住職のつぼやき[管理用]

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なぜ、仏教徒なのに「ダンテ」の『神曲』を描くのか?!

ファイル 372-1.jpg (ダンテ像:「ラファエロ画」)
 先日、論文を書くための取材にやって来られた『駒澤大学』の学生さん達に聞かれた質問がある。
 それは、「なぜ、仏教徒なのに、キリスト教がバックボーンにあるダンテの『神曲』の〔紙芝居〕を作ろうと思われたのですか?」という、質問であった。
 それに対して、僕は三つの答え(想い)を返した。

 一つは、仏教の『死後の世界』「往生要集」の紙芝居を作り始めた時、当然の如く、では、西洋(キリスト教圏)の『死後の世界』はどうなっているのだろうか?と自然と興味を持ち、そんな紙芝居も作りたくなったからである。そんな個人的欲求から作ろうと思った、これが一つ目。

 二つ目は、老人ホームに「お寺の出前」に行く度に、お年寄りに聞かれる質問として、「死後の世界は本当にあるのですか?・・いや、解らなくても良いから、どんな世界観が宗教の中に伝わっているのかを教えて下さい。自分自身のおこなってきた事を振り返る度に、私は怖くなるのです・・」という問いに対しての答えとして・・、現代の情報の一つとして、キリスト教圏の『あの世観』も一応、お伝えしておこうと勝手に思った。これが二つ目。

 最後、三つ目。・・これは、何年か前にアメリカ映画『最高の人生の見つけ方』という「ガン末期の初老の男達」の映画を見たことが動機となっている。
 この映画の主人公である〔ジャック・ニコルソン〕扮する、大金持ちの実業家が、会社の重役会議の中で、自分の余命が後わずかな事に悩んで、会議中に突然、叫び出すのである。
「誰か、この役員の中で、ダンテの『神曲』を読んだ者はおるか?・・居るならば、どんな内容か、私に教えてくれ!」と。
 当然、この叫びに会議場は静まってしまう・・という、わずか2~3分のシーンなのであるが、この場面が、こんな仕事をしている(どんな仕事や?!)僕に取って、強烈に頭の中に印象付けられたのである。・・「そうか、西洋人の死後の世界観は、現代でも『神曲』なんや!」と。
 長くなってしまったが、この三つが入り混じり、熟成され、『神曲』の紙芝居を作ろうと思った僕の動機となったのである。

 ・・さて、パソコンが故障してしまったがゆえに、『紙芝居』は『地獄界』の終わりで中断し、今だ、ダンテは、死後の世界を彷徨ったままだ。
 なんとか、早く発表し終えないと、又、僕の夢にダンテが出て来て、大阪弁で「はよ、何とかせんかい!」と僕を脅すであろう。
 なるべく早く、ダンテを『死後の世界』から、救いたいと思っている!

PC故障中の「出前」について

 PCが故障してから、築地本願寺に「出前」に行ったことは先日、書いた。
 今日は、それ以後の「出前」について、少し述べてみたい。

 東京から帰ってきた次の日は、近くの檀家さんのお宅の前の小さな『お地蔵さん』にお参りをし、その後、そこのお家で、近所の子供たちを集めて『紙芝居法話会』を開いた。この日の演目は、落語の『じゅげむ』をやった。初めて「紙芝居」を見る小さい子供も居て、引率のお婆ちゃんたちも一緒に多いに盛り上がった。

 その次の日から一週間、僕は京都の西本願寺に「布教使」という資格を取る為の研修に行っていた。
 帰る際、先生に「又、頑張って来いよ!」と言われたので、おそらく試験は落ちていると思う・・。(結果発表は来月なのだが、このセリフはある意味、残酷な先行通告だった。又、頑張るとする。ショボン・・(涙))
 
 京都から帰ってきて休む間もなく、その次の日は『特養ホーム白寿苑』内で、〔盂蘭盆法要〕を行った。
 今年も、去年の夏から一年間で、苑内で亡くなられた方は、30名以上おられ、その遺族会の方々も来られ、お名前をお一人お一人拝読しながら、ご一緒に読経して、亡くなられた方を弔った。その後、短い「法話」をして、みんなで、職員によるギターとバイオリンの生演奏の伴奏で、「千の風になって」と「涙そうそう」を歌った。
 
 そして9月が始まり、先日、大阪市東成区にある「グループホームゆおびか」に、「紙芝居法話」に行ってきた。
 こちらは今回で、二回目の「出前」となり、皆さん、僕の顔を覚えて下さっていた様で、嬉しかった。
 この日は、「早いこと(あの世から)お迎えが来て欲しい!」とばかりおっしゃる百二歳の女性入居者の方に、僕は心を向けて、「仏教では、死をどう捉えるか?」という話をして、定番の「ゴータミー」の紙芝居をした。「又、来て下さいね」と帰り際、この方が、言ってくださったので、僕はホッとした。

・・以上、こんなトコか。 今年の夏も忙しかったと思う。
 もう夏も終わってしまったが、少し遅い〔夏休み〕を取りたい!・・・でも無理か? でもでも、PCが直ったから良いとするか!

「築地本願寺ライブ」への出前

ファイル 369-1.jpg (東京:築地本願寺)
このパソコンが壊れて二日後(8月22日)、僕は娘(荷物持ち)をつれて、東京の〔築地本願寺〕に、『紙芝居法話』に行って来た。
 その目的は、『本願寺ライブ 他力本願でいこう!2009』に出演する為であった。
 このライブの開催目的は、企画書によると「・・普段、寺院や仏教とかかわりが少ない一般の人々、特に20~30代の若年層を対象に実施し、ライブだけでなく、法話や法要を通して、仏教に直接触れる機会を設けるのが目的である」とある。
ファイル 369-2.jpg(特設ステージ)
 そして、僕の「出番」はというと、境内に作られた(巨大なテント)の中の特設ステージで、歌手の方々の歌や演奏の合間に、『仏教紙芝居』を二回演じることであった。
ファイル 369-3.jpg(足湯コーナー)
 面白いアイデアだと思ったのは、ステージ前に『足湯コーナー』の設置であり、これは『長野県渋温泉』から直接運ばれてきた本場の温泉で、そこに足を浸けながら、ステージが見れるという、初めての試みであった!
 皆さん、炎天下、(お湯もけっこう熱いのに・・)足をつけながら、じっくり歌や話を聞いて下さっていた。(本当に有難うございました!)
 又、僕の『紙芝居』の後は、歌手の『コーヒーカラー』がヒット曲「人生に乾杯を!」を熱唱され、ファンの僕も思わず歌を口ずさんだ。
ファイル 369-4.jpg(『コーヒーカラー』と記念撮影)
 そして最後は、本願寺前でご一緒に記念写真を取って頂き、(おのぼりさんの僕にとっては)本当に良い思い出となった。
 暑い暑い、東京での「出前」であったが、今振り返ればとても楽しい「お寺の出前」であった。

ちょうど良いロウソク

ファイル 341-1.jpg

 先日、知り合いの仏具屋さんに行って、「何か、おもろい《新製品》は出ましたか?」と、冷やかし半分で尋ねると・・、
「ちょうど良い長さの新製品ロウソクが出ましたよ!」と、少々興奮気味に教えて下さり、見せてもらったのが、(写真)真ん中のロウソクである。
 《8分ロウソク》という・・らしい。(燃焼時間8分間!)
その店長の興奮に、僕も答えないと悪いと思い、「えっ、そうなんですか!」と一応答えた。
 これは、今までにはない、ちょうど良い読経時間のロウソクらしい。
 ちなみに右端のは、《5分ロウソク》、これは短すぎる。
 そして、左端が今までの《20分ロウソク》、これは長い。(・・月参りの読経では、これは確かに長い!)
 やはり、《8分ロウソク》は今までにない、画期的な新製品だったのだ!(ちゅうと半端や、・・おまへんで!)
 どうして今まで気づかなかったのか?・・8分というこの長さに。
 「・・別に、そんな事どうだっていいじゃない」と、言われそうだが、(確かにそうかもしれんが・・)僕等にとっては、これは一大発明だったのだ!・・でも、やっぱりどうでも良い事か?・・でも僕は買った! 店長に悪いと思って・・。

 

こんな「お布施」の袋、初めて見た!

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(写真)は、先日お参りをさせて頂いたお家の方から頂戴した「お布施」の袋である。
 「お布施」という文字の変わりに「お世話さまでした」と印刷されてある。・・はたして、僕は仏様にお世話したのだろうか?
・・・思わず笑ってしまい、楽しい気分になったので写真を撮り、掲載しました。
 檀家さま、こちらこそ、お世話さまでした(笑)・・以上

僧でもあり、俗でもある・・

僕は「僧でもあり、俗(人)でもある」。
お経を称え「お布施」を檀家さんから頂き、それで生活し、たまに悩みや愚痴も聞き、僕も言い、一般人と同じように泣き、笑い、悩み、家族を養い暮らして居る。
 だから、仏に仕える(職業)僧でもあるが、一般(社会)人でもあるのだ。
 ある意味、開き直っている生臭坊主なのだが、僕はそれでいいと思っている。

 僕は親鸞聖人とは違う。(「当たり前じゃ」と突っ込みが入りそう) とても真似できない。
 この聖人のお言葉に『(私は)僧にあらず、俗(人)にあらず・・』というのがある。「ワシはエエかっこしいの坊主じゃないぞ!・・といっても、パッパライケイケその場しのぎの社会人でもないぞ!」といった叫びのようなものなのだろうか?
「それじゃ、あなたはいったい何モノなの?」と、又つっこみが入りそうだが、お聖人が言われたこの言葉の真意はもっと深いと思う。
 きっとご自分の心の奥底から出た叫びのような、自負心の塊のような言葉ではなかったろうか?
 僕はそんな風に感じるのだ。・・なかなか、こんなことは言えないし。
 勇気と信念を持って90年の生涯を生き抜かれたお聖人。 
 とても、とても、真似はできない。だからこそ、親鸞さんは『上人』ではなく、『聖人』なのだろうな。   宮本直樹使用人のつぶやき、いや戯言でした。
 
 

名言:「明日できることは、今日しない!」

 昨日の晩遅くまで、頼まれた原稿を書いていた。
 この原稿は、今月末までに書けば良いのだが、僕はギリギリになって慌てるのは嫌なタイプなので、一生懸命にやっていた。
 すると妻が、ポツンと一言・・。
「そんなにコン詰めても、エエもん書かれへんよ。早く寝なさい。・・私の仕事の同僚がいつも言ってるで、『明日できることは今日しない』と。」
 それを聞いて僕は思わず、「へーっ、その人どんな人なん?悟ってはるの?」と言うと、妻は「いいえ、ただの残業嫌いの人。でも彼女、すごい哲学的な人やで!」と言った。
 「その言葉気に入った!今日はもうしんどいから寝るわ。『明日できる事は今日しない!』か・・。ほんまエエ言葉やなぁ。味わって寝るわ」と言って、自分を甘やかすにはピッタリのこの言葉を、僕は布団の中で何度もつぶやいた。

落語の元祖のお坊さん!? 

ファイル 319-1.jpg (安楽庵策伝)
「《笑い》って、とても大事なことだ!」と、常日頃から思っている・・。
『お寺の出前』に、施設や病院に行かせてもらっても、ステキな《笑顔》《笑い》の絶えない会場は、とても話やすい。そして雰囲気も良い。
『(仏教)法話』をするにも、絶対に《笑い》の導入(ジョーク・ユーモア)が不可欠である・・と思っている。
 それをすでに『戦国(安土桃山)時代』から、実践されているお坊さんがいる。
 『落語の祖』と云われている〔安楽庵策伝(アンラクアン サクデン)〕さん、その人である!
 この方は、非常に多彩な方で、茶道にも精通されている。
 でも、やっぱりこの方と言えば、〔元祖・笑いのネタ本〕と云われる『醒睡笑(セイスイショウ)』の作者であることが有名であろう。
ファイル 319-2.jpg
 このネタ本、すべて〔オチ〕が付いているから凄い!
〔策伝〕さんの、この本を読んでいると、現代の〔お笑い〕を見ているような錯覚がおこる。
 たとえば、〔策伝〕さんの俗名は、〔平林(ヒラバヤシ)〕という名前なのだが、自分の名前を使って、〔小話〕を書いている。
 その 一部を、(少し脚色して、)述べてみると・・・、
「・・一人の文盲の人が手紙を預かったが、(『平林』という)宛名が読めない。そこで、道行く人に手紙を見せて聞いてみると、皆が違う読み方をして、この主人公をさらに迷わせ、笑いをさそう。或る人は『たいらばやし』と読み、又ある人は『ひらりん』と読む。そして『いちはちじゅうのもくもく』又は『ひとつとやっつで、とぅきっき』と文字を分解して読む者など、ドタバタ劇は続き、最後に、あて推量では、何も当たらぬ」とオチを付ける。
 これに、さらに尾ひれを付けたモノが、『平林』という落語である。
 今、この話の『紙芝居』化を練っている。近々、発表します!
 

『三人党』の思い出

 高校から大学時代にかけて、とても仲の良い友達が二人居た。
 ・・今から30年近く前、ずいぶん昔の話だ。
 名前を出すのも恥ずかしいので、仮に〔G空〕と〔O上〕としておく。
 〔O上〕は軽音楽部。僕は陸上部。そして〔G空〕は帰宅クラブ(・・笑)と、皆、それぞれ考え方も趣味も違っていたが、とてつもなく気が合った。
 〔G空〕と〔O上〕と僕の三人は、『三人党』という名のミニサークルを作って、日本中を旅行して回った。
 もちろん、学生時代なので、「暇はあるけど金はない」。
 だから、とにかく、授業はそこそこ出るだけで、バイトばかりして金を貯めた。
 そのバイトも、〔O上〕は、テレビ局の下請けのその又下請けのバイトをやり、僕は〔本屋〕や〔ファンシーショップ〕の店員、〔清掃屋〕や〔ぬいぐるみ〕の中に入って子供に風船を配るバイトなどし、〔G空〕は、食堂の皿洗いや、新聞配達などした。そして、その稼いだお金で、春休み、夏休み、冬休みと、ユースホステルを使って、長期の旅行ばかりしていた。
 七日間で九州を一周したり、東北にも、東海道も、北陸にも、山陰・山陽、日本中のあちこちを回った。
 お金が勿体なかったので、朝は四時頃からユースを出発し、次のユースに着くのは、僕等一番が遅かった。(いつも、ユースの方に嫌な顔されたなぁ・・)
 又、朝食代を浮かせる為に、ユースの晩ご飯を多めにもらい、それをオニギリにして、次の朝、食べながら走って移動した。
 いつも強行軍の日程を計画する為、どの旅行でも、途中熱を出して倒れる者が出るし、財布や切符を無くしたりして、計画はむちゃくちゃになったが、それでも楽しかった。

 そして、月に一度の空いてる土・日には、〔私鉄沿線〕大旅行と称して、近畿の《私鉄沿線》をすべて歩いて制覇するという計画も立てて、決行した。
 〔阪急・阪神沿線〕だけは、すべて歩いたが、〔京阪沿線〕の途中で、皆が、学校を卒業してしまったので、(いや、〔G空〕は留年したなぁ・・)〔私鉄沿線〕制覇は、中途半端に終ってしまっている。
〔近鉄〕も〔南海〕沿線もやれなかった。

 今、〔O上〕は、二人の子を持つサラリーマン。〔G空〕は、独身の派遣社員。・・そして僕はお寺の住職になったが、・・いつか老いぼれに成って時間が出来たら、又〔老いぼれ三人党〕を結成し、私鉄沿線大旅行の続きを決行したいと、(密かに、僕だけ)思っている。(いや、みんなきっと、やってくれるだろう!)

お寺の番犬!『ポッキー』

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 上の写真は、うちのお寺の番犬『ポッキー』である。
 正式名は『宮本ポッキー』という。(動物病院の診察券に、そう記されてあった)
 この犬、白と黒色が交じり合うメスの柴犬で、チョコレート菓子の『ポッキー』を連想してしまうというので、僕の子供たちがそう名づけた。
 ・・今、10歳である。(すでに老犬である)
 『ポッキー』は、こちらのお寺に入寺した時、知り合いの方に頂いた犬で、元は捨て犬だったそうだ。
 拾われた子犬の時、すでに『クロ』とか『ポチ』とか、そういう名で呼ばれていた様で、今でもそう呼ぶと振り向く。
・・で、今日は、この犬と『紙芝居』の事を少しお話したい。

 僕の書く『紙芝居』に、犬が登場する場合、たいてい、うちの『ポッキー』がモデルとなって現れる。(身近にいるのでモデルにしやすい)
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 上の写真は『ポッキー』が古代インドに登場した場面。
 これは、「すべてのものは仏さま」という紙芝居で、『ポッキー』も仏さまとして、拝まれている貴重な一枚である。・・(笑)
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 これは、現代の日本の臨終の場面(ターミナル・ケア)の場面に登場した『ポッキー』。(真ん中で、亡くなっていく人を見守っている場面。)
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 そして、これは昭和20年の広島に登場した『ポッキー』。(主人公の女の子を見つめるが、この後『ポッキー』も原爆を体験してしまうことになる。・・・ただの通行犬キャラなので、その後の生死はまったく不明。)

 まだまだ、うちの『ポッキー』は、時代と国を超えて、あちこちで僕の紙芝居に登場しているが、・・どこで、どのように書いて登場させたか、作者の僕自身も忘れてしまっているので、(・・それぐらいエエ加減なキャラです)その内、出演しているトコ、また見つけたら書くことにします。 以上
 (出演料を払わなあかんなぁ・・)
ファイル 313-5.jpg (観念寺前での、弱番犬『ポッキー』)


 

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