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紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その6)

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「何という事だ!お山にとって善いと思ってした事が、かえって高野山を二つに割ってしまった・・。仏様、お大師様、申し訳ありません・・。」と、覚鑁上人は反省を繰り返し、今度は『密厳院』というお堂に籠られ、千日間の[無言の行]に入られました。
 そして、その行の最後に有名な『密厳院(みつごんいん)発露懺悔文(ほつろさんげもん)』を書かれるのです。
 少しだけ中身を述べますと・・、
『我々は懺悔します。・・多くの罪を作っています。・・行動と、言葉と、心の働きは数えきれない程、良くない行いを犯しました。・・私はすべての人々に代わって、ことごとく懺悔します。』というような文が続きます。(お坊さんは一読有りです)
 清らかな心の悟りを開き、高野山のトップに立ち、長年の夢であった、弘法大師のような最高指導者になったものの、良き指導者になることが出来なかった悲しさと、そして上人の心の純粋さが文面からにじみ出ています。
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(根来寺 覚鑁上人の墓) つづく

『真宗木辺派 仏教婦人連合会』の団参

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浄土真宗には、《真宗教団連合》があり、[10]派がある。
 その一つが、滋賀県:野洲にある[錦織寺]様を本山とする木辺(きべ)派である。
 本日、その[木辺派]の、[仏教婦人連合会]主催の団体研修バス旅行があり、うちのお寺にお出でくださった。
 総勢63名、中型バス2台。・・うちの寺のキャパでは一杯いっぱいだ。(椅子が足らん、トイレも足らん・・(笑)ご迷惑をお掛けしました)
 まぁ、それでも、ご参拝下さり有り難いことだった。
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(僕の隣が、御門主さま・・です)
 しかも、木辺派の《御門主様=一番偉い方》もお出で下さり、(知らんかった・・サインもろたら良かった!)焦りました。(到着されてからお聞きした。・・事前に聞いてれば、トイレをもう一つ作ったのに・・うそ。出来ましぇん)
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 それでも、まぁ、僕はエエかっこ出来ないので、いつものように、何も変わらん紙芝居法話をさせて頂きました。

 ・・でも、御門主様の前で、皆で「坊主が、屏風に、坊主の絵を描いた!」と大合唱したのは、まずかったかなぁ・・。(笑い)すんませんでした。合掌

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その5)

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 その結果、覚鑁上人は、わずか二か月間で、両方の座主の座を辞任してしまわれます。
 そして、お不動様のお堂に籠ってしまいます。
 この時、反対勢力と戦う方法もあったと思われますが・・、あえて御山(高野山)での戦さを避けられるのです。
 そして、もう一度(なぜ、こうなったのか?と)しっかり、自分自身を見つめ直す道を選ばれたのでした。
・・がしかし、覚鑁暗殺団の僧兵たちは、武装してお堂の中に乗り込んで来ました。
「覚鑁はどこじゃ!見つけ次第、殺してしまえっ!」と。
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 僧兵たちは、槍や刀を持って、お不動様のお堂に入って来ました。
 「おかしいなぁ・・。先ほど、覚鑁らしき坊主の姿が見えたのに、どこにもおらんぞ⁉ 
 あっあれを見ろ!不動明王が二つある!・・覚鑁め、不思議な術を使いおって、お不動さまの仏像に姿を変えたに違いない! おい、槍で突いてみろ!・・血が出た方がきっと覚鑁じゃ!」と、僧兵たちはお不動さまを、槍で突き刺しました。
 すると、不思議なことに、両方のお不動様から血が飛び散りました。
 「やっやっ、これはいかんっ!不動明王の罰をくらうぞ!皆の者、引けい引けいっ!」と(吉本新喜劇みたいに)逃げ出しました。
 こうして、覚鑁上人は命拾いしました。
 これは有名な、覚鑁上人身代わり不動尊(きりもみ不動)の伝説です。つづく
 

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その4)

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 覚鑁は、高野山で厳しい修行に打ち込み、様々な行を成就してゆきます。
 そして、わずか40歳で《金剛峯寺座主》、新たに建立した《大伝法院座主》に就任し、『弘法大師の再来』と呼ばれ、最高権力の座に登り詰めました。
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 そしてさらに、当時もっとも流行していた[浄土信仰]も、真言宗密教に取り入れるのです。
 覚鑁上人は言います。
「浄土に居られる阿弥陀如来様は、真言宗の大日如来様を中心としたマンダラの中に居られる。だから南無阿弥陀仏の教えも、突き詰めれば、真言密教の教えの一つなのだ。つまり同じものなのである。我々も念仏者と一緒に庶民の中に入り、人助けの為の活動をしようではないか。」と。
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 が、しかし、彼のあまりにも急いだ大きな高野山改革に、御山の僧侶たちは大反発、「覚鑁はとんでもないことを言いよる坊主じゃ!」と、覚鑁上人の命を狙い、排除しようとするのでした。つづく
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(高野山)

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その3)

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 弥千歳麿は、お兄さんにその事(=父ちゃんカッコ悪いー!って事)を話してみました。
 お兄さんは言いました。
「そりゃ、父上は肥前の国では強くて権力を持っておられる。・・しかし、都のお役人の方が、父より偉いんだよ」と。
 それを聞いて「じゃあ、都の役人が世の中で一番強いんだね?」と言うと、
 兄さんは「違うよ。お役人よりもっと偉いのが天皇さまだよ」と言いました。
 弥千歳麿は「じゃあ、天皇様が一番偉いんだね」と言うと、兄さんは「それも違う。・・天皇様より偉いのが、うーん⁉お寺の仏様っ、うちの宗派だと[大日如来]様が一番偉いのさ。」と言いました。
 すると弥千歳麿は、「兄さんっ、僕は大日如来さまのようになりたい!」と叫んだのでした。 
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 やがて父が亡くなり、弥千歳麿は、出家することになりました。
 『僕は大日如来さまのように、きっとなってみせる!』と、彼は猛勉強し、京都の仁和寺で出家得度したのでした。
 彼のお坊さまとしての名前は《覚鑁(かくばん)》でした。
 やがて、覚鑁は修行する中で、悟りを開かれた(ある意味、大日如来のようになられた)《弘法大師空海》にあこがれ、20歳で高野山に上がり、さらに熱心に修行に励むのでした。 つづく

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その2)

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 ・・覚鑁上人。
 幼い頃は、弥千歳麿(やちとせまろ)と呼ばれていました。
 彼は、九州の[肥前の国]=(今の佐賀県)に生まれました。
 父は地方豪族の追捕使(ついぶし)。[今の警察庁長官]で、海賊などをビシバシ捕まえる凄腕であったそうです。
 「父上は凄い!かっこいい!」と、弥千歳麿は大変、父を尊敬しておりました。
 ・・が、しかし、
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 弥千歳麿は見てしまったのです。
 ペコペコ頭を下げて、カッコ悪い父の姿を。
 それは、父の上役の貴族役員が、都からやって来て、父をしかりつけている所でした。
 その時、父はただただ、ひたすら汗をかいて、あやまっておりました。
 この姿を見た弥千歳麿は、ただもう、たいへんショックでした。
 そこで・・。 つづく

今月は盛況の『寺カフェ』

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 今月の寺カフェは盛況でした。
 隣町からのお客さんも来て下さり、30名以上の集客となりました。
 会計さんもほっとされて、役員一同ホクホクでした。
 有難うございました!合掌

 

紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その1)

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 平安時代の末期。
 真言宗を開いた『弘法大師 空海』がお亡くなりになって、すでに300年近くが経っていました。
 この時、衰退していた[高野山]真言密教を立て直し、[真言宗中興の祖]と呼ばれたのが覚鑁(かくばん)上人です。
 彼は彗星の如く高野山に登場し、大伝法院を建て、『懺悔(さんげ)の聖者』と呼ばれました。
 又、念仏の教えとの融合も果たしました。
 『弘法大師の再来!』とまで言われますが、あまりに急いだ大改革の為、その反動によってお山を追われることになります。
 この物語は、理不尽な仕打ちを受けても、人を恨まず、自分の理想に生きた一人のお坊様のお話です。つづく
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(覚鑁上人のお寺:和歌山県[根来寺])

「寺カフェ」と「ほろ酔い交流会」

 月一回行っている[寺カフェ]が好評です。
 ・・で、「寺カフェの[男バージョン]が出来ないものか?」とお声が上がり、今月から、ちょっと一杯やりながら語り合う『ほろ酔い交流会』を始めることになりました。
 ・・と言っても、大したことは出来ません。
 お寺のホールで、男の人を中心に集まり(女の人もOKです。檀家さんじゃ無い人もOKです)、缶ビールやチューハイを飲みながら、語り合おうやないか!という趣旨でやってみるのです。
 『男のもんは、アルコールがちょっと入って悩み事が言えるからなぁ・・。』と色々意見を聞いて、やってみることになったのです。
 すでに、地元老人会との協賛も決まりました。
・・でも、どうなることやら?
・・が、まずは、やってみます! 赤ちょうちんものれんも買おうと思ってます。・・結構、楽しんでいますね。称名
 

信州:上高地に行ってきました

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一泊二日で、夏の終わりに信州の[上高地]に行って来ました。
 遅いお盆の慰安旅行です。
 松本駅から、高速バスで上高地へ。結構、長旅でした。
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 標高1500メートルの高地は、肌寒かったです。(長袖にすれば良かった)
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 ここは、別世界です。
 極楽とは、こんな所なのでしょうか⁉
 二日間、トレッキングしました。
 充電完了です。
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 ここは、芥川龍之介原作『河童』の舞台。・・有名な河童橋です。
 たくさんの観光客でした。
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 みんな、暑い夏はこんな涼しい所に避難するんやなぁ・・? 初めての体験でした。