住職のつぼやき[管理用]

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幻の『王舎城の喜劇』?

 『悲劇』は嫌いだ!・・と思いながら、9年前に、紙芝居『王舎城の悲劇』を作った。
 これは(仏教の中では)あまりにも有名な話なので、気軽にハッピーエンドに変えるわけにいかなかった。
 ・・が、作りながら、「これはいつかきっと、この『裏』紙芝居を作って、ハッピーエンドにしてやる!」と、(いつもの)僕の天邪鬼な気持ちは、ムクムクと起こっていた。
 それで、以前に作った、未完ではあるが、紙芝居『王舎城の喜劇!』のさわりの部分だけを今回は紹介してみたい。(しょうもない話なので、大変申し訳ないが・・)

 『王舎城の喜劇!』
 王舎城の悲劇から、2500年経った日本のお話・・。
 舞台は、とある『有名私立・仏教系小学校』。
 今日はその小学校の入学式である。
 式も終わり、午後からは、新入生と保護者達を歓迎する為の『仏教青年会(若手僧侶の会)』主催による『王舎城の悲劇』のお芝居が行われようとしていた。
 開演三十分前、会場は期待でざわめいていた。・・が、しかし、その舞台裏では、とんでもないドタバタ劇が起こっていたのだった。
 それは、日頃より学校運営を心良く思っていなかったPTA会長が、「子供が親を幽閉し、殺すというのは、時節がらどうかと思う。・・その場面を変えてもらえないか」と急遽、話に横槍を出したからであった。
 「これは史実ですから・・」と必死で抵抗する校長であったが、それを聞いた仏教婦人会の会長が、「私も、イダイケ夫人の裸に蜂蜜を塗って、王に舐めさせるシーンは教育上良くないのでカットすべきだ」と同調し始めた。
 そして、僧侶の校長先生はついに逆切れになり、「そっちがそう言うなら、悪役ダイバダッタ僧侶も、善い僧として登場させてもらうぞ!」と、険悪な雰囲気になり、一瞬即発の危機となる。
 戸惑う、俳優役の若手僧侶達と仲裁役の演出家の苦悩。自分勝手でわがままな教育者と、後援会との妥協と死闘。
 開演したものの、妥協したがゆえに、史実がどんどん変わり、「悲劇」がいつしか「喜劇」へと変わってゆき、誰も死なない、生まれ代わりもない、それでもアジャセが登場する、全員が善人の超ハッピーな大団円へとストーりーは展開していく。
 はたして、この「悲劇」はいったいどうなってしまうのか?
 いつか、この紙芝居を発表したいと思います。(しない方が良いだろうか?・・・(笑い))

もう一つの「西本願寺・(日曜講演)」でのエピソード

 今日は、先日の「西本願寺・総会所」での『日曜講演』の時の、恥ずかしいが、面白いエピソードを書いてみたい。
 この『日曜講演』のお話を「西本願寺」から頂いた時、家内が喜び、「お父さん(僕の事)、そんな、京都の『本願寺』でお話させて頂ける機会なんて、一生の内に一回、有るか無いかよ。・・是非、お母さんを呼んであげなさい!私も両親に声を掛けとくわ」と言った。
 僕はその時、なぜか嫌~な胸騒ぎがした。・・が、家内に言われた通りに母親に電話した。
 「・・お母さん、別に来んでもいいよ。遠いし、・・忙しいやろ。来んでもエエねんで!」と、遠まわしに『来るなサイン』を送って電話を切ったのに、・・案の定、当日、僕の母親は来ていた。(・・しかも、前列に!)
 (ついでながら、一番後ろに家内の両親も居た)
 母親の顔を気にしながら、皆さんにお話するのは、実にやりにくい。
 それでも、どうにか『紙芝居』と講話を終えて、司会者の方が「一度、ここで『控え室』にお戻りになって、五分ほど休憩を取って下さい。それから質疑応答の時間にしたいと思います」と言って下さったので、その通りにした。
 そして、お茶を一杯よばれ、又すぐに会場に戻ったら、・・なんと母親が、前に出て来ていて、僕の『紙芝居』をせっせ、せっせと直しているではないか。
 その姿を会場のお客さん達は、じぃ~っと見て居られる。
 僕はあわてて、「お母さん、今、直さんでもエエから!後でやるから、席に戻っとって!」とあせる僕の声がマイクに乗ってしまい、軽やかに会場に流れ、苦笑と爆笑を生んだ。
 僕は心の中で「絶対、『マザコン』やと思われてるわ。明日から僕はマザコン坊主の烙印付きや」と悲しくなって、僕はこそこそと直していると、なんと母親は、会場のお客さんの方を向いて、頭を下げて「いつも、うちの息子がお世話になってます。有難うございます」と中央で言っているではないか!
 あわてて、「別に、今日の会場のお客さんに、僕はお世話になってない!なってない!」と喉まで出て来たが、ぐっと止め、会場のお客さんに向って、「ありがたいもんですね。本当に母親とは・・」と、思ってもない裏腹なことを言って、場を繕った。
 でも、絶対、会場の皆さんは「このマザコン紙芝居坊主!」と思ったに違いない。
・・こうなるような予感がしたんや。だから嫌やったんや!母親呼ぶのは!(ちなみに家内の両親はそそくさと帰ってしまわれた)
 最後に裏腹な一句。「親思う、心にまさる親心。今日の訪れ、なんと思わん」by(吉田松陰)

中山久蔵さんと聖徳太子とライスカレーと・・(カットした二つの場面)

 ・・中山久蔵さんの「紙芝居」を作るに当たり、カットした二つの場面がある。
 一つ目は、久蔵さんが故郷の大阪・太子町から、真夜中に家出をする場面の次のページで、久蔵さんの自宅近くにあった〔聖徳太子〕のお寺《叡福寺》とお墓(現在でも歩いて10分程だろうか・・)の横を通り過ぎる時、突然、〔聖徳太子〕の幽霊が現れて久蔵さんに言う。・・「久蔵、どこに行っても、ワシの説いた『和をもって尊しとなせ』という仏教の教えを忘れてはならんぞ!自分一人だけが良いという考え方は、ダメじゃぞ」という場面。(これは、説教臭くなると思ってカットした。・・が、17才まで、太子町に居たのだから、恐らく嫌でも、太子の教えは何度も何度も、聴かされたであろう。・・それが久蔵さんの優しい性格の基礎を作ったのではないかと推測される。)

 もう一つのカットは、クラーク博士と久蔵さんの対面の場面。
 この時、久蔵さん宅で、博士と北大の学生たちは、昼食を取るのだが、ここで、僕は昼食に〔クラーク博士〕に《ライスカレー》を食べてもらい、(博士のご飯(お米)嫌いは有名だが、カレーだけは《ご飯》に掛けて、多いに召し上がったという逸話は有名。・・余談だが、《ライスカレー》という呼び名の名付け親と言う説もある。・・変わった親父やなぁ。(笑い))、満足そうな顔の博士に、久蔵さんは「どや、やっぱり米(ご飯)はうまいじゃろう?!」というと、博士は笑いながら、「う~ん、まいった!学生達よ、この老人のように大志をいだけ!ワッハッハッハッ」というと、久蔵さんが「誰が老人なんじゃい!あんたとワシはそう年が変わらんじゃないかい、ワッハッハッ」という風にしようかなぁと思ったのだが、コメディみたいになってしまうので、やめた。
 しかし、今思えば、カットしない方が良かったのではないかと思ってしまう。

 ・・そういえば、これも余談になるが、先日、久蔵さんの檀那寺《光福寺》のご住職から、お聴きしたのだが、久蔵さんの子孫の方が、お寺に訪ねられて来られた時、「私は、久蔵が《米作り》に成功した事より、その後、多くの人に無償でその苗を配って歩き、育て方を教えたという所が偉いと思うのです」と言われたらしい。
 ・・本当に僕もそう思う。宝くじで三億円当たっても幸せになれない人はいる。幸せはやはり、みんなで分かち合わないと・・。

 根っからのお百姓ではなかった久蔵さんは、わずか、二~三年の努力で《米作り》に成功しており、確かににラッキーな人でもあった。しかし、《赤毛種》という寒冷地に強い、東北の冷害にも生き残り、突然変異したという稲穂は、・・《神仏》が、そして日本の国を想う《聖徳太子》が、中山久蔵さんという一人の人間を使い、北海道の窮乏する人たちを救った不思議な計らいではなかったかと、思ってしまうのである。

「三谷幸喜」氏と呼ばないで・・!

 今日は軽~い話。
 先日、〔ご法事〕に、お参りさせて頂いた時の、〔檀家さん〕宅での話。
 勤行が終り、少しお話をさせて頂き、お茶をよばれ、『さぁ、帰ろう』と思ったその時、そこのお宅の《裏・・ちゃうちゃう、うら若き女性》のご親戚の方が、「あの~、質問があるのですが・・」とおっしゃられた。
 僕は『ドキッ』として、「はてさて、どんな質問やら?」と一瞬凍りついたら、なんとその方は「あの、住職さんは、作家の〔三谷幸喜さん〕に似ているなんて言われませんか?」と言われた。
 思わず、「なんじゃそれは!」と思ったが、そこは冷静に装い、「それは、喋り方がですか? それとも顔ですか?・・」と聞き直した。
 すると、「どっちもです。・・失礼な事をお聴きしてすみません」と、肩で笑いながら、又言われた。
 僕はその問いには直接答えず、「それは光栄な事と受け取ったら良いのでしょうか?・・それとも、変な性格の坊主やなぁと、受け取れば良いのでしょうか?」と、僕もお腹で笑いながら答えた。
 その女性は、「エエ様に、受け取ってください」ときり返されたので、「初めて、言われた様にも思えるし、昔むかーし、両親に言われたような気もしますし・・」と答えて、笑いながら退散した。
 これで、この話は終わりかと思ったら、この前の『講演会』でも、最後の質問コーナーで、同じことを、又別の人に問われた。(「結婚してますか?」とか「おいくつですか?」とか、僕には、こんな質問ばっかりかい!・・楽やけど。)
 ・・『三谷幸喜』氏に似ていると言われることは、僕にとって、はてさて、良い事なのかどうか・・?まぁ、気さくに喋れる奴なんやと、エエように僕も受け取っておこう。
 これからは、「仏教界の三谷幸喜を目指しています!」を売り文句にして、アチコチ回ろうかなぁ・・。

『信頼関係』って何だろう・・?

 ・・以前、遠方の寺院の《お葬式》のお手伝い僧〔脇導師(導師の横で一緒にお経をあげて、お葬式を執行する役)〕として、お招き頂いた時のこと。
 葬儀会館で、式の開始を待っていた20分ほど前に、その事件は起こった。
 突然、僕達僧侶が控えている小部屋に、その葬儀の喪主さん(50代半ばの男性)が、怒って飛び込んで来られた。
 「・・あんた、この(白木の)位牌の亡くなった母の年齢は、間違っている!・・一才違う!すぐに書き直して欲しい!」と、凄い剣幕であった。
 まず、今からお葬式を執り行ってもらう〔導師〕のお寺さんに対して、・・『あんた!』呼ばわりはないであろう。そして、後20分ほどしかないのに、『位牌の文字を全部書き直せ!』というのも、乱暴だ。
 導師さんは、その喪主さんに対して、「〔数え〕としてではなく、〔満年齢〕として、今は書いているのだ」といくら説明しても、埒がいかない。それで結局、導師さんが折れて、急いで全部書き直した。(それでもまだ喪主さんは、ブツブツ言っておられた)

 ・・まぁ、無事に、(そのやけに緊張感のある)お葬式は、終了したのだが、何とも後味が悪かった。
 僕は導師さんに、「あの方は、ずっと以前からの檀家さん(信徒)なのですか?」と聞いたら、「そうだ」という事であり、「以前も、お葬式で揉めた難しい性格の方」なのだそうだ。
 ・・でも、僕は帰ってきて思った。
 そのような性格の方であるという事が、判っているなら、なぜ、位牌に書く年齢を、前もって、(せめて前日のお通夜の時にでも)その喪主さんに(あるいはご家族に)説明しておかなったのだろうか?・・式の始まるぎりぎりになって、そのような事を言いに来る喪主さんも、大人げないが、説明責任を忘れたお寺さんにも、気配りの怠りが、あったように思える。

 結論として、長いお付き合いではあるのだろうが、『信頼関係』がなかったのかもしれない・・?(そう簡単に、出来ないことはわかっている・・僕も人のことは言えない!)

 これからの時代、きっと、『檀家(信徒)とお寺(僧侶)』との関係は、今までのように、お互いが敬い、信頼し合うという訳にはいかないであろう。
 では、どのようにその『信頼関係』を作ればよいのか?
 僕は、日頃からの何げない《会話》が一番大事ではないかと思う。
 《会話》のない人間関係では、いざという大事な時に、すべてが崩れてしまうような気がするのだ。
 お寺(僧侶)が尊敬され、信頼される時代(はたしてそのような時代が来るのだろうか?)をもう一度作り上げるには、僧侶自身が、(もうひと昔とは違う)その在り方をもう一度考え直さねばならない時が、もうそこに来ているように思える。

 
 

出前先から見た、僕の姿って・・?

 このホームページの〔ブログ〕は、僕の主観で書いている。
 では、出前先の〔相手様側〕から見た《僕》って、いったいどう写っているのだろうか?
 そんな事を考えていたら、気になって、気になって・・。
 ・・それで、出前に行った先の〔ホームページ〕を、恐る恐る調べてみることにしたら、なんといくつか、相手様の〔ホームページ〕に僕の事が書かれてあった。・・それで、今日は(僕の感想を入れず、いや、ちょっと入れ・・)それを紹介することにする。
 
 まず最初は、昨年に行かせて頂いた《島田病院・はぁとふるグループ看護部》様のホームページ。
 http://www.heartful-health.or.jp/kangobu/k_topi08001.html
詳しくは、ここをクイックして見てください。(看護師さん相手に、話が何度か、スベっている事が書かれてあります)
 
 二つ目は、先月に行かせて頂いた《豊中仏教会》主催の「涅槃会の集い」の様子を、主催者側の代表のお一人の『イベント坊主』さんが書いて下さっています。
 http://blog.zaq.ne.jp/hounjisportspark/article/275/
こちらの『イベント坊主に喝!』〔2009 豊中仏教会主催「涅槃会の集い」〕のページに書かれてあります。(イベント坊主さん、いずれ又、きっとどこかでお会いするような、そんな気がしてます!)

 最後は、つい先日、行かせていただいた、河南町立〔白木小学校〕のホームページ。
   http://www.kanan.ed.jp/ele/shiraki/index.cfm/20.8379.16.html
 こちらの、〔1年生のページ〕・〔5年生のページ〕、あるいは、「紙芝居を見ました(1年生と5年生)2009年3月1日」というコーナーに、詳しく書かれてあります。(・・校長先生、さすが編集作業、早いですねぇ。・・又、僕のHPを、学校のPCの「お気に入り」に、早速入れて下さって有難うございました。(ほんまに良かったんですか?・・これから、PTAや先生方が見られるかと思うと、もうあんまりアホなこと、書けなくなってしまいます!・・でもやっぱり書いてしまいますが・・。〔笑〕)

 皆さん、もし良ければ、出前先から見た僕の姿を、是非一度見てやって下さい!

 

2.19《PL病院》「語り合う会」のアンケート結果

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 先月、2月19日に行った、PL病院「語り合う会」のアンケート結果(会の感想)を、担当の中尾ドクターが、まとめてメールで送って下さった。(もちろん、僕の手元に届くものだから、(否定的な感想はカットし、)良い感想ばかりを選んで下さったのだろうと思うが、・・。お心配り有難っとさ~んです。)
 ・・で、今日は、そんなアンケートの結果をここに(少し長くなるが、)ピックアップして書かせて頂く。
 
 「語り合う会」参加者総数44名 アンケート枚数22枚 (内) 医療職以外9名 医療職13名

・初めての参加でしたが、楽しく感動しました。次回も参加させて下さい。
・『三尺三寸のお箸』のお話、とても楽しかったです。お互いを思いやる気持ちについて、再認識できました。今、人を思いやる心を忘れている人が多い中、とても大切な事を感じました。

・会のムードが静かで穏やかなのですが、周囲の皆様の受け入れる、あるがままの素晴らしさを感じました。
・とても心が豊かになりました。今後も仕事をして、又生きていく中で生かせて行こうと思います。

・非常に有意義なお話有難うございました。2時間がとても短く感じました。
・紙芝居を通して、仏教の事や、大切な事を感じました。

・本当に参加させていただき、本当に来て良かったと思います。私は昨年10月に父を亡くし、今までターミナルケアを自分が一生懸命行ってきたのに、父は(遠方の)○○県の為、親とも別れもできず、母が病弱なため、父の病気を母にも告げられず、もちろん本人にも告げられず・・・。ずっと後悔していました。でも、今日の最後の『紙芝居』を聞いて、少し救われたような思いになることができました。父をいつも忘れないでいようと思います。ありがとうございました。

・とても優しい気持ちになれました。人に何かを伝える時には、優しい気持ちで話すのが良いのですね。
・紙芝居『二つの墓穴』が、私の家の状況と似たところがあって、心に残るものがありました。

・紙芝居の絵の色使いが、キレイで良かったです。お話の長さもちようど良いと思いました。難しいお話をして頂くより、紙芝居の方が、わかりやすく私、大変気に入りました。最後のお父さんにお伝えされた『紙芝居』は、私の兄に重なるものがあり、(今入院中ですが、)考えさせられました。

・大変勉強になりました。古い話ですが、考えさせられる事も多く、人はどれだけ年月が経っても、同じ事で苦しんだり、幸せになったりするのだなと思いました。

・『お寺の出前』、手作りがいっそう癒されます。工夫も一杯で感激しました。『出前』というのは、自分のために来てもらえる特別感があります。他者を思う心、自分を見直したり、日常の中の何気ないことから、しみじみ考えていけるのが良いです。お寺を身近に感じました。

・紙芝居で『法話』と聞いて、どんなストーリーなんだろうと興味津々で参加しました。愛・生・善・悪など、普遍的なテーマをわかりやすく、ユーモアも交えて手の込んだ「紙芝居」を語って下さり、とても感じるものがあり、心が浄められた気がします・・。

 ・・まだ、他にも温かいお言葉の数々があるのだが、今日の所はこのへんにしといたる・・(よしもとのギャグでした〔笑い〕) 
 最後に、〔まとめ〕て送って下さった〔中尾ドクター〕、そして医療スタッフの皆様、本当に有難うございました。
 又、会場の雰囲気を優しく演出する為に、最初と中休みと最後に《エンヤ》の曲を〔会場〕に流して下さった医療ソーシャルワーカーの〔島田〕様、有難うございました。・・・《エンヤ》、趣味ですか?・・僕も好きになりました。あの会の後、CDも買いましたよ。(以上は余談でした。・・でも、あの会場の雰囲気、本当に《エンヤ》の曲が合いましたよねぇ。)
 

少し遅い、今年の目標・・・

 先日、いつも行く《散髪屋》の若店長さんから、「今年の目標は何に決められたのですか?」と聞かれた。
 この若店長さんは、僕のこの《ホームページ》を時々、見て下さっているらしく、〔今年の目標〕を、まだこのブログに書いていない事に気づいて下さったらしい。(僕は忘れていました・・すんません〔笑い〕)

 確か、去年の目標は『落ち着く!』であったと思う。意味は、〔突然、何が起こっても、うろたえないように行動する〕という、小心者の自分自身への戒めを込めたものだ。(なんと情けない、ちっちゃい目標だったのだろう・・恥ずかしい)
 結果は、意識していた分、五割ぐらいの目標達成率であったろうか・・。(笑うしかない)
 
 さて、今年の目標であるが、『喜ばれる』にする。
 意味は、〔とにかく、人から頼まれた事は(出来る範囲で)、お引き受けして、結果として『喜ばれる』存在になろう〕という目標だ。
 今年は、少しでも人から『喜ばれる』存在になりたい!・・と思う。 
 

『関西いのちの電話』のこと・・・

 ・・「奥さんとは、どこで知り合われたのですか?」と、お寺に初めて来られた方には、良く聞かれるのだが・・。
 あまり皆には言ってなかったが、妻との最初の出会いの場所は『関西いのちの電話』第20期・相談員〔養成講座〕だったのである。
 そこでお互い知り合って、相談員の認定を受けた後、幸か不幸か(笑い)結婚した。
 つまり、僕も妻も、『電話相談員・カウンセラー』だったのだ。
 まだ20代半ばの頃の話である。
 新婚の頃は、(まだ二人とも、)仕事をしながら、ボランティアとして、引き続き、その『いのちの電話』の相談員をやっていたのだが、お寺に《入寺》してからは、まったく行ってない。(この前、調べたら現在《45期生の募集》となっていたので、もうあれから25年が経ってしまった)

 ついでなので、今日は簡単に、この『いのちの電話』のことについて述べてみたい。
 この団体は『社会福祉法人』であり、全国に組織がある。
 『眠らぬダイヤル』と呼ばれ、《24時間、365日》休みなく受付をしていて、いつでも、誰でも、どんな相談でも、掛けられる。
 又、相談者は名前を告げる必要がなく、相談内容の秘密も守られる。そして、お互いの宗教や主張は尊重される。(僕がよく言っている《超・宗派》の原点はここにある!)
 もちろん、相談は無料である。・・が、金銭的な援助の相談はできない。
 尚、相談を受ける《電話相談員》も名前を言わないし、いつ、誰が『受話器』を受け取るかわからない。正に《一期一会》の出会いとなる。(同じ相談員と話せる可能性は少ない) 
 だから、うまく悩みが解決できる時と、そうでない時が起こってしまう。(・・でも、それはこのようなシステムだから仕方のない事だ)
 僕が『電話のブースター』に入っていた時、(深夜が主だったので、)電話のベルは途切れる間なく鳴り続け、又、重い内容の相談も多かった。それで、帰りはいつも気が重くなったものだ。(たとえば、「今から自殺しようと思っている」という人からの電話がよくあり、その時は必死で止めたり、ひたすら話を聞き続けたりして、気分が落ち着くように、説得したりした。それで、短い通話でも1時間はざらであった)
 ・・・話が長くなった。
 「いのちの電話」についてのエピソードは一杯あるのだが、上にも書いたように、《相談内容》は秘密厳守なので語れない。
 余計なことかもしれないが、電話番号だけはここに書いておきたいと思う。(もし、誰にも言えない悩みを抱えておられる人がおられたら、この電話番号を教えてあげて欲しい。そして、是非一度、電話してもらいたいと思う)尚、つながりにくい時間帯があるのは確かであるから、何度でもつながるまで、チャレンジして欲しい。
 『関西いのちの電話』 電話:06-6309-1121  

筋ジストロフィー青年との会話記録 その10(最終回)

 一週間に渡って書いてきた、この《記録》も今日で最後としたい。
・・というのも、前回で、〔病院訪問〕の記録は終っているからである。(誠に中途半端であるが)
 前回の〔訪問〕の後、突然、僕の人生に〔転機〕が訪れ、そして引越しする事になるからである。
 以前書いたかもしれないが、この年、「一ヶ寺の住職にならないか」というお話を恩師より急に頂き、決心。そして夏に〔入寺〕の為に引越し。そして秋から次の年かけて〔住職継職〕の手続きをし、さらにその次の年に〔落慶法要〕を行わねばならなかった。
 このように、休む暇もない〔嵐のような日々〕が続き、(距離的にも、時間的にも)病院へは行けなかったのだ。
 それでも、N君のことはずっと気になっていたので、お母さんとは手紙や電話でやり取りはしていた。
 ・・が、それから間もなくN君は28歳で亡くなる。
 考えてみたら、わずか三年のお付き合いであったが、〔生きることの意味〕や〔病気や死〕について、これほど深く考えた期間は無かったような気がする。
 
 ・・が、結局、僕は彼と逢って何をしたというのだろう。
 初めは、『《仏教の智慧》というボールを持って行き、それを彼に投げて、彼の苦悩を少しでも楽にするぞ!』と意気込んだが、それはすぐに、『そう簡単には出来ない』という事を悟った。
 それで、僕は彼からの言葉のボールを受けることだけに専念した・・つもりだ。
 (それも上手く受け取れず、後ろに逸らしてばかりいたようだが・・)

 短い期間ではあったが、・・彼は亡くなったが、彼が投げてくれた様々なボールの感触は今も僕の手(心)の中にある。(確かに残っている)
 今、その様々な〔感触〕を大事にし、(それを練りながら)僕はこれから『お寺の出前』の活動に生かしていきたいと思っている。
 ・・本当に長くなった。
 最後に今も『T支援学校の分教室歌』になっている彼の《詩》をここに載せて終りたい。
 
 《真実の翼》
 笑顔を取り戻すために 誰かが決めた勝ち負け捨てて 
 現実と優しさ握り締め 目の前のこの道歩きだそう
 いつか翼になったなら 本当の居場所を見つけ出したい
 泣いてもいいよ みんな一人じゃない 遠く離れていても 見守ってくれる人がきっといるから わかってもらえない悔しさが言葉になったなら いつか本当の居場所にたどりつけるから 
 笑顔を取り戻すために 誰かが決めた勝ち負け捨てて
 現実と優しさ握り締め 目の前のこの道歩きだそう
 歩きだそう・・・
 
  おわり
 
 
 
 
 

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