覚鑁は、高野山で厳しい修行に打ち込み、様々な行を成就してゆきます。
そして、わずか40歳で《金剛峯寺座主》、新たに建立した《大伝法院座主》に就任し、『弘法大師の再来』と呼ばれ、最高権力の座に登り詰めました。
そしてさらに、当時もっとも流行していた[浄土信仰]も、真言宗密教に取り入れるのです。
覚鑁上人は言います。
「浄土に居られる阿弥陀如来様は、真言宗の大日如来様を中心としたマンダラの中に居られる。だから南無阿弥陀仏の教えも、突き詰めれば、真言密教の教えの一つなのだ。つまり同じものなのである。我々も念仏者と一緒に庶民の中に入り、人助けの為の活動をしようではないか。」と。
が、しかし、彼のあまりにも急いだ大きな高野山改革に、御山の僧侶たちは大反発、「覚鑁はとんでもないことを言いよる坊主じゃ!」と、覚鑁上人の命を狙い、排除しようとするのでした。つづく
(高野山)
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紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その4)
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