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紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その7)

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が、露子は大地主の[跡取り娘]です。
 文筆活動を止め、婿養子をもらい家を継ぎ、子供を作り家を繁栄させねばなりません。
 そういう、時代だったのです。
 それで、彼女は26歳で結婚。
 奈良県から、(家の釣り合いの取れた)婿養子を迎えます。
 そして、二人の男の子をさずかります。
 が、露子の父が亡くなり、後を継いだ婿は、恐慌時に株で大失敗。
 杉山家の所有財産が、三分の一まで減ってしまうのです。
 この頃から、夫婦仲が悪くなり、露子と夫は別居することになるのです。 つづく 
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(杉山邸の庭)
 

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その6)

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失恋の傷が、まだ癒されぬ露子に、さらに追い打ちが掛かります。
 それは、師であり心の友であった家庭教師の解雇と、自分の味方であった妹の嫁入りによる別れでした。
 一人ぼっちになった露子が、そのやるせなさを解放できたのは、雑誌への投稿である[文筆活動]でした。
 与謝野鉄幹・晶子夫妻等と知り合いになった露子は、次第に社会へ目を向けるようになるのです。
 次の歌は、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』の歌よりも、早く発表された露子の反戦歌です。

『みいくさに こよい 誰(た)が死ぬ さびしみと 髪ふく風の 行方(ゆくえ)見まもる』
 (意訳)
「この日露戦争で多くの人が亡くなった。
 今夜はいったい誰が死ぬのであろうか。
 ああ、寂しい。
 私の髪は戦場へ 風と共になびいていくようだ。
 ああ、私はそのように思いやることしかできない。」

 このように、露子は反戦の歌や小説を発表し、社会や国家のあり方に、自分の持つメッセージを込めたのでした。
 つづく

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その5)

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 露子と別れた後、長田正平はどうなったか?
 彼は学校を退学し、貿易関係の会社に就職して、カナダの国へ渡りました。
 そして一生独身を貫いて、カナダの国で一人亡くなったという事です。
 のち露子は、家を継ぐ運命の為に、初恋の正平とのかなわなかった想いを詠んだ、絶唱『小板橋(こいたばし)』を発表します。
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(小板橋跡)
 『小板橋』
「ゆきずりの わが小板橋  
しらしらと ひとえのうばら(=野バラ) いずこより
流れか よりし。
 君まつと 踏みし夕(ゆうべ)に いひしらず 沁みて匂ひき。
 今はとて 思ひいたみて 君が名も 夢も捨てむと
なげきつつ 夕(ゆうべ)わたれば ああ、うばら あともとどめず
小板橋 ひとり ゆらめく」
 [意訳]
「私がよく渡る小さな小板橋。
 橋の下を見れば 白い野バラが どこからか流れて来た。 あなたが来て下さるかと思い、夕べ この『小板橋』まで出て来ると、言い尽くせない この野バラの香りがした。
 もう あなたのことは忘れてしまおうと思うの。
その名前も、夢も・・。
 そう嘆きながら この『小板橋』を渡り、下を見れば もう野バラは 流れ去り無かった。
 あとは この小さな板の橋だけが、私の心のように 限りなく ゆらめいていた。」 つづく
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(小板橋跡近くに建つ、現代の小板橋)

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その4)

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 露子は、大地主『杉山家』の跡取り娘です。
 又、正平も由緒ある家の長男、・・跡取り息子です。
 当時の法律では、お互い跡取りの子供同士の結婚は認められなかったのです。
 それで、露子の父親は、この交際を認めませんでした。
 そして、二人は愛し合いながらも、とうとう、別れることになったのです。
 のち、露子は、次のような別れの時の歌の思い出を歌っています。
 『霜(しも)白く 菊におきけり その日より 久に君見ず 夕別れして』
 意 (霜が白く菊におりていました。その日より、あなたと会っていませんね。あの夕暮れに お別れした時から・・) 
 この失恋から、絶唱『小板橋(こいたばし)』が生まれるのです。 つづく

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その3)

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心を開かぬ露子を心配して、父親は一人の女性家庭教師を雇いました。
 [神山(こうやま)薫]という、その教師はたいへん進歩的な考えを持つ先生でした。
 内向的な露子を、東北や東京などに旅行につれて行き、見聞を広めさせ、新しい文化へと目を開けさせたのです。
 ・・その東京旅行でのこと。
 露子は運命の男性と出会うことになります。
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 その男性の名は[長田(おさだ)正平]という、(今の一橋大学の)学生でした。
 彼は、家庭教師の先生の親戚で、東京まで来た彼女たちの『旅行ガイド』役を引き受けてくれたのです。
 旅先を回りながら、やがて露子と正平は恋に落ちます。
 そして、旅を終えてからも、お互い親しさを増し、翌年には、正平は露子の実家のある大阪[富田林]までやってきます。
 おそらく、露子の家族にきちんと挨拶し、二人の交際を正式に、父親に認めてもらおうと思ったのでしょう。
 が、しかし、この恋には一つの大きな問題がありました。
 つづく

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その2)

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 石上露子は幼い頃から、古典・漢籍・日本画・お琴・舞いエトセトラ、エトセトラなどを習い、超高い教養を身に付けていきます。
 が、しかし、彼女が13歳の時・・、
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 突然、実の母が離縁され、実家に帰ってしまいます。
 露子と妹を残したまま・・。(離婚の原因は諸説あってわかりません。文春砲はまだ遠い・・)
 まだ、母親が必要な少女期。彼女の心はどんなものだったでしょうか?
 又、すぐ継母がやってきますが、彼女はなつきませんでした。
 のち、詩歌の文芸誌『明星』に、露子がこの時の気持ちを思い出して投稿した歌に、次のようなものがあります。

『世にそいて つくれる媚(こび)のわびしさも よりて泣くべき 母はいまさぬ。』

 これは(世間の大人たちに、自分は合わせて 寂しさを隠して生きている・・あぁ、こんな時こそ 居て欲しい母が私にはいないのだ。)という意味でしょう。
 大大家族の中で育つ露子ですが、孤独感は一層つのり、泣き顔を見せない超内気な少女になっていくのでした。 つづく

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その1)

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 ペンネーム[石上露子(いそのかみ・つゆこ)]。
 本名『杉山タカ(孝子)』。
 彼女は明治時代、日本の詩や歌(短歌)の世界に彗星の如く現れ、多くの作品を残し有名になりました。
 その作品の特徴は、古典の教養を元にしながら、華麗さと悲しさを漂わせたものでした。
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(富田林市 杉山邸)
 大地主の家に生まれ、美しさと才能に恵まれた彼女でしたが、その生涯は決して順風満帆なものではありませんでした。
 このお話は、そんな彼女の波乱万丈なものがたりです。
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 杉山タカこと、石上露子は(この物語では[露子]で通します)、大阪は富田林市寺内町で生まれました。
 彼女の家は、『富田林の酒屋の井戸は 底に黄金の水が沸く 一に杉山、二にさどや、三に黒さぶ、金が鳴る』と、
 歌われたような、大地主の造り酒屋でした。
 彼女の家は、大家族で父・母・妹の他に、祖父の家族たちも一緒に住んでいました。
 そこで露子は、杉山家の『跡取り娘』として、厳しく又、とても大切に、育てられたのでした。 つづく

王寺町の『雪丸』の里へ

 昨日、奈良県の王寺町へ行って来ました。
 この町は、今年盛り上がってます。
 なぜか?
 人間の言葉を理解し、お経を読んだという[聖徳太子]の愛犬『雪丸』が、(全国的に)大ブームだからです。
 今年は、戌(いぬ)年ということも後押ししています。
 王寺町の[観光ガイドボランティア]の会長さんや、副議長ともお会いしていろいろなお話をしました。
 ひょっとしたら?、僕の紙芝居『太子と雪丸』が、雪丸の里で使ってもらえ、現地で見れるかもしれませんよぉ。合掌
 

『石上露子』の紙芝居制作の続き

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(露子の生家[杉山邸])
時間が空けば、富田林市寺内町まで行って、(次回の紙芝居主人公)[石上露子(いそのかみ・つゆこ)]の事を調べている。
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(小板橋跡の碑)
 おとといは、露子さんの有名な詩『小板橋(こいたばし)』の跡を調べて来た。
 実にわかりにくい場所(竹藪の中)に有り、苦労して探した。
 なぜ調査が必要だったか?・・それは、紙芝居でも出てくる重要な場面であるからだ。・・取材しないと描けないのだ。
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(現代の小板橋か?)
 そして、昨日は『石上露子を語る会』の会員の先生に、お寺までお越し頂き、露子さんについて僕のわからない所を一杯質問し、教えて頂いた。
 それでも、まだわからない所が多い。・・調査はさらに続く。

富田林の詩人[石上露子]さんの紙芝居制作中

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(石上露子さんの生家・富田林[杉山宅])
このホームページにはまだ発表していないが、二人の反戦僧侶の紙芝居が完成したので、次の紙芝居の企画・そして制作に今、取り掛かっている。
 一人は、富田林の一流女性詩人「石上露子(いそのかみ、つゆこ)」さんの生涯を描いた紙芝居である。
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 彼女は、当時まれな才色兼備を持ち、そしてプラス超一流の財や地位名誉を持った家に生まれ、一流の詩人となり世間に知られるのだが、わけあって波乱万丈となり、その生涯は決して幸福ではなかった。
 その生涯を紙芝居でさらっと流しながら、紹介したいと思っている。

 そしてもう一つは、その露子さんの晩年心の支えとなったお寺、河南町の[高貴寺]を舞台とした話で、名僧[慈雲(じうん)]尊者の生涯を描いた紙芝居の制作にも入っている。
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(高貴寺)
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(慈雲尊者の墓)
 おそらく今年前半期は、この二人のお話の制作で力尽きるであろう・・と思う。