしていたのではないだろうか??
 やはり、原色のパワーは強く大きい。
 時には、マイナスの要素にもなったりするが、やっぱり、僕は原色をそのまま使って、これからも、紙芝居を描いてゆきたい。

ぼちぼちでんなぁ。

「儲かりまっか?」、「ぼちぼちでんなぁ。」という会話のように、
「体の具合どうでっか?」、
「ぼちぼちですわ。」という、檀家さんとの会話に、最近ウンザリして来た今日この頃、お寺への出前も増えてきた。
 今日も、今から大阪市のお寺へ『紙芝居法話』に行って来ます。
 去年、病気で行けなかったお詫びも兼ねて、ぼちぼち・・頑張って来ます!

次回の紙芝居は『かくれ念仏』

 次に創る紙芝居は、『かくれ念仏』(仮称)にしようと思っている。
 今、資料を読んでいる最中だ。
 こんな話・・。
 江戸時代の初期から明治時代初期にかけて、九州の薩摩藩[今の鹿児島県]では、およそ250年もの間、キリスト教と並んで、浄土真宗は[禁制]となっていた。
 これは、藩の封建体制にとって、浄土真宗の[教義]が浸透することによって、農民たちが幕府・藩に対する反抗組織を形成し、農民一揆を起こす可能性を恐れての措置だった。
 その為、領民は春秋の年二回、村役人の所へ行って、本願寺の[門徒=(信者)]ではないことを誓約していたという。
 ・・それはまるで、隠れキリシタンの[踏み絵]を彷彿させるものであったという。
 そして、信仰が万一発覚すると、厳しい拷問があり、その組織を白状させられ、一村が藩吏によって焼き払われたという。
 ・・それでも、念仏信者たちは『かくれ念仏』として、秘密裏に、京都の本願寺とつながりを持ち、約250年以上?の間、この組織は無くなることはなかった。
 あまり、知られていない話だが、僕は信仰というものの持つ[凄み]を感じた。
 これを『紙芝居』にしたい。
 実際、九州にも取材に行きたいので、この紙芝居はゆっくり作ろうと思っている。
 主人公は、本当に実在し、刑死した農民[伝助]にするか、はたまた、ルポルタージュ形式にするか、今思案中である。 乞うご期待!
 

宗教って、何?

 ・・この前の法要の時、息子が久々にお寺に帰って来て、食事をしながら僕に聞いた。

 「お父さん、宗教って、現代人にとって、何の意味があるんやろ?」と。

 難しい事、聞きよんなぁ・・と思いながらも、今、サラリーマンをやって悩んでいる息子の想いが、ビシビシ伝わって来た。
 僕は言った。
 「これは、お父さんが常に思っていることやねんけど。・・宗教とは、心を自由にする手段やと思うねん。
 ・・鳥のはばたきや。鳥が自由に空に飛ぶように、こころが羽ばたくねん。・・そんな手助けやと思う。
 だから、心を狭めるような教義などは、自由になることから真逆やと思うので、お父さんはそれは宗教やと思わない。」と言った。
 すると、「じゃ、お寺の存在意味は何?」と、ぬかしてきよったで、ごじゃりまする。
 僕は「心の解放を、手助けする場所や。だから、お父さんはお寺を使って、歌のコンサートとしたり、お芝居をしたりもするねん。もちろん、紙芝居もそんな気持ちで作って演じている。・・百の説教よりも、一つの歌が心に残ったりすることもあるやろ。どんな説教よりも、一枚の絵が心を癒すこともあると思うねんで。」と言った。
 「・・ただし、それはお父さんが勝ってに思ってることやで。」と、付け加えた。
 
 「ふーん」と言って、この息子との会話は終わったのが、僕は本当にそう思っている。
 さて、息子は何を思ったろう?

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