住職のつぼやき[管理用]

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[生きた]と[生きる]

 「院主さんっ、・・大病から一年経ち、院主さんの今年を表わす漢字の《一文字》は何ですか?」と、檀家さんに聞かれた。

 僕は「漢字一文字やったら、『生きた』の『生』です。
 何かよう解らんから、一文字ではないけど、やっぱり『生きた』かな。・・そして、来年の抱負もついでに言うと『生きる』やな。・・とにかく、何としても生き延びることですわ。お寺と檀家さんの為にも、家族と僕自身のためにも。」と答えた。
 すると、「院主さんやったら、『生きる』と違って『生かされてる』と違うのですか?」と又、言われた。
 僕は「宗教者としては『仏に生かされてる』と、言いたいとこやけど、やっぱり自分自身、『生きる』の方がしっくりきますわ。」と答えて会話が終わった。
 帰ってから、自分の言った言葉を考えてみた。
 僕は『他力本願』の浄土真宗やから、仏に『生かされてる』の方があってるかもしれない。
 だが、心の一番奥の奥では、やはり『生きる』だ。
 生かされてる事は、十分承知の上で、最後のとこは、気力(自力)で、何としても、仏にすべてを任せながら『生きるぞ!』なのだ。
 これは、理屈ではない。病院で、生死の境をくぐった者しかわからないと思う。

 話は変わるが、池波正太郎の歴史小説で『真田太平記』という大河物語がある。
 随分昔に読んだので、記憶が間違ってるかもしれないが、確か、ラストのテーマが『生きる』だったのでは無かっただろうか。
 真田兄弟の弟の[幸村]は、武士らしく潔く死ぬ。
 しかし、兄の[信幸]は、その生き方を選ばず、お家を護る為に、家臣や家族を守る為、智慧を絞って『生きる(存続)』の道を選ぶ。
 この最後のテーマが、今だ僕は忘れられない。

 僕は、真田信幸のように『生きる!』。
 紙芝居を描くためにも、僕が味わった仏の教えを皆さんにお伝えするためにも・・。

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