記事一覧

※画像をクリックすると拡大されます。

紙芝居『走る!韋駄天』の取材、泉涌寺へ

ファイル 1935-2.jpg
(泉涌寺[せんにゅうじ]さま)
 昨日、今制作中の紙芝居『走る!韋駄天』の取材のために、京都:泉涌寺さまに行ってきた。
 目的は『韋駄天立像』見学の為だ。
ファイル 1935-1.jpg
(泉涌寺内『舎利殿(しゃりでん)』)
 舎利殿の中に、お釈迦様の歯の舎利と、それを守るかのようにして立つ[韋駄天]立像がある。
 今、『韋駄天立像特別公開』なのである。
 りりしいお姿だ。・・しかもイケメンである。
 怖そうな感じがするのではないかと思っていたが、案外優しそうなお顔だ。
 観光客も少なかったので、じっくり見てきた。
 そしてお参りしてきた。
ファイル 1935-3.jpg
(写真が撮れないので、絵葉書やちらし)
 韋駄天の心をしっかり掴んで、紙芝居が描けますように・・。
 来月、この紙芝居の元になった能楽、謡曲『舎利』を見に行ってくる。

観念寺婦人会『フラワーアレンジメント教室』開催

ファイル 1934-1.jpg
一昨日、観念寺婦人会『フラワーアレンジメント教室』を(今年度も)開きました。
 僕は、お葬式(お通夜)に行っていたので、講習内容を見ることは出来なかったが、「皆さん、楽しく思い思いに作っておられましたよ。」と妻が教えてくれました。
 いつもながら、ボランティアで講習会を開き、いろいろと教えて下さる檀家の先生方には頭が下がります。
 本当に有難うございます。
 写真はその時の様子を写したものです。
ファイル 1934-2.jpg

大阪芸大の『卒業制作展2019』に行ってきました

ファイル 1933-1.jpg

一昨日、お寺の総代さんに誘われて、わが町河南町の『大阪芸術大学』の[卒業制作展2019]に、行って来ました。
 とにかく、ここの大学の敷地はデカい。
 河南町の中の未来都市・別空間のような感じです。
 私達は、まず『芸術情報センター』に行って[優秀作品展]を見学。その後、建築学科やデザイン学科などの卒業作品を見せて頂きました。
 又、放送学科では親切な学生さんに、室内放送システムをすべて案内して頂き、映像学科では、最新式の3D装置を、実際頭に取り付け、異空間の体験をさせて頂きました。
 最後は芸術劇場で、放送学科・声優コースの学生たちによるの卒業公演『イーハトーブの風景・宮沢賢治の世界』を見せて頂き、若いエネルギーを一杯頂いて帰路につきました。

山の辺の道、散策

ファイル 1932-1.jpg
 奈良県の[山の辺の道]を散策して来ました。
ファイル 1932-2.jpg
(相撲神社)
 目的地の一つは『相撲神社』です。
 このような名の神社があるのですね⁉
 国技・相撲発祥の地なのです。
・・ここが古代天皇の面前で、野見宿祢(のみのすくね)が相撲を取ったとか⁉
 今、(野見=)蚤の宿祢の紙芝居の取材をしているのです。(・・以前作った紙芝居『古事記物語』の続編です。)
ファイル 1932-3.jpg
 神社内のこの銅像は笑ってしまいました。(どなたがモデルやろ?)

新作紙芝居情報『走る!韋駄天(いだてん)』

ファイル 1931-1.jpg

 只今、新作紙芝居を制作中です。
 後、少しで完成です。
 題名は、大河ドラマ便乗作品『走る!韋駄天(いだてん)』。
 これは、ドラマのような現代劇ではなく、正に『韋駄天』という仏様を守護する神様を主人公とした作品です。
 アイデアは、昨年旅行で行きました『駅伝』で有名な[箱根]の坂を眺めて思いつきました。
 ・・お釈迦様のお骨(シャリ)を奪った俊足の鬼を、自慢のスピードランナー韋駄天が追いかけます。・・そんな彼を主役にして、有名な[ご馳走さま]の言葉の由来のエピソードなども織り込んで、紙芝居にしました。
 まもなく完成です!

今月の寺カフェ!(2月)

ファイル 1930-1.jpg
 今月の『寺カフェ』は盛況だった。
 お客さんも2時間で30名を越した。
ファイル 1930-2.jpg
 男のお客さんも最近は多く、初めての方もちらほらと来られていた。
「暖房と、人とのおしゃべり出来るのが嬉しくて来ました」とあるお客さんが言っておられた。
 こんな感じで、お寺は繁盛してます!
 来月も頑張ります。

紙芝居:『悲しき阿修羅(アシュラ)』(その7 最終回)

ファイル 1929-1.jpg
「・・なんということだ。正義は勝つことが出来ないのか⁈」と、落ち込む阿修羅のもとに、[お釈迦様]が訪ねて来られました。(ようやく、真打登場!)
「阿修羅、もうこの辺で帝釈天と仲直りしたらどうじゃ。帝釈天も、娘も、そう願っておるぞ。」と云われるお釈迦様に、阿修羅は猛反発し、
「そっそれでは、正義は勝てないということですか⁈」と牙をむいて言いました。
 するとお釈迦様は「お前は正義、正義というが、その頑なな心が、お前自身も周りの者もすべてを苦しめておる。
 正義のためと、お前は味方がやられても、苦しんでも、『それはしかたがない!』と言って同情もせず、敵も許さず、争いを永遠にやめない。
 これから、そのような事を『修羅場(しゅらば)』と名付けよう。
・・まぁ、帝釈天の行いも褒められたものではないが・・、あやつは謝っておるし仲直りしたいとも願って居る。
 帝釈天がなぜ人気があるのか⁈お前は考えたことがあるか?
 あやつは、憐みの心があるのじゃ。その為、欠点は多いが周りの者が安心し、又共感するのじゃ。
 もう、許してやれ、阿修羅。
 今では娘も幸せに暮らしておるということではないか。娘に笑顔で会ってやれ。」と、云われました。
 それを聞いて阿修羅は泣きながら頷きました。
ファイル 1929-2.jpg
 こうして、阿修羅神は帝釈天と仲直りしました。
 そして、今では共にお釈迦様の仏教を守護する神の一員として、働いているということです。

・・そして、このお話はインドから日本に伝わり、この阿修羅神の像を作るにあたって、阿修羅神が辿ってきた過程(人生・歴史)を彫刻しようと、
[怒り、悔やむ表情]と[悲しむ表情]、そして[お釈迦様に救われ仏に帰依した表情]の三つの顔が彫られました。
 そして、手のポーズも[武器を持つ手]、「太陽と月を持つ手=一説では、朝から晩まで戦うことを考えるという意味」と、「合掌」のポーズになりました。(今は残念ながら、武器や太陽と月が無くなってしまいましたが・・。)
 今、この阿修羅神の像は[奈良]の『興福寺』さま祀られています。
 ・・悲しみに耐え、何かを静かに訴えるような・・、そんな表情をして。
 この少年のような一途な表情は、観る我々の心を魅了してやみません。
おしまい

 

紙芝居:『悲しき阿修羅(アシュラ)』(その6)

ファイル 1928-1.jpg
退却する帝釈天軍の前に、アリの大群の行列が、道をふさいでいました。
 それを見て帝釈天は思いました。
「アリを踏むつぶして逃げるのは簡単なことだ・・。だが、アリも生き物だ。一匹一匹命がある。・・私は神だ。罪のないものを簡単に殺してはいけない!踏むつぶして逃げるぐらいなら、引っ返そう!・・その方が良い!」
 帝釈天には、こういう優しさもあったのです。
 そして、全軍に通達しました。
「皆のものっ!アリを踏みつぶしてはならん!我らは今一度、引っ返して阿修羅軍と戦うぞ!」と。
 こうして、帝釈天軍はUターンしたのでした。
ファイル 1928-2.jpg
「どういうことじゃ⁉帝釈天が戻ってきた!」と、阿修羅連合軍は驚きました。
 そして、阿修羅に味方していた神々はこう思いました。
「なんとっ、帝釈天はアリの命を奪わぬ為に帰ってきた!・・あの神にはああいうところがある。欠点は多いが情には熱いのだ。・・帝釈天こそ、神の中の神様!我々の主神なのだ!」と、神々は阿修羅軍を裏切り、阿修羅に反撃し始めたのでした。
「うっうらぎり者め!悪いのは帝釈天なのだぞ!正義は私なのだぞ!」と、阿修羅は叫びました。
 しかし神々は、「お前は正義、正義と口を開けば云うが、こだわりすぎだ。・・もう、帝釈天と仲直りしてやれ!・・帝釈天には生き物を憐れむ心があるが、お前には無い!
 倒れた味方を踏みつけながら、前進しようとする。常に自分のことしか考えていない!
憐みのないお前より、帝釈天の方が良いわ!」と、阿修羅軍に対して反撃してきたのです。
ファイル 1928-3.jpg
 こうして、阿修羅軍は又負けてしまい、海に追い落とされました。 つづく

紙芝居:『悲しき阿修羅(アシュラ)』(その5)

ファイル 1927-1.jpg
 一方、帝釈天と阿修羅の娘は、いつの間にか気持ちが通じ合い、子供も生まれました。
・・・やがて、その噂が阿修羅の耳に入りました。
「おのれー、帝釈天め。絶対に許さんぞ!大事な娘をわしから奪い、しかも子供まで産ませるとは!」
 軍勢の少ない阿修羅軍は、自分の悲しい思いを、須弥山の神々に手紙を書いて訴えました。
「是非、私の味方になって一緒に帝釈天を撃ってほしい!」と頼んだのです。
ファイル 1927-2.jpg
 やがて、同情してくれる神々が、阿修羅軍に大勢ついてくれて、帝釈天のお城に猛攻撃を掛けたのでした。
 この突然起こった猛攻撃に動揺してか、帝釈天はぴっくりしてお城を逃げ出しました。
「皆のものー、ひとまず退却じゃー!」と、帝釈天は森の中に脱出したのでした。
 すると目の前に・・・。つづく


 

紙芝居:『悲しき阿修羅(アシュラ)』(その4)

ファイル 1926-1.jpg
が、帝釈天は『チカラの神』です。
 巨大な軍団を持っています。
 いくら正義を掲げる阿修羅軍が挑んでも、ビクともしませんでした。
 それでも、阿修羅は可愛い娘を取り返そうと、戦い続けました。
 何度も何度も・・、負けても負けても。
 追い払われても、追い払われても、彼は『怒り!』挑み続けたのです。
ファイル 1926-2.jpg
 やがて阿修羅は、帝釈天の調略にはまり、須弥山の頂上から水深18万キロの海の底に追い落とされたのでした。
 これ以後、阿修羅の城は海の底になってしまいました。
つづく