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藤井寺市:興正派『浄宗寺』様の永代経法要

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 昨日、藤井寺市の真宗興正派の『浄宗寺』様の[永代経法要]にお招き頂き、「紙芝居法話」に行かせて頂いて来た。
 お昼の法座(一時間半)・夜の法座(一時間半)と、二座有り、長時間の為体力的に大丈夫か?と思われたが、もう体力気力共に、90パーセント以上、元に戻ってきているように感じたので、もう大丈夫であろう。・・まぁ無理はしないことにするが。
 で、休憩時間に、こちらの住職さまと雑談をしていた時に、以前作った紙芝居:富田林寺内町の『石上露子』に話が及び、こちらの住職さまが『石上露子』の研究をされておられる方と偶然知って、たいへん驚いた。(『論集石上露子』というご本の中にも執筆されている)
 そういえば、石上露子の檀那寺は『真宗興正派』のお寺であったのだ。
 露子の実家「杉山家」は、豪商でたくさんのお寺に寄進されていることが、こちらでも分かった次第である。
  
 

自坊『観念寺』春彼岸法要

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 春のお彼岸ウィーク最終日。
 今日は、自坊[観念寺]のお彼岸法要の日。
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 毎年、春のお彼岸は、私が新作紙芝居をご門徒さんに披露しております。
 今年は『大石順教尼ものがたり』を中心に、お話と法話をさせて頂きました。
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 そして後半は、御門徒の[吉元佳代]さんに『沖縄の風』と題して、三線(サンシン)や沖縄の民謡などを演奏して頂き、一緒に歌い、楽しい一時を過ごさせて頂きました。

河南町『善秀寺』様の彼岸法要

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本日、河南町の『善秀寺』様の[春季彼岸法要]に行かせて頂いた。
 こちらには、毎年、春のお彼岸に行かせて頂いている。
 ・・ということは、毎年同じ『紙芝居』は出来ない。
 又、それに伴う法話もできない。
 で、今年も、新作を三本披露させて頂きました。
 行く前に、何度も紙芝居を練習し、又紙芝居の修正もして、本番に臨んだので、何とか皆さんに喜んで頂けたと思う。
 善秀寺様の皆さん、今年もお世話になりました。
 本当に有難うございました。又、来年もどうぞよろしく!合掌

東大阪市『蓮浄寺』様の彼岸法要

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 昨日、東大阪の『蓮浄寺』様の[春季彼岸法要]にお招き頂き、紙芝居法話をさせて頂いて来た。
 今回の演目は、前回からの若院さんからのご希望で『子供を亡くしたゴータミー』を中心に、お彼岸の紙芝居『二河白道のはなし』などを演じさせて頂いた。
 本堂満堂。たくさんのご門徒さんで、緊張しました・・。(汗)
 蓮浄寺の皆さま、大変お世話になりました。有難うございました。合掌

これから発表する紙芝居シリーズ

 僧侶シリーズの紙芝居が、三本続けて完成しました。
 おいおい発表してゆきます。
 今日はその予告です。
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(『戦争は罪悪である』)
 まずは、真宗の反戦僧侶[竹中彰元(たけなか・しょうげん)]師。
 この方は、NHKスペシャルでも特集された有名な僧侶。
 このお話は、一種の悲劇です。
 来週、こちらのお寺に(最後の仕上げの為に)取材に行って来ます。
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(『戦争は集団殺人だ』)
 次は、タレントの故・植木等さんの御父様[植木徹誠]師。
 この方も真宗の僧侶だ。
 この方の生き方は、ハチャメチャで一言では言い表せれない。・・とにかく、僧侶としても人間的にも凄い人。尊敬に値します。 
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(『慈雲尊者(じうんそんじゃ)』)
 最後は、地元河南町の高貴寺の住職であった[慈雲尊者]。
 釈迦の再来と言われた真言宗の偉人である。・・いや、真言宗のような⁈禅宗のような⁈神道のような⁈・・ようわからんような。まぁ、とにかくすごい偉人ですわ。
 この方が、あまり有名でないのは何とも悲しいので、それで紙芝居化した。
 以上が、すでに完成した紙芝居シリーズです。
 追々このプログで発表します。お楽しみに!

堺市:萬福寺さまの春季彼岸会・永代経法要

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(萬福寺様ご家族) 
 本日、堺市の萬福寺様の[春季彼岸会・永代経法要]にお招き頂き、『紙芝居法話』をさせて頂いて来た。
 堺市は、本当にお寺が多い。
こちらも、その1ヶ寺だ!
 お寺の横にもお寺があり、その横にもお寺があり、お寺大集合地帯。迷う。
 お聞きすると、戦国の昔に堺を守るべき地帯(川や海沿いなど)に、お寺や神社をたくさん造り、敵からの攻撃に対して、神仏の力をお借りして守ろうとしたからだ(という一つの説を)教えて頂いた。
でも、このお寺激戦区!今は何かと大変だろうな。
 なにわともあれ、本日、こちらのお寺は本堂満堂。参拝者の方々は熱心な御門徒さまばかりであった。
良かった、良かった。
 万福寺のご家族の皆様、総代様、御門徒の皆様、大変お世話になりました。有難うございました。合掌
 
 

慈雲尊者を訪ねて

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(大阪中之島[慈雲尊者生誕の碑])
 次の紙芝居制作に入っている。
 その取材に行って来た。
 つぎは、お釈迦様再来の尊者といわれた『慈雲(じうん)』様の紙芝居だ。
 その生誕の地は、大阪中之島にある。
 場所はリーガロイヤルホテルの横だ。・・今は賑やかな場所の中にひっそりと立っている。
 サラリーマンたちは見向きもせず、通り過ぎていく・・。これが現実だ。
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(大阪東住吉区『法楽寺』:慈雲さま得度修行の寺院)
 次は、東住吉区にある慈雲さま得度の地『法楽寺』様。
 こちらで、慈雲さまは修行をされた。
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(法楽寺ご住職と)
 運よく、御住職[小松庸祐]様にお会いすることが出来たので、慈雲さまについて、そして紙芝居制作について、いろいろお話をお聞きすることができた。
 僕は運が良い・・と、つくづく思った。

雨の寺カフェ

 先日、春雨というか、まだまだ寒かった風雨の日に『寺カフェ』を開いた。
 婦人会のボランティアの皆さんは「今日は雨なので、お客さんも少ないやろし、暇やろな⁈・・気楽にやろか」と言いつつ準備を始めた。
 ところが、お店を開くと、次から次へとお客さんは来て下さって、座るところのないほどの超満員になって、てんてこまいだった。
 その要因の一つは、雨の日はお百姓さんは暇になってしまい「お茶でも飲みにいこか」という話になったから・・らしい。
 もう一つは、「今日の[寺カフェ]は雨で暇やろ、お客になって(売上を)助けに行こか」と(ボランティア精神で)来てくだった方が多かったようだ。
 何はともあれ、お客さんの増加はうれしいことだった。・・赤字にならなくて。

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その9 最終回)

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 昭和34年、露子は、自宅で二度目の[脳出血]を起こします。
 そして、享年78歳で、その生涯を閉じることに成ります。
 亡くなったその日は、ちょうど晴れ渡った秋の日だったそうです。
 虫干しの為、色鮮やかな着物の中で、露子は倒れて亡くなったと伝わっています。
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(杉山邸内) 
『人の世の 旅路のはての 夕づく日 あやしきまでも 胸にしむかな』
 これは、露子七十代の歌です。
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 明治時代のロマンチズムの清純さを、代表する歌人であった石上露子。
 南河内随一の大地主の娘に生まれ、才色兼備を持ち合わせながら、波乱万丈の人生を生きねばならなかった露子。
 それでも、彼女は懸命にその人生を生き抜きました。
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 今、露子の杉山家は、富田林市が買い取り、国の重要文化財の指定を受け、一般市民に公開しています。
おしまい

紙芝居:「歌人 石上露子(いそのかみ・つゆこ)」(その8)

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 明治時代は終わり、大正、昭和へと時代は移り・・、
 露子の家に次々と悲劇が襲います。
 昭和16年、長男は病死。
 終戦の年、昭和20年。精神の病から息子に家督を譲っていた夫が死亡。
 さらに戦後の農地改革で、杉山家は[保有農地]を失い、経済的大打撃を受けます。
 しかし、もっと大きなショックは、次男の自死でした。
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 次男が亡くなってから、露子は彼が生前からよく通っていたという、(現・河南町の)高貴(こうき)寺に、度々足を運び、住職との交流を深めてゆきます。
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 この山深いお寺で、露子は(おそらく)心の安らぎを求めたのでしょう。
 現在、このお寺には(杉山家のお墓とは別に)、露子と子供たち三人のお墓が建っています。 つづく
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