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今年も、寛弘寺村の墓参りの季節が来ました!

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今年もやって来ました、寛弘寺村の墓参りの日が!
少し前までは、縁日のように、屋台のアイスクリーム屋さんや、お面屋さんなどもお墓の前で、賑やかに開かれていたこのお墓参り。
さすがに、今年の暑さでは、アイス屋さんしか出ていませんでした。
夜明け前から始まるこの墓参り、今年は午前9時には無事に終わりました。
この山登りのような持久走墓参り、今年も足はつりかけましたし、法衣も汗でベチョベチョになりましたが、・・今年は誰も、暑さで倒れる事はなかったです。
それが何よりでした!

富田林「専念寺」様の[盂蘭盆法要]

昨日の夜は、例年の如く「専念寺」様の[盂蘭盆法要]に出講。
紙芝居法話に行って来ました。
お盆なので、演目は「お盆のはなし〜地獄の落ちたお母さん」。
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(カップ麺を開けると、ビックリ箱のような炎が上がる地獄麺)
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(ウランバナ(逆さ吊りの飛び出す紙芝居))
夏休みの断捨離の話を混ぜ、「愚か者のパンタカ」。
今の世相に似て来ました「観無量寿経の話〜王舎城の悲劇」の三本をお話して来ました。
全て、文章も絵も、リニューアルしたもので、皆さんも新鮮に聞いて頂けました。ありがとうございました。合掌
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(飛び出す目連のお母さんは極楽へゆく紙芝居)

今堂地域「いきいきサロン」三世代交流会へ

隣り村の今堂(いまんどう)地域の[三世代交流会]へ、紙芝居法話を演じに行って来た。
こちらの地域の区長さんが、知り合いのお寺の総代さんで、そのご縁で頼まれたのだ。
ご年配の方たち、若い世代のご両親、そしてその子供たちの三世代が、50人程集まりました。
それで、自分さえ良ければそれで良い!というような間違った風潮を吹き飛ばす法話を頼みます!と、なんとも難しい注文をお受けして行って来たのだ。・・まぁ、なんとか終わったのでええとしよう。
それにしても、三世代への話は難しいなぁ。

夏は花火で始まる!

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南河内の夏は、PL教団の花火大会で始まる。
昨日も、約40分間程の大花火が、南河内の夜空に上がった。
年々、花火の本数も少なくなって来ているが、やはりこれがないと、夏が来たような気がしないから不思議だ。
さぁ、これが終われば、いよいよ、お盆参りが始まる!

紙芝居:『相撲のはじまり』(その7 最終回)

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いよいよ、この紙芝居も最終話である。
 さて、この相撲の『始祖・神様』と呼ばれるようになった[土師(はじ)の宿禰(すくね)]は、そののち、天皇家の『葬式儀礼』を司る専門職になります。
 そしてその一族は、のち[桓武天皇]の時、新たに『菅原(すがわら)』という、苗字をもらいます。
 そう、あの有名な[学問の神様]『菅原道真(みちざね)』は、宿禰の子孫にあたるのです。
 ・・が、それは又別のお話にして、これにて『相撲のはじまり』は、おしまい。めでたし、めでたし
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(今は駅名だけとなった『近鉄[土師の里(はじのさと)]』。・・おそらく、この周辺に[土師(=野見)]の一族は暮らしていたのだろう。]・・面白いことに?この駅の横に大きな葬儀屋さんがある。(因縁か⁈この葬儀屋さんの先祖は宿禰に関係があるのか⁈・・わからない(笑))・・僕も昔一度、こちらでお葬式を執行したことがある。)
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(駅前にある古墳群(宿禰の一族の墓という説?もある))
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(今も、相撲の力士たちは、宿禰の墓参りをするらしい・・。)
おしまい

紙芝居:『相撲のはじまり』(その6)

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(野見宿禰の墓か?奈良:十二柱神社内)
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(當麻蹴速の墓か?葛城市:相撲館けはや座前)
 ・・本筋に戻す。
 この野見の宿禰たちの『力比べ』が、宗教儀式として、宮廷行事となり、現在の[相撲]の形となっていきます。
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 まず、『土俵』という神聖な場所を設置して、四隅に神々を祀ります。
 力士たちは、マゲを結い、マワシを絞めて、お塩と水で身を清めます。
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 そして、足元の邪鬼を封じ込める為に、シコを踏みます。
 柏手を打ち、さらに両腕を左右に開くのは、武器を持ってない証拠をあらわす為です。
 そして、勝った力士は、勝利の感謝をあらわす為に、三つの神々(神産巣日(かみむすび)の神、高御産美日(たかみむすび)の神、天御中主(あめのみなかぬし)の神)にお礼をして、懸賞金をもらいます。
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 こうして、相撲は日本独自のスポーツになっていきました。つづく
 

紙芝居:『相撲のはじまり』(その5)

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・・余談になるが、昨日、実際の『大相撲』観戦に行ってきた。(もちろん、この紙芝居の参考にする為である。)
 『大相撲 羽曳野場所』という、いわゆる[地方巡業]というものである。
 猛烈に暑い体育館の中、現役の人気力士たちの取り組みを観ようとファンたちで超満員であった。
 僕は、[マス席]という四角の座席を買ったのだが、狭くて観るのがつらかった、・・おそらく皆さんももそうであったろう。でも、会場は熱烈なファンの声援と熱気で多いに盛り上がっていた。(醒めた目の僕は、相撲の魅力とはいったい何なのか⁈・・ということを考えながら、老若男女の観客たちの表情ばかり観察していた。)
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『初切(しょっきり)』・・相撲の禁じ手をコントで面白おかしく教える見世物や、
『相撲甚句(じんく)』・・土俵上で力士が披露する余興的な歌、など、イベントならではの、対戦の間の大サービスのオンパレードで厭きさせなかったが、やはり、何時間も座ったままずっと観るのはしんどかった。
ファイル 1996-2.jpg つづく

紙芝居:『相撲のはじまり』(その4)

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野見の宿禰(すくね)は、天皇に言いました。
「天皇さまからの、有難きお言葉なれど、勝負とはいえ、人ひとりの命を奪ってしまいました。‥私は素直に喜べません。
 私は先祖より、人の命は尊きものと教えられてきました。
 もし、他にご褒美が頂けるなら、・・私に、人の命を頂けませんか⁈」と。
 それを聞いて、天皇は「それはどういう意味じゃ?宿禰」と聞かれると・・、
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「はい、今、位の高い王族の方が亡くなられると、お墓(古墳)の周りに『殉死』といって、元気な人もあの世のみちづれに、・・つまり、生き埋めにされます。
・・それをやめて頂きたいのです。
 その代わりと云っては何ですが、私が作りました[人]や[馬]などの『埴輪(はにわ)』を代わりに埋めるというのは、どうでしょうか?
 そうすれば、元気な者も死なずに済むし、その家族も喜びましょう。」と、宿禰は言いました。
 それを聞いて、天皇は「うーん、それは良い案じゃ・・一度考えてみよう。」と云われました。
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(埴輪類[近つ飛鳥博物館]より)
 こうして、やがて[垂仁32年]から、『殉死』は禁止され、お墓の周りには、[埴輪]が飾られるようになりました。
 そして野見の宿禰は、天皇から、『土の師』と書く『土師(はじ)』という苗字をもらい、こののち、[土師の宿禰]という名前に変わったのです。つづく

「浄土宗大阪教区児童教化連盟」からの出前依頼

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(大阪市天王寺区:『浄土宗 大阪教務所』)

昨日、「浄土宗大阪教区児童連盟」様からの依頼を受けて、『紙芝居に学ぶ 子供への教化』という講題で、講演に行ってきた。
 この日、大阪は天神祭りで、道路も混んでいたが、何とか間に合った。
 他宗のお坊さんたちへの講演は、やはり緊張するが、知り合いの方もいて、どうにかいつもの感じで乗り切った。
 理事長さま、事務局長さま、大変お世話になり有難うございました。合掌
 

紙芝居:『相撲のはじまり』(その3)

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 さぁ、力比べが始まりました。
 この力比べ、今でいう[格闘技]です。
 武器はダメですが、キックもパンチもありです。
 負ければ、死なねばなりません。
 そう、命掛けのものでした。
 ドシッ、バシッ! 骨も砕け折れました。
 まさに、力と力のぶつかり合いです。
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(相撲神社内:力士モニュメント「誰がモデルやろ?」)
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 ドッドッドッシーン!
 當麻の蹴速(けはや)が倒れました。
 野見の宿禰がジャンプして、蹴速の上に全体重を乗せて急降下です!
 グウェェェー!蹴速の断末魔が響きました。
 そして、當麻の蹴速は、血を吐いて死んでしまいました。
 「あっぱれー!宿禰!天下一。ようやった!」と、天皇は上機嫌です。
 「宿禰、・・ほうびとして、當麻の蹴速の土地をくれてやろう!」と天皇は云われます。(考えてみれば、残酷なひどい話です・・。)
 が、しかし、宿禰は・・。つづく