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紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その6)

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あれから24年が経った。
 蓮如上人は、北陸を離れられても勢力的に布教して、活動されたらしい。
 そしてやがて、京は山科という所で病に倒れられた。
 上人は床の中で、しきりにオレの事を思い出されたらしい。
 「蓮崇は今、どこにおる?・・蓮崇を許してやろうぞ⁉」と蓮如さまは言われた。
 すると、そこにいた門弟たちは、一斉にオレの悪事を並べて、「許すなど、とんでもない事⁉。又、蓮崇との面会なども考えてはいけません」と。
 そう、オレは蓮如上人とお会いしたくて、京都まで行き、一目お会いしたいと門弟に頼んでおったのだ。
 蓮如上人がオレの悪口を、門弟からさんざん聞かされた後、こうおっしゃれたそうだ。
「お前たち、それがいかんのだ!・・何と嘆かわしい事を言うのだ。‥こころさえ改めるなら、どんな者でも救うというのが、仏の本願ではなかったか⁈・・どうしようもない者を許していくところが、わが宗旨の面目があるんじゃなかったか⁈‥蓮崇を探しだして呼んでまいれ。」と。
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 こうして、北陸でお別れしてから、24年ぶりにお上人にお会いすることができた。
 お上人のお顔を見た瞬間、オレの目から涙が猛烈にあふれだした。
「お上人⁉お会いでき、かたじけない事でございます。・・あぁ、お許しください!お上人、私は私は・・」ともう後は涙で何も言えなかった。
 「蓮崇、破門を許す」と、お上人は一言、目に涙を浮かべておっしゃられた。
 それから、五日目、蓮如上人は御往生された。つづく

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その5)

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蓮如上人は驚いて言われたそうだ。
「何!わしが百姓たちを扇動しておるとっ⁉そんなことは一言も言っておらん!・・・えっ何、蓮崇が『わしがそう言った』と吹聴しておると。・・・うーん、蓮崇・・、蓮崇は破門じゃ!」と。
 そして、上人は一揆が大きくなるのを恐れて、その日のうちに北陸を船で脱出された。
 もちろん、オレにも言い分はあったので、船に隠れてついて行こうとしたが、見つかって頬り出された。
 オレは叫んだ。
「お上人さまー!私は本願寺教団発展のために、つい嘘をついてしまったのです!・・私もお連れくださーい!」と。
 がっ無駄であった・・。
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 そして、何もかも取り上げられて、オレは教団を頬り出された。
 反省しても無駄であった。
 ・・それからオレはあちこちと歩き回って、どうにか生き延びた。
 そして、いつしか24年間が経とうとしていた。
 つづく 

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その4)

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 その頃、時代は大きく変わろうとしていた。
 いわゆる戦国時代の始まりだ。
 それは、本願寺教団にとっても、無関係ではいられなかった。
 ある日、守護代名と争って負けた門徒の百姓たちが、蓮如上人の元にやって来た。
 彼等は、お上人に「代名との仲直りを取り持って欲しい」と頼みに来たのだ。
 この時、取り次ぎ役のオレは『本願寺の力を見せてやれ!』という気持ちで、つい嘘を言ってしまった。
「その大名を成敗せよ!」と蓮如様はおっしゃっておられるぞ!力を尽くせ」と。
 門徒の百姓たちは、半信半疑ながら、しぶしぶ帰った行った。
 が、この意向が、北陸一帯を瞬時に駆け抜けて大騒動になっていった。
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「蓮如様が、守護代名を成敗せよ!とおっしゃっておられるぞー!
 我らは仏が付いておられるぞー!皆の者、力を尽くて仏敵をやっつけろ!!」と、大百姓の一揆になったのだ。・・いや、これはもはや、一揆という次元ではなかったかもしれん。
 そして、これはのちの話になるが、結果的にこの一揆は、大名を滅ぼして、加賀の国は百年に渡って『百姓の持ちたる国」といわれるようになった。
 が、しかし、この事にビックリされたのは、蓮如上人だった。
つづく

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その3)

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そして、オレは蓮如上人の信頼を得た。
 やがて、上人の懐刀とまで呼ばれるぐらいまで出世したのだ。
 オレは嬉しかった。尊敬する蓮如さまの元で働けることが嬉しかったのだ。
 その頃、上人は京の山法師たちからの迫害に合って、都からオレの故郷[越前の国]に避難されて来られたので、オレと上人の距離は益々近くなっていたのだ。
 ところで、蓮如上人の分かり易いお手紙・伝道方法[ご文章(御文)]に、最初に目を付けたのはオレだ、オレだ、オレだ!
 『この(みんなに向かっての)手紙という、新たな布教方法を使えば、お念仏のすばらしさに、たくさんの者はきっと目を開いて信仰心を持ってくれるはずだ!』と、オレは思った。
 そして、蓮如さまに(お手紙=)『ご文章』の執筆をより多くお願いした。
 これは当たった!
 この結果、この方法で、全国各地に膨大な信者(門徒)の数が増えたのだ。オレの鼻は高々だった。
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 そしてオレは[本願寺大教団]の中で大出世した。
 足利幕府や守護代名たちとの、難しい付き合いや舵取りも任されるようになったのだ。
 オレは、この教団をもっと大きくしたい、蓮如さまをもっと有名にしたい、喜んでもらいたいと頑張った。
 そんな頑張っている姿を見て、蓮如さまはオレを秘書にして外交すべてを任してくださった。
 ・・やがて、オレのもとに、金銀の財宝・米俵などがわんさか入るようになった。
 それはいわば、オレの一言で、教団内の地位・あるいは行政が決まるものなのだから、門徒や各地のお寺の僧侶からの付け届けが、このオレ様のもとにたくさん入ってくるようになったのだ。
 いつの間にやら、オレの直属の部下は数百人。
 そして、財宝の蔵は十三棟にもなった。
 オレは、得意の絶頂だった。 つづく
 

紙芝居:『蓮崇と蓮如上人』(その2)

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 そもそも、オレが蓮如上人に出会ったのは、旅の途中、京の都に寄った時であった。
 偶然、[大谷]という所にある寺で、オレは蓮如上人のお説教を聞いたのだ。
「念仏一つで、仏さまに救われるのです!」という、蓮如上人の言葉にオレは度肝を抜かれた。
 そして、その場でオレは蓮如上人に弟子入りをお願いしたのだ。
 お上人は喜んで快諾してくださった。
 オレは、浄土真宗という教え、いや⁈
蓮如上人のお人柄に惚れたのだ。
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 オレは浄土真宗の僧侶になった。
 が、元来、文字の読み書きが出来なかったオレだ。
 一人前の坊主になるには、絶対、教養は必要だ。
 そこで、オレはもう勉強を始めた。
 四十の手習だ。
 文字の習得は、イロハから始め漢字も覚えた。
 そして、やがて開祖・親鸞聖人のお聖教を写せるようにまでなった。
 そんな姿を見て、師匠の蓮如上人は本当に喜んでくださった。
 つづく

紙芝居:『蓮崇(れんそう)と蓮如上人』(その1)

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 [はじめに]
 蓮崇(れんそう)という名の悪僧がいる。
 ・・いや、悪僧とも一概には言えない。
 精いっぱい自分の置かれた地位で、尊敬する人の為に、愛する教団の為だけに生き抜こうとしたことが、誤って悪僧と呼ばれた由縁かもしない。
 いや、愛することがいつの間にか、ちょっとした錯覚でそれが野望へと変わり、いつの間にかとんでもない大事件を起こし、その名を歴史に『悪僧』という汚名を刻んだのかも・・。
 それが浄土真宗の中興の祖[蓮如(れんにょ)上人]の右腕とまで云われた『下間蓮崇(しもつま・れんそう)』である。
 それでは、今からその[蓮崇]の波乱万丈の生涯を紙芝居で見て頂きます。はじまり、はじまりー。
 
[蓮崇]「オレの名は下間蓮崇(しもつま・れんそう)。
 本願寺の中興の祖、蓮如上人の名参謀と呼ばれた男だ。
 そもそも、オレは[蓮崇]と言う名ではなかった。
 越前の国(今の福井県)出身の無名のオレが、わが恩師・蓮如上人から篤い信頼を得て、[下間蓮崇]という大そうな名を頂いたのだ。
 それでは今から、オレの栄光と挫折の話を聞いて頂こう。」つづく

今、企画・制作中の紙芝居!

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今日は現在、企画・制作中の紙芝居を述べてみたい。
 まず、去年から作り出して停滞している紙芝居。(笑)
 一本目は「東井義雄先生」。
 お坊さんであり、立派な教育者であったお方のお話だ。・・この作品はコロナ禍で取材に行けずにストップしたままで、今押入れで眠っている。
 そして、どうしても描けない三部作の作品三つ。
この三つは自叙伝的紙芝居になるのだが、恥ずかしくて筆が進まないのだ。その題名は第一部「私が僧侶になった訳」、第二部「私が住職になった訳」、第三部「紙芝居事始め」、の三本。これらは私の遺書として描こうか?と思い表紙は描いているが、未だ眠りについたままだ。
 そして、これも表紙は完成しているが筆が止まったままの二部作、「白隠さまの生涯」と「続・白隠さま〜エピソード集」。・・これも取材に行けないのでストップしたままだ。トホホ・・。
 そして「ダルマ大師さまの生涯」も企画したまま。
 さらにバナナ大好きの僕が、フィリピンから来られた先生に直接聞いたお話「バナナの始まり〜フィリピン昔話」も考えている。 
 さらにさらに、コロナ禍二部作のもう一本「無症状感染者 チフスのメアリー」も考えている。
 さて、これらの作品が完成するのはいつになるか?

坐骨神経痛、その後・・

コロナ禍の最中に、坐骨神経痛になり少々苦しんだ。
 仕事柄、長時間座っていたのが原因かもしれない。
 又、紙芝居を描いている時間が長かったのも、良くなかったか?
 まぁ、それである日を境に、布団から起き上がれなくなってしまった。
 これはいかん!と思い、整骨院に通いつめ、お灸、ハリ、マッサージと治療してもらって、ようやく痛みがとれた。
が、整骨院の先生はいつ痛みが再発するかわからないので、なるべく山道などウォーキングして、運動不足を解消してリハビリしなさいと教えて下さった。
 それで今、少し時間が出来たら、なるべく山道を歩いて鍛えている。
 私の住居は田舎なので、周りにハイキングコースが多いのです。
 今は二上山の登山を、三日に一度行き、頑張ってます。

透明マスク、装着

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 紙芝居法話の再開に、普通のマスクでは声の通りが鈍くなる・・ような気がする。
 そこで、この度[透明マスク]を買い、装着して紙芝居を始めることにした。
 マスク効果は、半分以下になるような気がするが、自分の飛沫は飛ばさずにはすむ。
 又、暑さも抑えられる。
 さて、いつまでマスク着用が続くやら・・。
 でも気分は、キャシャーンの戦闘モードです!
 

紙芝居:『1665年ロンドン伝染病の記録』(その9・最終回)

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ペスト禍の翌年1666年、ロンドンは大火事に見舞われた。
 この火事によって、ロンドン市内の住宅の85%(13200戸)は、焼失した。
 が、幸いな事に、(これだけの大火事の割には)死者は少人数であった。
 のち、ペストの原因とも言われたネズミも、この大火災で死に絶えこの伝染病が収束したと言われている。
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 そして、このペスト伝染病の恐怖は終わり、平穏な暮らしにどうにか戻った。
 が、私はこの伝染病というものは、滅びたのではないと思っている。
 ただ眠ってくれているだけだ・・と思う。
 おそらく、いつか又形を変えて、人間世界で目を覚ますに違いない。
 その時の為に、私はこのイギリスロンドンで起こった事を、後世の人々に(我々がこの伝染病に対して行った精一杯の(愚策ともいえるかもしれないが)対策や事件などを)記録した。
 後世の人々よ、どうかその時が来たなら、その時代の智恵を出し合って、試練をどうにか乗り越えて欲しい!
 おしまい

 終わりに
 イギリスにも行った事が無い人間が、この国難とも言えるコロナ禍に、何か、紙芝居でお役に立てないだろうか?と大急ぎで資料を集めてこの紙芝居を作りました。原作は『ペスト』という長編です。この機会に一度読んで見て下さい。
 それと、うがい、手洗い、マスクを忘れずに・・。