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今、制作中、二本の紙芝居

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 今、制作中の二本の『紙芝居』を紹介します。
 一本目は、『大石順教尼』さんの生涯を描いた物。
 これは、義父によって両腕を切断された『大石順教尼』さんが、高野山で出家をして尼僧となり、自分と同じような境遇の仲間の為に、福祉施設、兼寺院を作って生きぬく!生涯を描いたものである。
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 この紙芝居、両腕の無い順教尼さんが、口に筆を噛み、絵画や文字を描かれた場面を描くために、僕も筆ペンを口に噛み、写経をやってみたのだが、とても、難しくて出来るものではなかった。・・よだれが流れ落ち、口がすぐだるくなり、無理だった。・・順教尼さんは凄い人だと改めて思った。
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 もう一本は、浄土真宗の妙好人『赤尾の道宗』さんの紙芝居。
 この方の故郷は、富山県の五箇山。今月取材に行ってくる予定だ。
 この方は、少しでも阿弥陀仏が自分たちの為に、血を吐くようなような思いで修行して下さった有難さを、自分自身、味わい、少しでもそのご苦労と感謝の体験しようと、毎日、割木48本に念仏を称えて、その上で眠ったという伝説のある妙好人なのだ。・・ドМで決してない。・・ただ者では無い!
 僕も割木を集めて一度体験しようと思うのだが、ホームセンターに割木がまだ売ってない為に出来ていない。
 売り出せば、一度やってみる。・・僕もドМでは決してない・・たぶん。

紙芝居:「安楽庵 策伝・伝」(その4 最終回)

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(京都『誓願寺』様)
 策伝さんは、60歳で京都『誓願寺』の55世法主となります。
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 それと同時に、徳川幕府の御代官に頼まれ(御代官の世間知らずの息子の為に書いて欲しいと、友人の策伝さんに頼んだとの説がある)、『オチ』のある法話全集の執筆に入ります。
 その書物の名を『醒睡笑(せいすいしょう)』と言います。 それは『ねむりを、さまして、わろてまう』という意味なのです。(余談ですが、この『策伝・伝』の第二部で、その『醒睡笑』の中身を紙芝居で、少し見て頂くことにしましょう。)
 ・・この書物、ひょっとすると、戦さや不慮の事故で亡くなった人の親族を、『笑いの力』で慰めようと、策伝さんの願いが込められた物でもあったかもしれません。
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 江戸時代、初期。
 策伝さんは89歳で、誓願寺の茶室『安楽庵』で亡くなります。
 大往生でした。
 そして、策伝さんが亡くなってから、時代は江戸中期に移り、江戸・京都・大阪から、三人の[落とし噺(ばなし)]の芸人たちが、彗星の如く現れます。
 それは、まるで策伝さんの弟子のように・・、
 江戸の[鹿野武左衛門(しかの・ぶざえもん)]。
 京都の[露の五郎兵衛(つゆのごろべえ)]。
 大阪の[米沢彦八(よねざわ・ひこはち)]。
 これらの人たちが、策伝作の『醒睡笑』から、大なり小なり影響を受けて、今日の[落語]となってゆくのです。
 第二部へつづく・・。 
 ひとまず、おしまい

紙芝居:「安楽庵 策伝・伝」(その3)

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 豊臣秀吉公が亡くなってから、又、大きな合戦が起りました。
 働き盛りの男姓たちの多くが、そこで亡くなったのです。
 ・・次のエピソードは、筆者が、昔何かの本で読んだ、策伝記の小ネタを、少しアレンジしたお話です。
 この日、策伝さんは用事の為、戦場跡を歩いておられました。
 その時、一人の武士の遺体の前で、或る親子が大声で泣いていたのです。
 「わーんわーん、お父ちゃん、どうして死んじゃったのー!」、
 「あーっあんた~、私はいったい、この先どうすれば良いのー。この子たちをどう育てれば良いのー!」と。
 それを見て策伝さんは、居てもたっても居られず、手厚く遺体を埋葬しました。
 そして、読経しその親子を慰めました。
 が、親子は泣き止みません。
 そこで策伝さんは・・、
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 「・・お母さん、大丈夫! 仲良い夫婦のあんたらが、ふーふーと言うて、作った子やろ。子供は強いもんや。子供は『風の子』ともいう。ふうふ~、フウフ~~の子なんや。何かあったら、お父さんが極楽から『いつまでも夫婦のわしが守るでー』と、風吹いて守ってくれんでー。ふ~ふー、とな。」と言いました。
 「・・ん、お坊さん?・・それシャレか?へんなしゃれ。くすっ。・・でも、私らを慰めてくれてるんやな。おおきに、おおきに。・・いつまでも泣いてたらあかんなぁ。頑張らな!」と、親子は御礼を言って去って行きました。
 この時、策伝さんは改めて、『笑いが、人の心を楽にすることもあるんや!・・わしも、自分が楽になる為に、笑いのネタを書き溜めてきたんやった。・・これを法話に入れて仏さんの話をしよ!それで、皆も救われる力が大いに上がるはずや!』と、[笑いの力の大きさ]を感じたのでした。
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 それから、策伝さんの法話には、難しい仏の話にも、笑いのオチを必ず入れて、皆に肩の力を抜いて聞いてもらうようになりました。
 特に、夫や家族を亡くした女性、又その子供にも親しみやすく法話をしたのです。
 その笑いのオチの部分は、小僧の時から書き溜めていた[おもろい小話]のメモが、たいへん役に立ちました。
 又、絵を使ってわかり易く法話をする『マンダラ絵説法』という手法も考え出されたということです。(それって紙芝居法話と、ちゃうの?・・)つづく

紙芝居:「安楽庵 策伝・伝」(その2)

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 さらに[策伝(さくでん)]さんは、名人[古田織部]公に茶道を習います。
 こうして、策伝さんの心の修行も深く積んでいかれました。
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 やがて策伝さんは、西日本へ精力的に布教活動に出られます。
 そこで、多くの寺院を建立・復興させていったのでした。
 その後、再び、岐阜へ戻り、(得度をした)浄音寺の住職となります。
 その後、大阪堺のお寺から呼ばれて、そこのお寺で住職をしたり、再び岐阜へ帰ったりして、忙しい日々を過ごされました。(もはやこの頃、策伝さんは有名人!)
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 そしてその後、策伝さんは、天下を統一した[豊臣秀吉]公の相談役(=御伽(おとぎ)衆)の一人となりました。
 策伝さんは、秀吉公の前で、日頃、自分自身が感じた世相を面白おかしく、厭きさせないようにお話したと伝わっています。
 (やはり策伝さんの魅力は、やはり『話芸』のうまさだったのでしょうねぇ・・、今でいうタモリさんとNHkアナウンサーと一流の世相評論家を合体させたような感じだったのかな?)
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(今も残る『策伝さんの肖像画』:ハート形の頭が魅力です。ちなみに僕は、ウルトラセブンに出て来た[バド星人]を、策伝さんのモデルにして描きました。)
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(バド星人by円谷プロ)
つづく
 

紙芝居:「安楽庵 策伝(あんらくあん・さくでん)伝」(その1)

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 え~、皆さんは、落語(らくご)はお好きですか?
 『落語』というのは最後にオチがつく、日本の伝統的話芸の一つです。
 それでは、その落語の基(もと)を作ったのは、戦国時代のお坊さんやったって、知ってはりましたか?
 落語というのは、元々、お坊さんの説法の一つとして始まったんでっせ。
 そう言うたら、落語家も僧侶も、どちらも座布団に座って、扇子持って、ようしゃべる・・、何か似てまんなぁ。
 それを作ったのが、今からお話します『安楽庵 策伝(あんらくあん さくでん)』さんなんです。(有力な一説なんでっせ。)
 では、いったいなんで?[策伝]さんは、オチのある説法を考え出しはったのか?
 そのルーツと、策伝さんの紹介を生涯?、いや、生涯を紹介させてもらいまひょか。もう、ボケかましてまんなぁ。
 それでは、はじまり、はじまりー。
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 昔々の戦国時代の初期。
 今の岐阜県で、策伝さんは生まれました。
 父は、[金森定近(かなもり・さだちか)]という戦国武将。
 策伝さんは、次男であった為、七歳で、近くのお寺浄土宗[浄音寺]様で出家得度しました。
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 策伝さんは、頭が良く記憶力に優れておりました。
 師匠の教えを素早く吸収し、法話の達人へと成長してゆきました。
 又、本来、ユーモアのセンスもあって、何かおもろい事があると、忘れないように、紙にメモしていたそうです。
 これが、後年、落語の基に成ることも知らずに・・。(本来のお笑い好き坊主やったんでんなぁ・・。)
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(策伝さんが得度をした岐阜県[浄音寺]様。 10年程前に取材に行きました。・・紙芝居を作るのに構想から10年も掛かってしまった!)
つづく

[大石順教尼記念館]の役員さん達の来院

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 昨日、和歌山県より、『大石順教尼記念館』の役員さん達がご来院された。
 館長さん、役員のお嬢さん、国際マナー講師の方や人間学塾の局長さん方である。
 来院の目的は、僕が20年ほど前に作った『ヘレン・ケラー』の紙芝居の見学。そして、今作り始めている『大石順教尼』の紙芝居についてのアドバイスの為に、ご遠方の所わさわざお出でくださったのだ。
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 制作については、今年一杯は掛かると思うが、順教尼さまについて、興味深いことをたくさん教えて頂いたので、俄然創作意欲が沸いて来た。
 記念館の役員の皆様、これからもご指導ご鞭撻よろしくお願い致します。合掌

京都:浄土真宗本願寺派[尊超寺]の皆さまのご来院

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 日曜、団体参拝バスツアーで、京都から『尊超寺』さま一行が、ご来院された。
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(いつもの、三尺三寸箸の実験コーナー。決闘コメディをしているみたい!)
 とにかく、一杯お話して、御門徒さまと共に楽しい時間を過ごさせて頂きました。
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 今日は、最後に「人間万事サイオウが馬」の紙芝居でまとめてみました。合掌

富田林:「光盛寺」様への永代経法要

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先週の土曜日、富田林市の『光盛寺』の永代経法要にお招き頂き、お昼と夜の二座の法座に、紙芝居法話に行かせて頂いた。
 こちらは、富田林市の寺内町にある風情ある街並みに建つお寺だ。
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 こちらへは、今回で二度目。
 大きなお寺での法話に、少々緊張したが、お寺のご家族の皆さん、そしてご門徒の皆さんのお優しい雰囲気が、ビシビシと伝わって、温かい雰囲気に包まれながら、どうにかお話する事ができた。
 光盛寺の御住職の「僧侶と門徒さんが一つとなっていた法話会でした。」とお褒めの言葉を頂き、たいへん嬉しかったです。有難うございました。合掌
 

寺カフェ、大御所来店!

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 昨日は、月一[寺カフェ]の日。
 春の大法要、永代経法要が終わったばかりで、お客様は少なめでした。
 が、しかし、観念寺の大御所『筆頭総代』Yさまが、車椅子でご来店下さったのです。
 この方が居なかったら、今の観念寺は(朽ちて)無かったのです。・・いわば、お寺の大恩人。
 ほんと、御高齢でのご来店、誠に感謝致します。嬉しかったですわ。
 奥様の後押しで、車椅子にて到着された時、みんなびっくり。
 急いでみんな手を貸し肩を貸し、ご来店のお手伝い。喜び合いました。
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 僕は「ほんま、よう来て下さいました。大サービスで、コーヒーを一杯百万円におまけしておきます!」と、ジョークでお迎えしました。
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 もちろん、帰りは車で送らせて頂きました。
 後で奥様より、「懐かしい友人達の顔が見れて、主人も生きる気力がパワーアップしました。有難うございます」とお言葉を頂きました。
 寺カフェをやってて、ホンマ良かったです。合掌

今年の永代経法要の記念イベントは、落語でした!

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 今年も盛大に(参拝者50名近く)『永代経法要』をお勤めする事ができました。有難うございました。(二階の床抜けへんか、心配したわ・・[笑])
 今、無事終わって、ホッとしています。
 さて、今年のお勤めが終わっての記念イベントは、ずばり[落語]です。
 お勤めが終わってから、僕は「・・かつて(安楽庵策伝)というお坊さんの説法から、落語が始まったのです。皆さん、今日は仏様と一緒に大いに笑いましょう!」と宣言。
 そして、ゲストの女性ホープの噺家[露の瑞(つゆのみずほ)さま]に、『金明竹』・『書割盗人』の二本の落語を披露して頂いた。
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 うちの御門徒さん、爆笑の渦でした。(家族を亡くして、泣いてばかり居られたご門徒さんが、笑てくれはったんが一番嬉しかったわ・・。)
 ほんま、有難うございました。合掌