住職のつぼやき[管理用]

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気の合う人、合わない人・・

 ・・とある〔老人ホーム〕で、先日あった話。
 僕は『紙芝居法話』をする為、昼過ぎ、その施設のホールに入った。
 そこにはすでに、7・8人のお年寄りの方が待って居られた。
 そして、一人の白髪の車椅子の女性が、衣姿の僕を見つけるとすぐに真横に来られ一言。「あのな~、私、あの人に殺されますねん。あの人、私を嫌って命狙てますねん」と言う。
 僕は思わず「はぁ~?」と言って、内心『この人、認知症の方やろか?』と思った。・・そして「あぁ、そうですのん」とだけ言って無視した。
 ・・が、この女性、確かに(テーブルの向こうの)一人の女性だけを見て、おっしゃっている。
 そして、向こうの女性もこちらを睨んでおられる。
 罰が悪くなったのかどうかは解らないが、先の車椅子の女性は、僕が『紙芝居』をする前に、ご自分の部屋に帰ってしまわれた。
 そして『紙芝居』が終ったら、今度は、こちらを睨んでいた女性が僕の前に来て一言。「あの人、何を言うてはりましたか?」と聞いて来られる。
 僕は「さぁ~?」と誤魔化したら、この方、「私が殺すと言うてたのとちゃいますか?」と言われる。
 僕は「ちょっと場所を変えてお話しましょか」と言って、少し場所を移してお話することにした。
 女性は続いて、「私はこの施設では新参者や。あの人は一番古い。そやから、何かと私を苛めるんや。・・この前もちょっと違う席に着いただけで、『そこはあんたの席と違うで!』と噛み付いてきたんです。私、腹立ったから言い返しましてん。そしたら、それからずっと『殺される』ばっかり言うて、睨みますねんあの人・・、嫌で堪らんわ。」
 僕は「そうですのんか。嫌な思いをされてますのやなぁ。・・でもね、あの人、ちょっとわけが解らんようになって、心にもない事を言ってるんやと思いませんか?」と言うと、「解ってますねん。解ってますねんで・・。でも、しんどいんや」と、目をキョロキョロ、ウルウルさせながらおっしゃった。
 「この人、相手が認知症やから仕方がないと解ってはるんや」と、僕も判ったのだが、どうすることもできない。
 すると、一人の男性がさっと横にやって来て一言、「この人、わしの死んだ嫁さんに似てますねん。綺麗やったわー。」と、救いの声を上げてくださった。この一言で、「まぁ、冗談ばっかり。いややわぁ」と、この女性の機嫌は少し収まった。
 僕は、この小さな(15人程の)世界でも、『気の合う人、合わない人』がいる。・・そして、ちゃんと『心のサポートをしてくれる役割の人』もいると、改めて『人間社会』の仕組みを学んだような気がした。
 ・・帰り、ちょっと気になったので、僕は上の職員さんに、先の女性の事をお話し、この二人を別々のフロアーに離すことはできないかと、お話してみたが「今の苑内状況ではそれは難しい」と言われた。
 「仕方がないのか・・」と、わざと大きな声で呟いて僕は帰ることにした。
 

〔大きなカバン〕の中身?

 僕は、〔ご法事〕の読経に行かせてもらう時は、たいてい大きなカバンを持って出向いている。
 カバンの中には〔お経〕の本がたくさん入っているのである。
 それは、皆さんと共に〔お経〕をご一緒に称える為である。
 ・・で、これはこの前の日曜の〔ご法事〕のエピソード。
 この日も、大きなカバンを持ってお部屋に入ると、すでに10人ほどのご親戚の方が集まり座っておられた。
 その中のお一人が、僕のカバンを一目見るなり、「大きなカバンでんなぁ~。住職さん、その中にはたんまり現金が入ってますんやろ~?」と言われた。
 皮肉とも冗談とも取れる、きわどい質問だと思うのだけど、案外僕はこんな会話が好きな方で、すぐに「そうやったら、嬉しいのですけど、・・残念ながら、もっとすごいエエもんが入っているんです。お経ですわ!」と、バサバサッとお経本を取り出し配った。
 この方、まだ食い下がって、「でも、帰りはガッポリお金を持って帰られるんでしょう」とくる。
 「それは皆さんのお心持ち次第ですね。僕は遠慮しませんので、頼みまっせ。ほな、読経しますよ。六ページを開いて下さいよー」と言った。
 でも、この方、これぐらいでは引き下がらない。
 「あのー、すみません。途中の写真撮影はOKですか?」と切り返された。
 僕は「・・いったい、何を撮られますの?」と聞くと、
「いや、みんなの読経風景を撮りたいと思いまして・・。もちろん住職さんは一番に撮らせてもらいます」と、こられた。
 僕は「撮る時は、にっこり読経顔が良いか、まじめ済ました読経顔が良いか、変化させますんで言ってくださいや。どっちのパターンのご要望にも応じますから」と言ったら、・・さすがに、この方笑われて、「・・わかりました。表情はお任せします。それではこっちは勝手に良いタイミングをみて撮らせてもらいますわ。ハハハッ」と笑われた。(くいさがって来られたのは、ここまで。これ以上何か言ったら、他の親戚に何か苦情を言われると思ったのだろう。静かになった。・・が、しっかり移動しながら写真を撮られていた。)
 読経も終って、僕はお茶を頂きながら、この方に、「さっき撮られたお写真どうされるのですか?」と聞くと、
「明日の朝刊のトップを飾ります!」ときた。
 その返答が、おもろかったので、僕は「どうせなら、四大新聞全部に投稿を頼みまっせ。 載ったらお布施の一割をキャッシュバックしまっせ!」と返して、笑いながらそのお家を後にした。

NHK『わくわくラジオ』の思い出

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 昨日、探し物をしていたら、昔の『アルバム』が出てきて、つい時間を忘れ、感傷に浸ってしまった。
 中でも、この写真は思い出深い一枚である。
 これは、NHKのラジオ番組『わくわくラジオ』が、「お寺の出前」をやってる〔お寺〕の紹介をしたいと、電話依頼があった為、僕は「それならいっそ、『出前現場の風景』を生で放送されたらいかがでしょうか?その方がリアルに「出前」が伝わりますよ」と提案させてもらい、・・それが了承され、(取材の老人施設の了解も経て、)生放送されている一枚の写真なのである。
 特にこの一枚は、NHKアナウンサーが、この日の「出前法話」も終わって、入居者のお一人に感想を伺っている場面で、・・・ラジオなのに、皆お化粧をされ、良い服を着て来られ、『外ゆき言葉』で、感想をうまく述べられ、僕はつい横で聞いてて、可笑しくて笑ってしまったのだ。それが今もリアルに思い出すのである。
 このお写真の中で、お亡くなりになられた方も多く、寂しくもあるが、今もその時の可笑しな緊張感と懐かしさが、この一枚を見れば甦るのである。

失くした〔アトム〕の『サイン色紙』

 先日、小学校へ「紙芝居の出前」に行った時、その帰り、一人の小学生から「ここにサインをください。」と、小さな〔手裏剣〕の折り紙と鉛筆を渡された。
 ・・本人曰く、「紙芝居」に感激したらしい。(しかし、ただのサインマニアかも? テレビの見すぎかも?)
 折り紙の〔手裏剣〕というのが、少し気になったが、気をよくして、僕はそこに『○○君へ 紙芝居のおっちゃん、宮本直樹』と小さくサインしてあげた。
 「ありがとうございます!」と言って、その子は元気よく走っていった。(あの手裏剣きっと、どこかに飛ばされてしまうのやろなぁ・・)
 その後ろ姿を見ながら、僕も昔、漫画家の《手塚治虫》先生にサインしてもらった時の事を思い出した。
 ・・それは、僕がまだ小さい時、『鉄腕アトム』の大ヒットがあり、《手塚》先生は、大阪のとあるデパートに、サイン会を開きに来られたのである。
 アニメ好きの僕は、並んで『アトム』の絵の色紙に〔サイン〕をしてもらった。
 そして、そこに『宮本直樹君へ 手塚治虫』と名前まで入れて書いてもらった。(今から考えたら、『サービス精神』旺盛な時代であった。)
 ・・それで、その後帰って、あっちこっち押入れの中をひっくり返して、その『色紙』を探したのだが、結局、見つからなかった。
 きっと、こっちの寺に引っ越して来る時、間違って捨ててしまったのだ! ・・僕は落ち込んだ。あれは大事な〔宝物〕だったのに・・。名前まで入ってたのに・・、残念。
 しかし、代わりに違う〔サイン色紙〕が出てきた。
 それは、『帰って来たウルトラマン』の〔サイン色紙〕であった。
 薄っすらと覚えているのだが、これもデパートで、着ぐるみの『ウルトラマン』に〔サイン〕してもらったものだと思う。(僕への名前は無かった)
 ・・が、その色紙には『かえってきた ウルトラマン』と書かれてあって、思わず苦笑してしまった。
 普通、自分の事を『かえってきた』なんて書くか?!そんな奴おらんぞ~(でもおもろいから、座布団一枚!)
 ・・が、僕も『紙芝居のおっちゃん』と、自分の名の前に書いてしまった。(誰か、ぼくにも座布団一枚頂戴!)

夜の《法話会》は、帰りが寂しい・・

  特養老人ホーム『白寿苑』での《紙芝居法話会》は、毎月、夜の7時から始めている。
 それは、「・・皆さん、お風呂に入って、ご飯を食べた後、コレといってする事がなく(退屈で、)夜中、(不安な気持ちも起こり)よく眠れないらしいのです。・・ですから、出来る事なら、夜に《法話会》をして頂きたいのですが・・。願わくば、その日がゆっくり、安心して休めるような話をして頂けたら、有難いのですが・・。」と、施設長からのお話があった為である。
 それで、毎月、夜の『法話会』を続けて、14年が経ったわけだ。
 夏は良い。・・夜の7時半ぐらいに終って、帰る仕度をしていても、まだ外は薄明るいから。
 しかし、冬の七時半の外は、暗い。
 帰りが寂しいのだ。・・1時間半を掛けて、田舎へ帰る道がよけいに寂しい。(だんだん、ネオンが少なくなってゆくからだ。・・又、たまに道の凍結もあって、恐いと思う事もある)
 〔夜〕の法話会の時間を、〔お昼〕に変えてもらおうかと、最近よく思うのだが、夜には夜の良いトコがある。(ゆっくり会の時間が流れて、回りが騒がしくない。・・これは良いとこだ。又、会が終ってからの個人的なお話がある方にも、ゆっくり応対できる。)
 ・・施設のお年寄りの方に、会が終った後、「住職さん、これで今日一日、ゆっくり眠ることができます。ありがとう」と、言われたら、やっぱりこれは〔夜〕にやるべきだ!と思ってしまう。
 安全運転に気をつけ、(寂しさに負けず・・〔笑い〕)もうしばらくこのまま続けるか・・。ボヤキでした。

気の毒だけど、笑ってしまった話・・

 先日、弟から聞いた『気の毒だけど、笑ってしまった』話・・。

 弟が電車に乗って帰宅途中・・、一人の(メガネを掛けた)酔っ払い中年男性が、車内に乗って来た。
 その男性、気分が悪くなったのか、次の駅でドアが開いた時、顔だけ車外に出して深呼吸をした。
 その時、(無常にも)ドアは閉まり、顔は両サイドからのドアに挟まれた。
 男性はあわてて顔を引き抜いたが、〔メガネ〕だけがドアに挟まれたまま、空中に残った。
 男性は急いでメガネを取ろうとしたら、又ドアは開き、(無情にも)メガネは、電車とホームの隙間に落ちていった。
 そして、電車は(無情にも)発車し、その男性、後ろを向いて、(弟も含む)乗客たちに「メガネが、メガネが・・・」と言ったが、誰もどうする事もできず、(弟を含む)皆は、下を向いたまま肩を震わせ、笑うのをじっと我慢していたらしい。
 ・・気の毒だけど、誰もどうする事もできず、ただ可笑しく、笑ってはいけないという気持ちをじっと我慢し、耐えたという事だ。
 しかし、「笑う事」に耐えられぬ者たちは(弟を含む)、そっと隣の車両に移って行き、笑ったということじゃ・・。

 ・・さて、皆さん、「忘年会シーズン」は今が真っ盛り。飲みすぎと電車のドアの開閉には、くれぐれもご用心、ご用心・・。
 
 

「マニア」って何?

 今、一つの言葉が自分の中で、ずっと引っ掛っている。
 それは「マニア」という言葉の意である。
 ・・先日、或る〔研修会〕で、うちの宗派の熱心なご門徒(信者)さんが、ご講師の先生に一つの難しい質問をされた。
 (質問内容は忘れたが、)その時、隣の住職さんが僕に「あの人は〔浄土真宗マニア〕やから・・。熱心なことやねぇ。」と(ちょっと皮肉っぽく)言われた。
 その時から、「〔マニア〕って一体何やろか?」・・と思い始めたのである。
 辞書にはこう書いてある。
〔マニア〕=ギリシャ語で『狂気』のこと。(普段から自分の得意とする専門分野に没頭する生活習慣を持つ人物のこと。)又、(特定の事柄ばかりに熱狂的な情熱を注ぐ者。) 日本では『オタク』とほぼ同意に用いられることがある。
 ・・・とある。
 そうか、〔マニア〕と〔オタク〕は、同意やったんや。
 「でも、待てよ。」 僕等は〔浄土真宗〕の僧侶や。つまり、その道の専門家ではないか!?・・僕等こそ、〔マニア〕に成りきらなアカンのと違うやろか?・・それを「あの人は〔マニア〕や!」と言うのは、「自分は、これでご飯を食べてますけど、〔ど素人〕でんねん。」と言っているのと同じにはならないか?
 そんな事を思っていると、あの〔マニアびと〕がちょっと羨ましくなった。
 どう頑張っても、僕は〔真宗マニア〕には成れそうもない。
 冷めた自分が、常に自分の中に居て〔マニアック〕に成れないのである。
 僕は浄土真宗の僧侶としては、ずっと〔ど素人〕で生きていくのかもしれない。
・・あぁっ、願わくば〔紙芝居マニア〕ではなく、〔仏教マニア、真宗オタク〕と呼ばれてみたい!

《3人の精霊》と《三人の御仏(ミホトケ)》 ~仏教版『クリスマス・キャロル』

ファイル 417-1.jpg(「クリスマス・キャロル」のパンフレットヨリ)
 この冬の(クリスマス)シーズンと、(相反する)夏のお盆シーズンに、よく演じる一本の『紙芝居』がある。
 それが、チャールズ・ディケンズの名作「クリスマス・キャロル」を無理やり、時期を〔お盆〕に変えて、仏教:日本昔話にした『極楽讃歌』である。
ファイル 417-2.jpg(「極楽讃歌」の表紙)
 この僕の大好きな「ディケンズ」の名作。是非、紙芝居化しようとは思っていたのだが、日本のお年寄りはまだクリスマスに好意を持っておられない方が多い。(老人ホームでアンケートを取った結果解った)
 ・・それで、このクリスマスの話を、なんとか日本風に変えてやろうと考え、『日本の〔クリスマス〕って云ったら、なんといっても〔お盆〕でしょう!』と(勝手に)結論を得て、時代も江戸時代にして作った。そして、主人公の〔スクルージ〕という名も〔スグベエ〕に変えた。(今思えば、この方法はグッドアイデアではなかったかと勝手に思っている〔笑い〕)
 さて、ストーリーはこのHPの『出前メニュー』の欄を見ていただく事にし割愛し、今日はこの『クリスマス・キャロル』に出てくる〔3人の精霊〕の話をしたい。
 原作では、この精霊達は〔過去〕・〔現在〕・〔未来〕を司る《霊》として登場する。
 これを『仏教版』にするにはどうすれば良いか?
 それで思いついたのが、仏教の〔三人の御仏〕であった。
ファイル 417-3.jpg(過去に現れた『釈迦仏』)
 仏教では〔過去〕に、『釈迦仏』という《御仏》が現れ、我々を教え導いた。・・だから、この仏様に過去を司る《精霊》の役をやってもらった。
ファイル 417-4.jpg(現在を守る『地蔵菩薩』)
 そして『釈迦仏』が亡くなってから、56憶7千万年後に現れると予言されている〔未来〕の仏『弥勒(ミロク)菩薩』までの『つなぎ』役として、〔今〕の我々を守ると云われている『地蔵菩薩』に、〔現在〕を司る役をして頂いた。(ついでに、空も飛んでもらった)
ファイル 417-5.jpg(未来の仏『弥勒菩薩』)
 そして最後に、今お話した未来に登場すると云われている『弥勒菩薩』に〔未来〕の霊の役をして頂くことにした。
 こうして、紙芝居作者の独断と偏見にて、《3人の精霊》は、《三人の御仏》として、見事に変わったのでございました・・とさ。お時間です。 おそまつ。

もう一つの「杜子春」のラスト ~「杜子春伝」より

 唐大伝奇の「杜子春伝」のラストを、芥川「杜子春」と比べて、「紙芝居」の『エピローグ』として書きたくなったので、「おまけ」として書きます。

 ・・場面は、「杜子春」が死んで、閻魔様の裁きを受ける所からです。
 閻魔大王「お前は、ほんにしぶとい奴じゃのう・・。よーし、それでは今から、お前を女として人の世に生まれ変らす事にする!」
 こうして「杜子春」は、ミス「杜子春」に生まれ変わり、結婚もして、子供も一人授かりました。
 しかし、今だ〔仙人〕との約束を守り、一言も喋らぬ「杜子春」。(まだ守るか~)
 そして、何も語らぬ「ミセス杜子春」に、ついに夫は、ある日逆上し、「しゃべらんなら、こうしてやる!」と、自分の子供を庭石に叩きつけて殺してしまうのです。(ヒェー、残酷!幼児虐待や!)
 その時、始めて悲しみの余り、ミセス杜子春は、「あぁっ」と一声発してしまい、〔仙人〕試験に失敗してしまうのです。
 そして、この後、芥川作品のような流れに戻ります。
(唐大伝奇では、この〔仙人〕。けっこう癖のある〔『不老長寿』の薬作りをしたがってるような〕変なジイさんです。 仙人は、『不老長寿』の薬を作る為の材料の一つとして、『(ミスター・スポックのような)感情無し人間』が必要だったので、わざと杜子春に大金を与え、うまく誘導して、仙人になりたいような気持ちにさせたのです。・・いわゆる杜子春は、仙人にうまくハメられた訳なのです。 僕はこの仙人は、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の博士のような感じがしました。(映画の博士は善い人ですが・・)・・以上、余談)
 ・・横道に逸れてしまいましたが、つまり、芥川作品では「子が親を思う」テストになっていますが、唐大伝奇では「親が子を思う」テストになっているのです。
 (・・ひょっとすると、実の母親との仲がうまくいってなかったと云われている〔芥川〕氏。 このように変えたのは、自分の心の叫びだったのかもしれませんね。・・これも余談ですが。)

これが「お寺の出前」用の〔オカモチ〕です!

〔岡持ち(オカモチ)〕とは?
・・辞書で引くと「料理を運ぶ、手とフタの付いた浅いオケを云う。今ではラーメン屋さんが使う箱型〔岡持ち〕が有名。出前に使う入れものの事」・・とある。
 と、いうことで、やはり「お寺の出前」にも〔オカモチ〕は必要と感じ、(笑って頂いて結構です)この度『お寺の出前』用〔オカモチ〕を作った。(写真参照)
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 この中に、大阪で云う〔あめちゃん〕を入れて、紙芝居を持って、「お寺の出前」をさせて頂く!
 やはり「紙芝居」といえば、「飴(あめ)」ちゃん(大阪では飴に「ちゃん」がつくのだ!)であろう。(そういえば、甘酸っぱいスルメも「紙芝居」屋さんは商品として持ってたなぁ・・)
 これで益々、僕は本来の『僧侶の姿〔形〕』から、遠のいていくような感じがせんでもないが・・・。
・・でも、楽しんで頂けたら本望です。まいどあり~。 合掌

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