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紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その4)

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余談ながら、六連島で道に迷った僕は、畑仕事をされていたご年配の方に「浄土真宗の西教寺(さいきょうじ)へは、どう行けば良いのですか?」と聞いた。
 「その狭い道を曲がればすぐじゃ」と、その方は教えて下さった。
 「こんな山の斜面に本当にあるのか?」と思いながら、その通りに行くと、すぐお寺に出た。
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 『あぁっ、ここか。おかるさんが通ったお寺は』と、ちょっと感動した。
 西教寺ご住職は、北九州へ仕事の為、お留守とお聞きしていて、お電話で「お寺の戸は開いていますので、どうぞご自由に見学して下さい」と言われていたので、僕は中に入った。
 そして、阿弥陀様にご挨拶した後、おかるさんの家から、本堂にそのまま持ってきたという囲炉裏のセット、[自在鉤(じざいかぎ)]を眺めた。
『わたしゃ、自在鉤 阿弥陀さま、こざる(=小猿という横木道具) 落しゃなさらぬ 火の中に』
 これは、おかるさんが作った有名な歌の一つである。
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 文字が書けなかったおかるさんは、西教寺のご家族から歌を習い、その詩集は、お寺さんによって記録に残された。
 この紙芝居に、これから登場するその詩も、それらのものである。
 『あぁっおかるさん、あなたはこの本堂でご仏縁を頂き、救われたのですね・・』と、本堂の中から海を見ながら、僕はつぶやいた。・・以上余談。
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 西教寺についたおかるさんは、ご住職に自分の苦しい胸の内を打ち明けました。
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 すると、ご住職の[現道]師は、こう言いました。
 「幸七のことは、おかるにとって、良かったのだよ」と。
 おかるは「えぇっ!」と驚きました。つづく

紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その3)

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夫の幸七さんの帰りが次第に遅くなり、
・・やがて、二日、三日、何週間と帰って来なくなりました。
 不思議に思ったおかるさん。
 夫の仲間に聞いてみますが、誰も「知らぬ」の一点張り。
 実は、夫に北九州で愛人が出来ていたのです。
 夫の友人達は、それを知っていましたが・・、
「激しい気性のおかるに、もし知れたら大変!」だと、皆で隠していたのです。
 
・・しかし、ついにおかるさんに知れました。(今も昔も一緒でんなぁ。バレるものはばれる。あぁ~ゲスの極みか、ため息か。ワイドショーは永遠に・・)
 勝気ではありましたが、純情そのもののおかるさん。
「裏切られた!!」と、足元から大地が崩れて、奈落の底へ引きずりこまれるような気がしました。
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 「夫が許せない!そして、愛人を殺してやりたい!」と、おかるさんの激しい気性に火がつき、嫉妬の日々が続きました。
 しかし、一方では「でも、きっと夫は、私のもとに帰ってきてくれる!」とも思うのでした。
 呪いながら、怨みきれず、尚、夫の愛を求めている女心。
 そのジレンマに耐えきれず、とうとう、おかるさんは子供たちをつれて、「崖から飛び降りよう!」と思ったのでした。
 しかし、子供たちに泣いて止められ、自殺を諦めます。
 そして、とうとう「これから、私はいったいどうしたら良いの?」という気持ちが、おかるさんを(島に一つしかなかった)お寺へと向かわせるのでした。
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 つづく

紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その2)

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 江戸時代後期に生まれたおかるさん。
 少女時代から、おてんばで負けず嫌い。
 いつもやんちゃな男の子とばかり、泥だらけになって遊んでいました。
 そんなおかるさんを見て、六連島の若者たちは「男勝りなおかるの所へは、養子に行ってはならない」と言い合っていました。
 そう、おかるさんは[一人娘]だったのです。
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 やがて、19歳になったおかるさん。
 同じ島の幸七(こうしち)という、28歳の青年を養子に迎えました。
 そして、やがて子供にも恵まれ、今やおかるさんは幸せの絶頂期でした。
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 夫の幸七さんは、毎日、おかるさんが作った取れたての野菜を持って、下関や北九州へ行商に出て行きます。
 妻のおかるさんは、そんな夫を毎日、笑顔で見送りました。
 が、しかし・・・。つづく

紙芝居:「妙好人 六連島のお軽さん」(その1)

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 『JR下関駅』近くから出航する下関市営渡船に乗れば、約20分で[六連島(むつれじま)]に着く。
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 ここが、『妙好人お軽(かる)さん』の故郷である。
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 この紙芝居制作の取材のために、今年の夏に(この島へ)行って来た。・・小さな島であった。
 お軽さんは、ここで生まれ、ここで結婚し、ここで子供産み、ここで悩み、ここで妙好人となって・・、ここで亡くなった。
 前置きはここまでとして、それでは[お軽さん]の紙芝居を観て頂きましょう。はじまり、はじまり~。
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 妙好人というのは、苦悩に満ちた人間世界で、仏様の本願を信じ、喜ぶ念仏者をいいます。
 [おかる]、というこの紙芝居の主人公もその一人です。
 下関の港から、少しばかり沖に出たところに[六連島]という、小さな島があります。
 おかるさんは、この島で生まれました。
 男勝りだったという、おかるさん。
 嵐の日でも、自ら小舟をこいで、北九州や下関のお寺に聴聞に行かれたそうです。
 でも、なぜ?
 このお話は、そんなおかるさんの物語です。つづく
 

 

「紙芝居」を一本作って、寿命を縮めています

 「恐怖新聞」という漫画が、何十年か前に流行った。
 その日の(オカルティックな)恐怖新聞を読むと、主人公の寿命が何日か縮まってしまう・・というような内容だったか?
 でも、主人公は読み続ける。・・最後はどうなったか知らない。
 さて、紙芝居を一本描くのも(寿命というものが、もしあるならば)、確実に僕も縮めているだろう。
 (・・でも、考えてみれば、どのような仕事でもそのような所はあるかもしれない)
 今、『行基さま』という元祖ボランティアスピリットを持ったようなお坊さんの紙芝居を作っているのだが、これを描くのが、こりゃまた寿命を縮めているような気がする。
 奈良時代の「貧しい庶民の暮らしの絵」と「大仏制作の風景の絵」を想像して描き、クールな風貌をしているが、実は篤い心の主人公を単純に描く。これらをわずか10枚ほどの紙芝居にして、解り易い解説風ストーリーを付けるのだから、しんどい。頭を掻きむしり、寝ながら叫び、考えて描く。
 「じゃあ、作るのを止めたら。」と、言われればそれまでだが、『わかっちゃいるけど、やめられない』のである。
 やはり完成するまで、しばらく寝起きを『行基菩薩』とするか。・・気分転換はこのブログを書く事やなぁ。
 でもやっぱり、作るのは楽しいのです・・。あぁ寿命が。
 

笑いと感動

 この前、イベント純昭師が、布教でお寺に来てくださった時、帰りに「・・観念寺の門徒さんはノリがいいですねぇ。よく笑い、よく頷き、話し易かったですわ」と言ってくださった。
 これは、先生の話術が高尚であり、楽しいのは当然ながら、うちの檀家さんのお寺に求めるものが、昔ながらの原点に戻ってきた為だと思っている。
 昔のお坊さんの紙芝居を作っていると解るのだが・・、
昔むかし、お寺は娯楽の発信基地であり、そして泣いたり、常識的な態度で感情が多いに出せる場所であったと思うのだ。
 それが、いつのまにかお上品さ、敷居の高さ=お寺となってしまっていた。
 それが、今、ようやく元に戻ってこれた!と思うのだ。
 僕はそのようなお寺にしたいとずっと思い、(微力ながら)コンサートやお芝居、そして笑いと感動が全面的に出せる、感情的なお説教の発信基地にしてきたつもりである。
 つまり、お寺の敷居を下げまくって来た。
 僕がこのお寺に入寺して、20年。
 ようやく、昔むかしの紙芝居の中のお寺のような形が出来てきたと思うのだ。
 そんなことを、イベント布教使に言われた言葉で、改めて感じたのである。
 これからも、品の良い(笑いと感動と教えの)発信基地にしていきたいと思う。
 
 

人の話を聞くというものは・・、しんどいものです

 暑さがぶり返してきました。
 檀家さんの家にお参りに行っても、クーラーはともかく、扇風機も直してしまわれた所が多いのです。
 そのようなお家で、人の悩みをじっと聞くというのは、たいへんな苦行なのです。
 一対一ですので、真剣に聞かねばなりません。
 法衣の中は、汗でだくだく。
 眼の中にも汗は流れ込んできます。
 でも、話はおわらない。
 相手も真剣なのですから・・。
 今日は、でもしんどかった。
 話の内容もともかく、一時間やそこらで、解決できる話ではないのです。
 正座プラス暑さで、「もうダメ。」と心の声がさけびました。
 「その話は、次回にでも続きを・・。」と言って外に出ました。
 元気ならともかく、僕は病み上がりなのです。
 こんな時、『しんどい仕事やな~』と、思います。
 
 

泣き笑い法話in観念寺彼岸法要

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昨日、自坊観念寺にて『秋季彼岸法要』を行った。
 布教にお出で頂いたのは、[イベント坊主]こと、豊中の風雲児の法雲寺住職:辻本純昭師。
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 師の持ち前のキャラを全開して、『泣き笑い法話』を二話、披露して頂いた。
 隣の人間国宝であり、ぶっちゃけ寺の名物和尚である、純昭師のご法話に、ご門徒一同感動しまくりでした。合掌

犬鳴山

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(温泉:み奈美亭)
 疲労には、良い温泉が効くと聞いたので、南大阪の奥座敷、泉佐野市の犬鳴山(いぬなきやま)温泉に日帰りで行って来た。
 久々にゆっくりと温泉につからせて頂きました。
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(七宝龍寺[しっぽうりゅうじ])
 その後、役小角が開いたという[七宝龍寺]が近くにあると聞いたので、そちらにもお参りさせて頂いた。(今、役小角の紙芝居を作っているのです。80パーセント完成だが)
 こちらは、迫力ある滝が流れる正に修験道行場のお寺でした。
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(義犬の墓)
 ところで、なぜ[いぬ・なき・やま]と言うのか?
 聞いてみると、紙芝居になりそうな味わい深い伝説があった。
 ・・昔、犬をつれた猟師がひとり、こちらの山に猟に入った。
 その犬が大いに鳴き続け、獲物がみな逃げた。
 怒った漁師は、刀でその犬の首を刎ねた。
 その首は、草むらで猟師を狙っていた大蛇に噛みついて、息絶えた。
 自分の行いに反省した猟師は、その後、出家し修験者となったという。
 それから、この山は『犬鳴山』と呼ばれるようになったということである・・。
 その義犬の墓も、亡き愛犬を思い出して、お参りして来た。
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(役小角)
 そして、役小角様の銅像にお参りし、紙芝居化が成功するようにお参りさせて頂いたのであった。

東大阪市「西法寺」様の彼岸法要への出講

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 昨日、東大阪市の浄土真宗本願寺派『西法寺』さまの[彼岸法要]に出講させて頂いた。
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 こちらは、大和川の流れを変えた男「中甚兵衛」の地元。
 と、いうことで、中甚兵衛の紙芝居と仏教紙芝居をいろいろとさせて頂いた。 
 西方寺の皆様、お世話になり有難うございました。合掌