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京都伏見区:[勝龍寺]様の報恩講

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 一昨日、今年遅い暴風台風の接近中、京都伏見区にある『勝龍寺』様にお招き頂き、報恩講法要へ[紙芝居法話]をさせて頂いて来た。
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(本堂)
 雨台風の為、ご聴聞の門徒さんのご参拝の人数を(ご住職は)心配されておられたが、本堂はほぼ満堂であった。
 良かった良かった、ほっ、というお顔を(御住職は、)されていたように僕には見えたが、忙しいそうにされていたので、それも聞かず、僕も自坊が台風で心配の為、大急ぎで引き揚げたのだった。

京田辺市[圓照寺]さまのバスの団体参拝

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 本日、京田辺市より『圓照寺』さま一行が、観念寺へ団体参拝された。
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 目的は、例によって《紙芝居法話》のご聴聞である。
 本日は久々の良いお天気、正に秋晴れの旅行日和!
 お出迎えするこっちの方も、爽やかな気持であった。
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 本日は、ようこそのお参りでございました。合掌

紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その9:最終回)

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順教尼は、身体の不自由なお弟子さんたちに、
「たとえ、両手・両足が無くても、他の人に笑顔や優しい言葉を差し上げることはできる。・・それを忘れてはならない。・・体が悪くても、心の障害者になってはいけません。」と言われました。
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 又、お掃除も徹底して行われました。
 
 片足の悪い御弟子さんとの間に、次のような会話が残っています。
「先生っ、なんで私は、こんなに転ぶのでしょうか?」
 すると、順教尼は、
「片足が悪くても、転ばない方法を教えてあげよう。
 それはな、悪い足を隠さないことだよ。」と言われました。
 これは、《自分自身のこだわりを捨てよ》という教えでした。
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 日本のヘレンケラー。
 身体障がい者の心の母と、呼ばれた大石順教尼は、昭和43年、80歳で大往生されます。
 社会事業家であり、宗教家であり、芸術家であった大石順教尼。
 そのお墓は、現在彼女の[腕塚]と共に、和歌山県の高野山、奥の院参道に祀られています。 おしまい
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(ご子孫:大石晶教尼さん)
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(高野山:大石順教尼の墓)

紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その8)

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(京都:勧修寺)
そして大石順教尼は、昭和11年、京都山科の[勧修寺(かじゅうじ)]様の賛同・協力を得て、敷地内に、身体障がい婦女子の為の精神道場を設立します。
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(仏光院)
 さらに、『堀江六人斬り』等の犠牲者を弔う為、宗教法人『仏光院(ぶっこういん)』を建立。
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(可笑庵)
 そして戦後、その敷地内に『可笑庵(かしょうあん)』を建立。
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 身体の不自由な人達の為、社会復帰の為、施設づくりに尽力を尽くされます。 つづく 

紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その7)

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 その後、妻吉は高座を降り、25歳でプロの絵描きと結婚。
 そして、二人の子供にも恵まれます。
 が、33歳で離婚。
 彼女は生活の為、布地に花や鳥などの模様を描く[サラサ]のプロになって、子育てをして生き抜きます。
 さらに、身体障がい者婦女子の福祉相談も始めるのでした。
 その後、口に筆を噛むと、激痛が走るという難病にも掛かりますが、それも一年で乗り越えます。
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 そして、『堀江六人斬り事件』の犠牲者を弔う為、(長年の願いであった)高野山で、45歳の時に出家得度。
 名前を[大石順教]と、改めました。 つづく
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(高野山)
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(高野山:奥の院参道に建つ『大石順教尼の墓』)

紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その6)

余談になるが、妻吉(のちの大石順教)が、芝居の一座と共に日本中を旅をしていた時、妻吉を姉のように慕い、終生仲の良かった芸人に、有名な『柳家金語楼(やなぎや・きんごろう)』がいる。
 彼は、妻吉が口で文字の練習を始めた頃、自分も一緒に字の練習をしていたそうだ。以上
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 妻吉の口を使っての文字を書く練習が始まろうとしていました。
 が、彼女は幼い頃から舞妓であった為、学校に行っていません。
 だから、文字の読み書きが出来なかったのです。
 そこで、彼女は自分で、(旅先で)小学校を見つけ、そこの校長先生にお願いし、文字を教えてもらう事からスタートしました。
 そしてその後、口に筆を含み、懸命に努力し、文字の読み書きを覚えたそうです。
 さらに、その後、絵画の道も究めるようになっていきます。 つづく
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(※僕も真似して、口で写経をしてみた。・・ボロボロでした[苦笑])

紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その5)

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 病院を退院した妻吉(のちの順教尼)は、生活の為に働かなければなりません。
 両腕を失い舞妓に戻れなくなった彼女でしたが、大阪の寄席に出て、三味線に合わせて長唄を歌いました。
 見物客は、『堀江の六人斬り事件』の生き残りを、一目見ようと、寄席は連日、大賑わいであったそうです。
 それから、彼女は旅芸人の一座と共に、日本中を旅することになります。
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 そして、旅の一座が東北の仙台の旅館に泊まった時の事です。
 その宿に[カナリヤ]の鳥かごが吊るされていました。
 その鳥かごの中を見ると、小さな雛が居て、親のカナリヤがくちばしでエサを懸命に運んでいました。
 妻吉は「あぁ・・、この鳥たちは羽があっても手は無い。なのに、口を使って一生懸命にエサを運び育てている。
 そうだ、私にも口がある!・・できないはずがない!」  と、彼女の前に小さなカナリヤを通して、大きな世界が見えた一瞬でした。
 この時、妻吉19歳でした。 つづく

紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その4)

余談ながら、なぜ、妻吉(のちの順教尼)は、自分の両腕を奪った義父を許したのであろう?しかも、長い年月を掛けて許したのでは無く、すぐにだ。・・恨んで当然なのに不思議すぎる。
 僕は、その事を大石順教さんの御孫さん(大石晶教さん)や、『大石順教尼記念館』の館長さん(萱野正己さん)にお聞きしてみた。
 するとお二人とも、同じことを言われた。
『順教尼さんは、義父の悪口を生涯一遍も言いませんでした。・・それだけ、義理の親子といえども、愛情が深かった関係なのだと思います』と。
 僕ならとても許せないが・・。未だに解らない、なぞの一つである。以上
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 義父の万次郎の死刑執行の日が近づいて来ました。
 万次郎の「一目会って詫びたい」との手紙を受け取った妻吉は、刑務所に向いました。
 万次郎は、妻吉に言いました。
「・・俺は自分の罪に苦しんでいる。なんで、あんなことをしたのか記憶にないんや。
詫びて済む事ではないが、どうしても、おまえに言いたい事があったんや。
わしは死んで地獄に落ちる。・・が、わしの魂は死なん!
 お前の身をきっと守る!
 呼んでくれたら、必ず助けに行くからな!」と、言ったそうです。
 こうして、万次郎は死刑になりました。
 妻吉は、万次郎の骨をもらい受け、大阪の四天王寺にお墓を建てて、供養したそうです。
 (※これも余談ながら・・、順教尼はこののち、様々な人生のピンチを向えますが、その時、義父の名を呼んで、その試練を無事に、乗り越えることが出来たそうです。地獄の閻魔さんもびっくり!) つづく
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(中川万次郎之墓:四天王寺)
 

紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その3)

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 病院に担ぎ込まれた彼女は、緊急手術を受けて奇跡的に、命は助かりました。
 そして、意識を取り戻した彼女は、病院にまでやってきた裁判所の判事に向って、こう言ったのです。
「わてらを斬った後、お父はんは自首しはったんですね。・・わてはお父はんを恨みまへん。
・・お父はんは、わてを大切に育ててくれました。・・きっと魔が差したんや!」と。
 
 それを聞いていた看護婦長さんは、退院の日に彼女にこう言ったそうです。
「あなたを助けてくれたのは、院長さんのお陰ですが・・、これからあなたが、背負っていかねばならぬ、(両腕の無い苦しみに)耐えていくことが『彼女にはきっと出来る!』と思われた神や仏のお陰もあると私は思うのです。
 あなたの苛酷な体験を、(同じような体験をされた)多くの悲しみや苦しみにある人々に、お話してこれから役立ててください。
 あなたなら出来ます!
 ・・あなたは『わてはお父はんを恨みません』と、裁判所の判事さんに言いましたね。
 その言葉を聞いて、これは『神様の言葉や』と思ったので、あなたにこんな話をしました。
 苦しい事があったら、私のところに、いつでもやって来なさい。」と言ったそうです。
(※余談ですが、この看護婦長さんはクリスチャンであったそうです。大石順教尼さんの御孫さんから僕は聞きました) つづく

『報恩講法要』が終わりました

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 10月14日、今年も無事に『報恩講法要』が終わりました。
 法要の準備の為に、大掃除や幕張りなど、今年もたくさんのご門徒さんにお世話になりました。
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 当日は、たくさんのご門徒さんがご参拝下さり、有難いことでした。
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 有難うござました。
・・この大法要が終われば、今年も無事に年を越せるといつも思います。(笑)