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軽費老人ホーム「河南荘」の地蔵盆法要

今年も、軽費老人ホーム「河南荘」で地蔵盆法要を行って来た。
お地蔵さんは、新しい着物を着せてもらっていた。
その眉間に、傷があったのは気になったが。
想像であるが、動かす時にどこかで、ぶつかったのかもしれない。
であるが、今年も多くの参列者の皆さんと共に、賑やかに粛々とお勤めさせていただきました。
ありがたい事でした。合掌

お盆の不思議なお話

今年の夏の、お盆の不思議な話。
今年も娘夫婦が、お寺へ[お盆参り]の手伝いに来てくれた。
そんな中の真夜中の出来事。
僕は、早寝をして布団の中で寝ていた。
すると、本堂から読経(重誓偈というお経)の声がする。
僕は「娘婿が明日の為に練習しているんやな。感心なやっちゃなぁ」と、僕も布団の中で発音が間違っていないかと、ハモって確かめて聞いていた。
読経は休みながらも、結構長いことお勤めしていたので、明日、しんどくなったらあかんので、横で寝ている嫁に「婿さん、読経の練習し過ぎと違うか。明日があるから止めてくるわ。」というと、何言うてんの?という顔をしている。
「読経の声が聞こえへんのか?」と言うと、「聞こえへんよ」と答えた。
「ほら、今も聞こえてるやろ」と言うと、「聞こえません」と又言われた。
僕は布団から出て、本堂に行くと真っ暗なままだった。
へんやなぁと、又布団に入ったらやっぱり聞こえる。
これは、娘の部屋で練習してるんやな、と僕はそのまま寝むることにした。
次の日、娘夫婦と朝食を一緒に食べながら、読経のことを聞いてみると、婿は読経の練習などしていないという。
追い打ちをかけるように、娘にも「それ、お父さんの幻聴!」と一言、つっぱねて言われた。
あれは幻聴やったんかなぁ?
確かに聞こえたんよ。お経ハモってんもん。
幽霊ではないと思うで、ありがたいお経あげてんねんもん。っていうか、誰?

東大阪:明徳寺さまのお盆法座~「普通にもどれました」

 昨日は、東大阪市の明徳寺さまのお盆法座に、出講して来ました。
 もちろん、紙芝居法話です。
 そこで、法座が終わってから、一人の女性から嬉しい言葉をいただきました。
 それは、帰り支度をしていたら、僕の所にやって来られて、こう言われたのです。
 「私、今日、ここに来るまで、気持ちが沈んでおりました。が、お参りさせていただいて良かったです。
 紙芝居やお話を聞かせていただいて、すっきりして・・何というか、普通に戻れたのです。・・これで普段と同じ気持ちで帰れます。
 ありがとうございました。」と言われたのです。
 この『普通に戻れた』という言葉は、僕にとって(どんな誉め言葉よりも)大変うれしいものでした。
 嬉しい出逢いに、合掌

お盆参り、進行中

お盆参りが始まってます。
娘夫婦が、お参りを手伝ってくれているので、だいぶと楽です。いや、ムチャクチャ楽です。
相変わらず、お参りの合間に、僕は、他の寺院に[紙芝居法話]に出ています。
お参りよりも、何十人の方々に、何時間もお話しする方が、少し疲れます。
でも、やりがいはあります。
もちろん、仏さまへのお参りも、全力で取り組んでいます。
後、お盆も半分!頑張ります。

仏婦編み物教室開催!

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仏教婦人会編み物教室(カギ針あみのコースター製作)を開きました。
台風が来たために、日時を繰り上げての実施でした。
皆さん、楽しそう!
写真を撮っている僕も楽しくなりました。

いろんな事が、次々起こり..

次から次へといろんな事が起こり、
忙しい毎日を送っています。
僕は元気です。
猛暑の中も、なんとか仕事してます。
作り掛けの紙芝居は、中断してますが、又そのうち、再開します。
それまで、少しブログは休憩です。

紙芝居:「与謝野晶子(よさの・あきこ)」(その9:最終回)

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 そして晶子は、昭和17年、狭心症の為、63歳で亡くなります。
 法名は『白桜院鳳飛晶耀大姉(はくおういん・ほうしょうしょうようだいし)』。
その波乱の生涯を振り返れば、夫、鉄幹あって有名人になれた晶子であり、天才、晶子あっての、名プロデューサー鉄幹であったと思われます。
本当の意味で、良い夫婦だったのでしょう。
現在、二人のお墓は、東京多摩霊園に仲良くならんで、建っています。
おしまい

紙芝居:「与謝野晶子(よさの・あきこ)」(その8)

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 大正12年、関東大震災が与謝野家を襲います。
 幸い、晶子の家族は、皆無事でした。
 ・・が、この頃、鉄幹と二人で教授を務めてきた『文化学院』という学校は、焼失してしまいました。
 そして、その学校に置いてあった晶子のライフワーク『源氏物語』の全・現代語訳文も(完成目前で)すべて燃えてしまいました。
 絶望する晶子。
・・が、家族は生き抜かねばなりません。
 晶子たちは、東京郊外に引っ越して、新しい家を建てます。
 そして、もう一度『源氏物語』の現代語訳に、挑戦するのでした。
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 『妻をめとらば才けて、みめ麗しく情けある・・』と歌った(一代の風雲児)与謝野鉄幹は、昭和10年、62歳で亡くなります。
 が、晶子は悲しんでばかりもいられません。
「私の人生も、残り少ないわ。生きている内に『新・源氏物語』を完成させなあかん・・。」と、頑張って執筆します。
 そして、昭和13年。ついに『新・新訳源氏物語』全六巻が完成し、刊行させたのでした。つづく 

しばらく、日記を付けてませんでしたので・・

忙しくて、最近、日記も紙芝居も書けてません。
・・すんません。
 それで、今回まとめて三つの事を書かせていただきます。
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(中島組:萬福寺さま)
 6月29日、柴島の萬福寺さまが会所となる『中島組仏教婦人会総会』の記念法話会にお招きいただきました。
 たくさんの御方の前で、たっぷりとお話させていただきました。
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(観念寺:寺カフェ)
 7月9日は、月例の観念寺寺カフェ。
 この日もたくさんの御客さんが来ていただきました。
 もう、アイスコーヒーの季節です。
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(勝光寺さま:定例会)
 そして昨日は、東住吉の勝光寺さまの定例法座へ。
 今年で、何回目になるのか⁈ 
 とにかく、毎年7月10日は『勝光寺』の定例法座!
 今年も、新作紙芝居を四本させて頂きました。
 ありがとうございました。合掌

紙芝居:「与謝野晶子(よさの・あきこ)」(その7)

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「晶子、行ってくるね」と言って、
 明治44年、鉄幹はヨーロッパ旅行へ旅立ちました。(晶子が稼いだお金で・・)
・・が、去られると、晶子はもう寂しくてたまりません。
「私もパリに行きます!」と言って、半年後・・、
 晶子は子供たちを夫の妹に預けて、もう一度言います。夫の妹に預けて!・・彼女は夫を追いかけ、ヨーロッパに旅立ちました。
 そして、二人でヨーロッパを旅して、新鮮な愛をよみがえらせて帰国したのでした。(好きにせえ!) つづく