金子てる・・、いや、この紙芝居では、彼女のペンネーム『金子みすゞ』さんで通させて頂きます。
彼女は、山口県仙崎(せんざき)[現在の長門市]で生まれました。
当時、仙崎は大きな漁師町でした。
それではここで、金子みすゞさんがご自分の町を対岸の青海島から謡った詩を一つご紹介します。
『王子山(おうじやま)』(金子みすゞ全集・Ⅲより)
「公園になるので植えられた、
桜はみんな枯れたけど、
伐られた雑木(ぞうき)の切株にゃ、
みんな芽が出た、芽が伸びた。
この間に光る銀の海、
わたしの町はその中に、
龍宮みたいに浮かんでる。
銀の瓦と石垣と、
夢のようにも、霞んでる。
王子山から町見れば、
わたしは町が好きになる。
干しかのにおいもここへは来ない、
わかい芽立ちの香がするばかり。」
(現在の王子山から見た仙崎の町)
みすゞの父は、仙崎の向かいにある青海島の出身で、漁師でした。
が、金子家に養子入り。
みすゞの兄、けんすけ。みすゞ、そして弟、まさすけ。の三人の子供に恵まれます。
しかし、妻の妹の夫(つまり、みすゞの叔父)が、下関で大きな本屋を開いていて、みすゞの父に、中国大陸で本屋の支店を開く事を勧めます。
そして、父は単身、中国に渡るのですが、その地で急死。
責任を感じたみすゞ叔父は、お金を出して、
みすゞの母に、仙崎で本屋を開くことを勧めます。
この本屋が、『金子文英堂』です。
みすゞの本好きの要因は、この影響が大なのです。
・・そして、ここでもう一つ、重要なこと。
みすゞの弟、正祐(まさすけ)は二歳の時、子供の居なかった叔父夫婦の元へ、養子に出されます。
しかしこの事は、正祐本人には秘密でした。
この秘密が、のち、みすゞの身に大きな影響をもたらし、悲劇を生むことになるのですが、それはまだ、先の事・・。
(現在の再現された『金子文英堂』)
つづく
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紙芝居:「金子みすゞと仏さま」(その2)
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