住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『泳げ!夢応の鯉魚』(その3 最終回)

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「・・私は、高熱であまりの苦しさに気を失い、気がつくと私の魂は身体を離れ、なんと琵琶湖の辺りに立っておりました。
そこで私は裸になり湖に飛び込んだのです。
・・初めて泳いだ湖の底。とっても気持ちが良いものです。
その時、魚の神様が突然現れて、私に話しかけられたのです。
「ギョギョ、いつも我々を助けてくださって、ありがとうギョざいます。そのギョ恩に報いる為に、この金色の鯉の着物を差し上ギョます。・・ただし、釣り針には気をつけてくださいね。ギョギョギョー」と。
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それから、金色の鯉になった私は、この大きな琵琶湖の素晴らしい景色を味わい堪能して泳ぎ回りました。
しかし、あまりにお腹が空きすぎて、目玉がぐるぐる回っちゃい、たまにはエビでも食べなけりゃ、淡水ばかりじゃふやけてしまう〜。と、私は鼻歌を歌いながら、目の前のエビにかぶりついたのです。
・・が、それは小さな釣り針でした。
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・・やっぱり私は坊さんです。
少しクセある坊さんです。
釣り上げた漁師は喜んで料理人に手渡し、私はあなた方の宴会の席で、切られようとしたその瞬間、私は布団の中で目が覚めたのです。
 ・・が、これは夢か誠かわからぬので、あなた方においで頂き、お尋ねしたという事なのです。申し訳ございませんでした。・・でもこれで、あれは誠の事とであったとハッキリいたしました。ありがとうございました。合掌」
「・・おおー、これは何と不思議な話じゃろうか!我ら、今すぐ帰りましたら、食べずに置いたあのお刺身を湖に返すといたしましょう。」と言いつつ帰って行きました。
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その後、この興義というお坊さんは、ずいぶんと長生きをされ、さらに絵をたくさん描き幸せに暮らされたという事です。
・・ただ、このお坊さんの描いた鯉の絵は、いつの間にか絵の中からみんな逃げ出してしまい、今では一枚も残っていないという事です。おしまい

紙芝居:『泳げ!夢応の鯉魚』(その2)

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そんなある日の事。
興義は重い病気になりました。
そして、あっという間に亡くなってしまいました。
ただ、その遺体は息はしていないのですが、胸のあたりがまだ暖かいのです。
それで、弟子達は不思議に思い、埋葬せずに大事に寝かしておきました。
すると、三日目に・・・、
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突然、興義は息を吹き返し、布団から起き上がり、弟子達にこう言ったのです。
「おい、誰か!今すぐ、檀家の平(たいら)の助(すけ)殿の屋敷に行って、皆に『今すぐお寺に来てくだされ』と伝えてはくれんか!」と言いました。
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「急に何事ですか!?この宴会の途中に・・」と言って、平の助殿の皆は弟子の知らせを受けてお寺に集まりました。
そして、布団の中で興義はまず、皆に無礼を謝りこう話し出したのです。
「皆様、今から私は突拍子もない事を申しますが、どうかお許しください。
最初に・・平様、貴方さまは本日、宴会の為に、漁師から大きな金色の鯉を買われたのではありませんか?」
「ああ、はい。その通りでございます。」と不思議そうに答えました。
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そして興義は言い続けました。
「・・その鯉が来た時、お二人は囲碁をされ、もう一人は桃の実をかじりながらそれを見ておられた。」
「はい、全くその通りです。金田一興義探偵。」
「そこへ料理人が包丁を持って『おお、これは立派な鯉じゃ!お刺身にしましょう。』と言われた。・・そうですね。」
「はい、その通りです。でも何故?あなた様はまるで見た来たように知っておられるのですか?」
「その訳を今から、お話ししましょう。実は・・」つづく

紙芝居:『泳げ!夢応(むおう)の鯉魚(りぎょ)』[雨月物語]より(その1)

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(上田秋成作「雨月物語」より)
昔むかしの物語。
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滋賀の三井寺というお寺に、[興義(こうぎ)]という名前の大変絵の上手なお坊さんがいました。
「ああ、毎日毎日、ワシらは仏殿の、修行に明け暮れ、いやになっちゃうよ〜。」と、こんなお坊さんでしたので、暇を見つけては絵ばかり描いておりました。
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ただし、このお坊さんの描くのは、魚の絵で、それも鯉を好んで描くのでした。
又、その絵を描く方法も独特で、漁師が琵琶湖で釣って来た鯉を買い求め、絵を描いたのち、「もう捕まるなよ。」と言って、元の琵琶湖に返すのでした。
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ある日、この興義というお坊さんは、不思議な夢を見ました。
それは、自分が鯉になって自由に琵琶湖を泳ぎ回る夢でした。
興義は、その夢を絵にして、『夢応の鯉魚(むおうのりぎょ)』(夢で応えた鯉)と名付けて大切にしました。つづく

「石上露子と戦争展」in富田林市立中央図書館

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今、「石上露子を語る会」主催の『石上露子と戦争』パネル展が、富田林市立中央図書館で展示されています。
 僕の描いた露子さんの絵も、その中に二展ほど展示されていますので、よろしければ、おいで頂きご覧になってください。合掌

只今、制作中の紙芝居

只今、新作の紙芝居の制作に入っている。
 一本目は仏教もの『三人の尼僧』というお話。
 日本のお坊さんの始まりは『男姓』と思われがちだが、実は三人の『女性』、しかも少女たちであったという実話のお話。
 この作品の取材の半分ぐらいは終わっている。が、制作はまだ下絵程度である。
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(紙芝居『日本仏教のはじまり~三人の尼僧』)
 二本目は昔話もの『医聖 華岡青洲先生』。
 おそらく、乳癌麻酔の世界的トップランナー医師であろうと云われている人物のお話。
 この作品の取材は、和歌山や大阪の富田林などですでに終らせている。
 あとは描くだけなのだが、中々筆が進まない。おそらく今年の夏までには完成すると思うのだが・・、しらんけど。
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(紙芝居『医聖 華岡青洲先生』)
 その後、企画段階に入っている作品は、外国もの紙芝居『ダビンチvsミケランジェロ 天才達の戦い(仮題)』。
 この作品も今年中に作りたいと思っている。
 

依頼を受けた装丁画(そうていが)

今、知り合いの方の出版される装丁画(本の表紙画)の依頼を受けて、思案している。
なんせ、題材が難しい。
原稿はすでに読ませて頂いたのだが、ノン・フィクション物で、三本の全く違う話の連作になっている。
一本一本、関係無い話と思っていて読んでいけば、最後で全てが繋がっていたという話なのである。
この話の表紙画なので、どう繋げた絵にすればインパクトがあるかを思案しているのである。
 僕はプロの絵描きでは無い。・・それを知りながら依頼されたのだから、僕らしい絵で良いという開き直りの心が少し。でも期待に応えたいという欲もある。
 さぁ、どうするか。締め切りは二月末・・考えよう。

紙芝居:『新・身代わり泣き不動さま』(その4 最終回)

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「押すなよ!絶対に押すなよー、三途の河に落ちるからな!」てな事を言いながら、証空に化けた(燃えない着物を被った)お不動様は、鬼達に連れられて閻魔大王の前にやって来ました。
 閻魔大王は言われました。
「これ、証空とやら。そちは何故、ここに来たのか?さぁ答えてみよ!」と言って、その着物を剥がしてみると・・
「あっちゃー!」とびっくり!
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「これは、なんと!お不動様ではございませんか!・・申し訳ございません。何かの間違えで!・・えっ〜、『証空の身代わりになってここまで来た』と、それはそれは、涙ぐましいお心持ちで!・・ええい、このバカ鬼どもめ、ずが高い!すぐにお縄をお解きし、皆で土下座じゃ!申し訳御座いませんでしたー。そしてお茶、お茶じゃ!」と、てんやわんやです。
 鬼達は叱られ損で「俺たち、聞いてないよ〜」と嘆いています。
 そしてすぐにお不動さまに、仏の世界に丁重に帰って頂きました。
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やがてこのお話は、広く世に伝わり、掛軸のお不動様は『身代わり泣き不動』というお名前で呼ばれるようになりました。
さらに、このお不動さまをモデルにした仏像も作られ、今も京都の清浄華院というお寺にまつられています。めでたし、めでたし。おしまい
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(清浄華院で頂いてきたお不動さまの御絵の写し)

紙芝居:『新・身代わり泣き不動さま』(その3)

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弟子の証空は、高熱にうなされて倒れてしまいました。
そのあまりの苦しさで、証空は思わず自分の信仰しているお不動さまの掛け軸に向かって、
「ああっお不動さま・・。私はお上人の身代わりになった事に後悔はしていません。
・・しかし、これほどこの病いが苦しいとは思いませんでした。
お不動さま、どうか早くこの命を終わらせて、あの世に連れて逝って下さい。お願い致します。」と呟きました。
すると不思議な事に、お不動さまの掛け軸が、バラリッと落ちました。
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そしてその瞬間、証空の熱はいっぺんに下がり、彼は元気を取り戻したのです。
不思議に思って、証空はその落ちたお不動さまの掛け軸を見てみると、
 するとなんと、お不動様が泣いていらっしゃるのです。
 その時、不思議な事にそのお不動さまは、証空に話しかけてこられました。
『証空よ、お前のその優しい心掛けに、私は猛烈に感動した。
 お前は智興の身代わりを引き受けたから、今度は私が、お前の身代わりになってやろう!』と、言われました。
 そして、掛け軸からお不動さまは消えました。
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 こうして、智興上人も証空も、病いを克服して元気になり、その後も長生きされ、世の為、人の為に尽くされたという事です。
めでたし、めでたし・・、いや、ちょっと待ってください。
大事なお方の事を忘れていました。
そうです。証空の身代わりになったお不動さまです。
掛け軸から消えたあのお不動様は、いったいどうなったでしょうか?!
その証空達が元気をになったその頃・・、つづく

紙芝居:『新・身代わり泣き不動さま』(その2)

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安倍晴明はお寺にやって来て、何やら不思議な呪文を称えお祈りを始めました。
そしてやがて口を開きました。
「うーん、これは私にも治すことは出来ません。
この病気には、身代わりが必要なのです。
・・智興上人のご病気を、私の呪文で誰か他の人に移します。
この方法でお上人は治ります。
・・ただし、移された身代わりの人は、同じ病気になって苦しんで亡くなります。
この方法しかありません。」と晴明はきっぱりと言いました。
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弟子達の会議が又始まりました。
「さぁどうする?誰かお上人の身代わりになる者はおらぬか?」と一番弟子が言いました。
・・が、皆は同じ病気で苦しんで、亡くなるのが恐ろしくて、誰も手を上げません。
見るに見かねた一番弟子は、「・・では仕方がない。私が身代わりになるとしよう。」と言うと、
二番弟子が、「いやいや兄弟子、私が身代わりになりましょう。」と言いました。
 それを見た三番弟子、四番弟子も同じ事を言います。
 すると、末席に居た[証空(しょうくう)]という新米弟子が、そぉっと手を挙げて、「この中では、私が一番若い弟子なので、私が身代わりになります。」とボソッと呟きました。
すると皆は・・、
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「どうぞ、どうぞ、どうぞ!」と、身代わりの役を喜んで譲りました。
「ちっくしょう、」
こうして証空は、智興上人の身代わりになったのでした。

※余談ですが、この紙芝居を企画していた昨年の春に、ダチョウ倶楽部の上島さんが亡くなったとニュースが流れた。ファンの僕は悲しくて、誰も傷つけず、いつも自分が犠牲になってお客を笑わせてくれたこの芸人さんのギャグを紙芝居の中でも使いたいと思い(そういえば、以前も紙芝居「ダンテの神曲」で[くるりんパ]を一度使わせて頂いたが、)不謹慎ながら今回も使わせてもらいました。上島さんのご冥福をお念じ申し上げます。合掌
 
そしてその後、安倍晴明が呪文を掛けて、智興上人はみるみる内に元気を回復しました。
が、しかし・・、つづく

紙芝居:『新・身代わり泣き不動さま』(その1)

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「お不動さん」の名で親しまれる不動明王(ふどうみょうおう)。
 炎を背負い、悪を許さぬ剣を持ち、怒りの表情で我々をしっかり守ってくださる仏様です。
 おや?・・このお不動さま、目に涙を溜めて泣いていらっしゃる。
 何故でしょう?
 実はこのお不動さま『身代わり泣き不動明王』という名で、滋賀県は三井寺のお話に登場される仏様なのです。
 そして現在では、京都の清浄華院に(絵が)祀られています。
 それでは、この不思議なお不動さまのお話を聞いて頂きましょう。
はじまり、はじまり〜
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 昔むかし、滋賀県の三井寺というお寺に、「智興(ちこう)」という名の偉いお坊さんがおられました。
 このお坊さんがある時、重い重い病気になりました。
そこで、お弟子さんが集まって「どうすれば良いか?」という話し合いが始まりました。
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まず、一番弟子が口を開きました。
「これだけ我々がお祈りをしても治らないのだから、ここはひとつ、あの評判の陰陽師「安倍晴明(あべのせいめい)」殿に来て頂き、ご祈祷としていただこうではないか!」と言いました。
 皆はこれに賛成し、安倍晴明はやって来ました。つづく
 
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(京都市『清浄華院(しょうじょうけいん)』)

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