住職のつぼやき[管理用]

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「運があった」と言い、亡くなった人

 先週、95才のある檀家のお爺さん(仮にMさんとしておく)が、お亡くなりになり、お葬式をさせてもらった。
 お参りの時、よくMさんは僕に太平洋戦争時の軍隊でのお話をして下さった。
 その中でよく「自分は運があった」と言っておられた。
 その話を、改めて斎場まで行く途中のタクシーの中で、家族さんとお話して懐かしんだ。
 掻い摘んで言うと、それはこんな話だ。
 Mさんの家は、飲食店をされていたので、Mさん自身も明るい人柄で話好きで、皆から好かれていた。
 しかし、戦争で父親を含め、男兄弟は皆戦死し、Mさんだけが唯一の(男の)生き残りだった。
 しかし、Mさんも終戦間際に軍隊に召集されて、南方の激戦地へ船で出航することとなった。
 その船に乗り込む日、Mさんは突然上官から部屋に来るように呼び出された。
 何か怒られるのかと思いきや、その部屋に行くと上官は居らず、廊下で二時間ほど待たされたそうだ。
 その間に船は出港してしまい、Mさんは結局乗り込めなかった。・・が、その船はすぐに、敵艦に発見され、魚雷で沈没させられたそうだ。
 Mさんの話によると、そんな『突然の上官の呼び出し』が二度もあり、自分は船に乗らず助かったらしい。
 そして、終戦を迎えMさんは無事に自宅に帰って来た。
 その後、Mさんは、亡くなった同僚の分まで一生懸命に生きねばと思い、必死に働いたそうだ。
 が、Mさんは、自分を呼び出した上官のことがずっと気になり、(一言御礼を述べねばと)ずっと探していたら、何年か経って、その方が、偶然自分のお店に立ち寄られ、その訳を話してくれたそうだ。
 実は、その上官は昔、Mさんのお店の常連さんだったそうで、Mさんの家族構成を聞き知っていて、Mさんが男兄弟の唯一の生き残りだということも知っていたらしい。
 それで、Mさんが戦死したら、この店の家族は生活が成り立たなくなるだろうと思い、先の『突然の上官の呼び出し』を実行されたそうだ。
 Mさんは、それをよく『自分は運があったので、良き上官に恵まれ戦死せずにすんだ。だから、助けてもらった分、人に親切にして、運(恩)返しする』と言っておられた。
 そんな、人に親切で『運の良かった』Mさんにも寿命はある。
 最後、病院で『看護師に内緒で酒を飲ませてくれ』と駄々を捏ねながら、95才の天命を全うして、お浄土へとお還りになったのであった。
 

エンドレス会話(お手拭編)

 先日、出前法話で行かせて頂いた、と在る『老人ホーム』のおやつの時間でのこと。
 テーブルの上に、お饅頭とお茶とお手拭(小さな紙ナプキン)が一つ置いてある。
 お年寄りの方がたは、もうすでに席についておられる。
 僕も座る。
 皆で合掌ののち、お手拭で手を拭いてお饅頭を食べようとする。
 すると、僕の隣のお婆ちゃんが一言、「あんたの(使った)お手拭がシワクチャになってるから、たたんで上げる」と、さっと取り、キレイに四角く畳んでくださった。
 僕は「ご丁寧にありがとうございます。」と言って、お饅頭を食べて又、手を拭く。
 すると、先ほどのお婆ちゃんが「あんたのお手拭がシワクチャになっているから、たたんで上げる」と、又、さっと取り、四つ折にしてきれいに畳んでくださった。
 僕は「あぁ、ありがとうございます。」と言って、お茶を飲んだり、他の人と雑談をしていると、先ほどのお婆ちゃんが、「あんたのお手拭をたたんであげる」と言って、もうきちんと畳んであるお手拭を再度広げて、又、四つ折にされきちんと畳んで下さった。
 僕は笑いながら「ありがとうございます。・・ところで、お婆ちゃんは、何の仕事をされていたんですか?・・キチッとされてますねぇ。何か、接客のお商売をされていたのですか?」と聞くと、
 「はい、昔、難波で昆布の店頭販売をしておりました。」と答えられた。
 僕は「ああ、それで商品の包装とかをされていたのですね。だから、畳むのが上手いのや」と言うと、そのお婆ちゃんは微笑みながら、「ほほほっ、そんな、上手いやなんて・・、毎日包装してましたから」と言って、又、僕の(結構ボロボロになってきた)紙のお手拭を又さっと奪い、又広げ、又元通りにきちんと畳まれた。
 そして「昔は忙しいかったんよ~~」と言って、今度はみんなの使いかけのお手拭を取りに行って、同じ事ように又広げて、又畳んで、皆の元に戻された。
 皆さんも、よく解っておられるようで、「いつも有難う。ご丁寧に」と言って、されるがままに見ておられる。
 僕は、『皆、よくこの人の親切さを理解しているんや』と思って、微笑ましく眺めていたら、又、このお婆ちゃんは僕のお手拭に気がつき、「あんた、よく手を拭いたなぁ。ボロボロになってるやん。私がちゃんと畳んであげる」と、又僕のお手拭を手にとって、畳み始めたのであった。
 

「楽しむ」って、どういうこと?

 オリンピックが始まる前から、気になっていた言葉がある。
 それは、アスリートたちが最近よく云う「競技を《楽しみたい》」という言葉だ。
 自分自身に対して「楽しむ」とは、メンタル面で〔緊張感〕をほぐそうとしているのは解るような気がする。
 が、それをいざ、あっちこっちでマスコミのインタビュウアーに対して安易に口にするのはいかがなものか?
 応援している者達は、必死になって応援しているのに、ああも簡単に「でもあれは個人的に楽しんでいるや」と、ちらっと思ってしまうと、なぜか虚しくなり、日本語の使い方を間違っているのではないかと思ってしまうのだ。
 もちろん、「楽しむ」といいながら、全力で戦っているのは見てて解る。(・・比べものにはならないが、僕も高校・大学と陸上部でいろんな試合を経験してきて、大きな試合直前は、自分対して「やるだけやったやないか。落ち着け落ち着け、お前は大丈夫や。後はリラックスしてゆけ!」とよく言い聞かせた。・・だから『楽しもう』と言っているのは解るような気はする)
 が、が、やはりあの「楽しんできます」とか、「とても楽しかったです」と平然という言葉には、僕はどうも違和感を覚えるのだ。
 ・・では、あの場合どういえば良いのだろうか?
 「ここまできたら全力でやるだけです」か?・・又は終ってからは「頑張って良かったと思います」か?・・でもこの表現も硬苦しいような?
 なんか、解らんようになってきたわ。・・もうやめよ。

 全然関係ないが、僕は「お寺の出前」を楽しんでやってはいない。
 ・・偉そうになってしまうが、僕は(やってることはちっちゃいけれど)「使命感(俺がやらねば誰がやる!というようなもの)」を持ってやってるつもりである。
 「楽しんできた・・」という言葉は、おそらくあちらの世界に還っても言わないと思う。
 だからみんなから、「楽しそうに『紙芝居』をやってますねぇ」と云われるのは、本当はちょっと心外なのだ・・よ。
 
 
 
 
 

悲しみの色と形って?

  前々回のプログで、今、『でんでんむしのかなしみ』という、(一匹のでんでんむしが、自分の殻の中のめ一杯の悲しみに気が付く)新美南吉さんの童話を紙芝居にしているという話を書いたが、実際、これを絵にするのはなかなか難しい。
 悲しみ(哀しみ)を、(抽象的な)絵で〔色と形〕に表わすのが難しいのである。
 哀しみを、色や形にすると、いったいどんな絵になるのだろうか?
 僕は『カラーセラピーランド』というホームページから、皆のアンケートから選ばれた「哀しみの色のイメージ」という項目を抜粋して決めることにした。
 それは、青・紫・黒・灰色・半透明色、ということになるらしい。(余談ながら、ということは〔青春〕って悲しい季節なんやなぁ・・)
 そして、その(哀しみの)形も(四角形なのか、三角形なのか、はたまた、煙のような形なのか)調べてみたが、それは結局解らなかった。
 で、こんなイメージで〔試作〕を作ってみた。(今回は絵を描かず、切り絵にすることにした)
ファイル 930-1.jpg
 それで、でんでんむしの殻にこんな形で〔哀しみ・悲しみ〕を表現してみた。
ファイル 930-2.jpg
 まだ試作の段階なので、もうちょっと手を加えようと思っているのだが。
 さて、皆さんにとって、哀しみの色って何色?・・そしてその形は??

『でんでんむしのかなしみ』とゴータミーの話

 昨日、お寺の庭で一匹の「でんでん虫」を見つけた。
 お参りから帰って、写真を撮ろうと元の場所に行ったら、もう居なかった。(鳥にでも食べられてしもたか?)
 ・・実は今(同時進行で)、生き物を主人公にした二つの(子供向きの)「紙芝居」を作っている。
 その一本が「犬たちをおくる日」というお話で、
 もう一本が、「でんでんむしのかなしみ」という、新美南吉さんの童話なのである。
 それで今、でんでん虫に凝っているのだ。(写真が撮れず残念!)
 知っておられる方も多いと思うが、ちょっと(掻い摘んで)ストーリーを書いてみる。
 こんな風に始まる。
 『一匹のでんでん虫がありました。
 或る日、そのでんでん虫は大変な事に気がつきました。
 「私は今までうっかりしてたけれど、私の背中の殻の中は〔悲しみ〕が一杯詰まっている。(もの凄い、うっかりやなぁ。〔笑〕)この悲しみは、どうしたらよいのだろうか?」と。
 それでそのでんでんむしは、他の友達のでんでん虫の所に行って、「私はもう生きてられません。私は何という不幸せものなのでしょう。私の背中は悲しみで一杯なのです。」と言う。
 すると、友達のでんでん虫は「あなたばかりじゃありません。私の背中も悲しみで一杯です」と言う。
 それでしかたなく、最初のでんでん虫は、別の友達のでんでん虫の所に行って、同じ悩みを打ち上げるのだが、その友達もやはり同じことを言う。
 こうして、順々にいろんな友達を訪ねて廻る最初のでんでん虫なのだが、どの友達も結局同じことを言った。 
 そしてとうとう、でんでん虫は気がついた。
 「悲しみは誰でも持っているのだ。・・私ばかりではない。私は私の悲しみを堪えていかねばならないのだ」と。
 そしてそのでんでん虫は、もう嘆くのを止めました。おしまい」というお話である。
 単純なお話だが、素晴らしい!
 でもこれって、仏典『子供を亡くしたゴータミー』の話が元やん!・・と、仏典好きのお坊さんなら誰でも気が付くだろう。
 おそらく新美南吉さんも、この『ゴータミーの話』をどこかのお寺か、又お坊さんか、又、仏典を読んだかして聞いたのだろう。・・それを『でんでん虫の話』にした。(でもその発想力が凄いと思う!)
 で、子供たちにも(ゴターミー大好き僧侶の)僕が、この『でんでんむしのかなしみ』を紙芝居にして、上演しようと思っているのである。
 もうすぐ夏休みであり、今、たくさんの学童保育やら子供たちの集会から『紙芝居法話』の出前注文を聞いている。
 なんとか急いで、夏休みまでにこれらの紙芝居を完成させたいと思う。
 

虚(むな)しさ度数

 僕は『歴史』が好きだ。
 「温故知新」という言葉があるが、正に「古い時代の(愚かで愛しい人間の)生き方を知ってこそ、(今をより良く生きる)人の道が見えてくる」と思っている。
 ・・が、たまに「古きを尋ねても『ど壷』にはまるだけやなぁ」と思う事がある。
 古きを尋ねても(結局、今をどう生きたら良いか解らず)どうしようもないと感じてしまうのだ。
 今、NHKテレビで「平清盛」という大河ドラマが放映されているが、(話が複雑すぎて、人気が無いそうだが・・)僕はこの(源平の)時代は結構好きである。
 正にこの平安末期から鎌倉時代初期までの『平家』全盛と没落の時代を観ていると、「人間ってあほやなぁ。でも、僕もおそらく(解ってても)同じようにアホの道を進むやろなぁ。・・ほんま諸行は無常なんや。お釈迦さん、ええこと教えてくれてありがとさん」と思ってしまう。
 たとえをいう。
 平清盛は、「平治の乱」で勝利を収めた時、敗戦側の武将の子「源頼朝」と「牛若丸(のちの「義経」)などに、情けをかけて命を助ける。
 が、やがて、その頼朝や義経たちは大きく成長し、平家を滅ぼしにかかる。
 きっとその時、「清盛」は思ったに違いない。「あぁ、あの時、あいつらを殺しとけば良かった・・」と。
 でも、ひょっとすると清盛は人間の器が大きいため、「いやいや、あの時はあのように(情けをかけた)選択して良かったのだ。けっして俺は、人間として間違ってはいなかった」と思ったかもしれない。
 反対に、平家を滅ぼし『源氏』の時代を開いた源頼朝は、ライバルでいとこの『木曽義仲』を滅ぼした時、人質として預かっていた義仲の息子を「いずれ(自分と同じように)成長したら、必ず俺に仇なす」と思い、殺してしまう。
 が、この息子は、頼朝の娘のいいなずけであった。
 自分の結婚相手を殺された娘は、そのショックで一生独身を通し、若死にする。
 頼朝は、その時どう思ったろう。
 「私はかわいい自分の娘の一生をむちゃくちゃにしてしまった。・・はたして、あの(娘婿予定の子の命を奪うという)選択をとって良かったのか?・・いや、あの時は、あの方法しかなかったのだ。」と、思うだろうか?
 どっちみち、(今も昔も)人間は『後悔』せずには往き抜けないのでないだろうか?
 ならば僕なら、結果的に不幸になっても、『人間としての優しさ』を選んだ、『平清盛』の選択に好意を抱き、(スケールはちっちゃくても)同じような道を選んでしまうだろう。
 どっちみち、人は『後悔』はさけられないのだから、僕は死ぬ前の『虚しさ度数』の少ない道(選択)を選びたい。
 

「紙芝居」の色塗りをしていて思うこと

 最近、(水彩絵の具で)「紙芝居」の色塗りをしていて思うことがある。
 たとえば「空」の色を塗る時は、当然、〔スカイブルー〕や〔青色〕、そこに〔白〕で雲を描いたりし、そして夜なら〔藍色〕、あめが降りそうだったら〔灰色〕に黒を混ぜながら描く。
 又、昔の農家の「壁」の色や、お百姓さんの「着物」の色は、〔こげ茶〕や〔ふかみどり〕などを使う。
 しかし、そんな単調な色合いだけでは、うまく僕の主張は表現できない。

 つまり、木造住宅の柱や壁なら〔こげ茶〕を塗っていくのだが、そこに人間が棲み、生活の営みがあるのだから、当然汚れていなければならなくて、〔こげ茶〕だけではダメで、そこに〔黒〕や〔黄緑〕を混ぜたり、又、水で〔こげ茶〕を薄く薄くして、光の濃淡を出したりする。(その物語の主人公の《心の表現》も(周囲の背景の色あいで)表現することが多い。)
 ・・それで何が言いたいかというと、つまり今、生きている我々人間も、紙芝居の〔色〕と同じようなものだと(最近)思うのだ。
 初めから、〔真っ白〕や〔灰色〕や〔金色〕だけの色を持った人はいないのに、我々は勝手な主観によって、その人の持つ〔色〕を決めつけて、その人と付き合い、その結果、減滅して嘆いたり、喜んだりする。

 〔一色〕だけの人など、居ない。
周りをくまなく照らす光輝く〔金色〕のようであるが、その中に暗い闇のような黒色を滲ませている人も居るだろう。
 又、その逆もあるだろう・・。
 その人の持ついろいろな〔色〕を見つめ、観察しながらお付き合いする事が、(自分にとって)寄り良い人間関係を続けていく為の秘訣になるのではなかろうかと思うのだ。
 
 はてさて、今(この時の)僕は〔何色〕か?・・灰色か?青か?赤色か?もしくは金色に濃い緑を混ぜた色なのか?
 ・・そんなことを思いながら、昨日もせっせと「紙芝居」の色塗りを済ませて、一作完成させたのであった。
 
 
 

心の闇

『因幡の源左さん』という、熱心な(文盲の)念仏者の紙芝居を作ってから、ずっと気になっている言葉がある。
 それは『心の闇(やみ)』という言葉だ。
 この『心の闇』とは、鳥取の『源左』さんゆかりのお寺〔願正寺〕の御住職から、直接聞かせて頂いた言葉で、
 僕が「なぜ、源左さんはまだ交通の便もままならぬ明治の初期に、京都や各地のお寺に(家族を残して、しかも新婚の時から)命がけで(何度も)出かけて行き、有名な布教使さんからお説教を聴かれたのでしょうか?」と、お尋ねした時、
 ご住職は、「おそらく、源左さんはそれほど『心の闇』が深かったのでしょうねぇ」と云われた、・・その言葉なのだ。
 「『心の闇』が深い」、この言葉がずっと僕の中からぬけない。
 おそらく誰でも(子供でも)、『心の闇』は持っているだろう。
 その『闇』というものが深い。
 う~ん、闇が深ければ深いほど、人はその闇に光をもたらそうと熱心に、又救いを求めて(極端に言えば命がけに)なってもがくのだろうか? 
 僕はどうなのか?
 『心の闇』。・・『広辞苑』で引いてみた。
 『心の闇』=〔思い乱れて、『理非』の判断に迷うことを、闇にたとえていう語。〕=「なんか、軽いような(笑い)」
 では『理非』って何や?・・『広辞苑』で又、引いてみた。
 『理非』=〔道理にかなっていること、かなっていないこと。〕
 うーん、『道理』って何や?
 『道理』=〔物事のそうあるべきすじみち。人の行うべき正しい道。〕
 『そうあるべき』って何や?・・載ってないやんかいさ。
 つまり『心の闇』とは、〔人の行うべき正しい判断に迷い、パニくってる苦しい自分の状態〕とでもいうのだろうか。・・ちょっと、まだ軽いようだがええとするか。
 それが、『深い』のだ。
 『源左』さんは、深く深く、(自分の心の中の)道理の判断に迷い、正しい道を模索するため、命掛けで『救い』とは何か?を追求したのかもしれない。
 さて、僕はどうなのか?
 『心の闇』はまだ浅い・・ような気がする。
 「闇が浅けりゃ、道理が引っ込む」ってか。
 
 
 

月刊誌『御堂さん』の「お参り茶話」のイラスト

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本願寺津村別院内「(月刊誌)御堂さん編集部」が出している(月刊MIDOsanという)冊子の中に、『お参り茶話』というコーナーがある。
 それは毎月、いろんな住職さんが日々のご門徒さん宅へのお参り途中に感じられた事を書く《エッセイ》のコーナーだ。
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 そのコーナーのイラストを(一年契約で)編集部から頼まれた。
 挿絵を書くのは慣れていると(自分では)思っていたのだが、お寺さんの書いた文章に沿った『カット』を書くというのは、(やってみて思ったが)難しいものだ。
 文章の雰囲気を損なってはいけないし、目立ちすぎてもいけない。・・といって、僕には僕の絵の流儀がある。
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 で、四月号はこんな絵(イラスト)になった。
 シンプルにシンプルに線だけで描いたつもりなのだが、本になってみると「もうちょっと、ゴチャゴチャ描いても良かったかな」と思う。
 まぁ、ええわ。しゃぁーない。
 内容もついでにちょっと書こか。・・
 不思議なお話(実話)。
 ある住職のお寺に、一人の見知らぬお婆さんが〔法事〕の日を頼みにやって来られる。 
 その後日。そのお婆さんと同じ住所だという夫婦がお寺にやって来て、同じように〔法事〕を頼まれる。
 住職は、法事の日程の念を押しに又来られたと思い、先日の来院されたお婆さんのことを話すと「そんな人はうちには居ない」とその夫婦は言う。
 「では、いったいあのお婆さんは誰だったの?」という、トワイライトゾーンのような実話だそうだ。
 その難しいお話の一発目の挿絵が、この(写真)のイラストである。

 『・・これは今だ、人間に知られざる次元における物語である。
 そこには空間の観念も無ければ、時間の観念も無い。(だが、描いているのは観念(寺)の住職である。〔小笑〕)
 無限に広く、又無限に小さく、光と影の中間にあって、化学と迷信、空想と知識のその中間に横たわる世界なのである。 
 我々はそれをこう呼ぶ。〔トワイライト・ゾーン〕と・・。
 チャラララ、チャラララ、チャラララ、チャラララ・・(以上、これはオマケのテレビドラマ『トワイライトゾーン』のナレーションとテーマ曲でした。〔笑い〕) 

ノンフィクション児童文学『犬たちをおくる日』を読んで

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 先々週、(犬が大好きの)お寺のある檀家(信徒)さんから、「住職さんに是非、読んでもらいたい。・・そして願わくば、『紙芝居』にして子供たちに演じて欲しい」と、一冊のご本(児童書)を預かった。
 本の題名は『犬たちをおくる日 ~この命、灰になるために生れてきたんじゃない』という。
 児童文学作家の〔今西乃子〕先生が書かれたノンフィクション文学である。
 こんなお話である。(本のカバーから抜粋)
 『(お話の舞台は)愛媛県動物愛護センター。犬たちの命を救うため、日々奮闘する職員の日常を追いながら、「命」とは何なのか、その重さを考えるノンフィクション』とある。
 これだけでは、内容がまだ少し解りづらいと思うので、もう少しだけ本から抜粋させてもらう。
 『・・動物愛護センターの業務は、主に二つある。
 ひとつは、飼えなくなった犬・ねこの引き取りや、野犬や迷い犬の収容、処分。これを「管理業務」という。
 もう一つは、犬・ねこを飼っている人、又、これから飼いたいと思う人への相談やアドバイス。そして、センターにいる犬・ねこの譲渡会など。これを「愛護業務」という。
 つまり、センターでは「犬・ねこを(殺)処分する仕事」と「犬・ねこを大切にかわいがろうと呼びかける」(相反すると思われるが、実は根っこでつながっている)二つの仕事を行っているのである。』
 まだこの文章だけでは説明不足だ。・・で、もうちょっとだけ書かせてもらう。
 『・・捨てられた動物たちのことを誠心誠意想い、そして接し、自らの仕事に高い志と誇りを持ち、「捨てられる命を一頭でも減らす世界を実現したい!」と、日々奮闘される職員さん達の業務を読み追いながら、皆が『命』の尊厳について考てみようと問いかける素晴らしい内容の文学なのである。・・この本は!(こんなに深い話なのに、児童文学なのです。でもやはり、これは子供たちに読ませたい、と思う。)』
 で、僕はこのお借りしたご本を一日で読み、『是非、紙芝居化したい!』と思った。(やはり、宗教(命の)教育とも、根本のところでは、つながっていると感じたからだ。)
 で、で、紙芝居にするには、あまりにもドキュメンタリーな内容なので、著作権が必ず生じてくると思った。それで、まずは『愛媛県動物愛護センター』に連絡を入れた。
 すると親切丁寧にファックスで、作者の『今西乃子』先生のメールアドレスを教えて頂き、「うちはOKです。そしてもし、紙芝居化することが出来たら、うちにも一巻コピーして下さい。お客さまにさせてもらいたい」とおっしゃって頂けた。
 それで、今度は『今西』先生に(ちゃんと趣旨を説明して)メールさせて頂いたら、またまた親切丁寧に、OKのお返事を頂き、又、先生自らが《金の星》出版社の担当の方に連絡を取ってくださり、了承頂けた。
 ありがたい話である。
 が、問題はここからで、この深い深い深いお話をどのようにして、わずか12枚ほどの紙芝居にするか。・・それが問題なのである。
 まぁ、とにかく一度、愛媛県の動物愛護センターに(見学をさせてもらいに)行って来なければならないだろう。・・まずはそこからだ。完成は今年の後半ぐらいになるだろうと思う。・・これだけのご好意を戴いたので、しっかり私も取材して作りたいと思う。
 今から身が引き締まる想いだ。

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