住職のつぼやき[管理用]

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「楽しむ」って、どういうこと?

 オリンピックが始まる前から、気になっていた言葉がある。
 それは、アスリートたちが最近よく云う「競技を《楽しみたい》」という言葉だ。
 自分自身に対して「楽しむ」とは、メンタル面で〔緊張感〕をほぐそうとしているのは解るような気がする。
 が、それをいざ、あっちこっちでマスコミのインタビュウアーに対して安易に口にするのはいかがなものか?
 応援している者達は、必死になって応援しているのに、ああも簡単に「でもあれは個人的に楽しんでいるや」と、ちらっと思ってしまうと、なぜか虚しくなり、日本語の使い方を間違っているのではないかと思ってしまうのだ。
 もちろん、「楽しむ」といいながら、全力で戦っているのは見てて解る。(・・比べものにはならないが、僕も高校・大学と陸上部でいろんな試合を経験してきて、大きな試合直前は、自分対して「やるだけやったやないか。落ち着け落ち着け、お前は大丈夫や。後はリラックスしてゆけ!」とよく言い聞かせた。・・だから『楽しもう』と言っているのは解るような気はする)
 が、が、やはりあの「楽しんできます」とか、「とても楽しかったです」と平然という言葉には、僕はどうも違和感を覚えるのだ。
 ・・では、あの場合どういえば良いのだろうか?
 「ここまできたら全力でやるだけです」か?・・又は終ってからは「頑張って良かったと思います」か?・・でもこの表現も硬苦しいような?
 なんか、解らんようになってきたわ。・・もうやめよ。

 全然関係ないが、僕は「お寺の出前」を楽しんでやってはいない。
 ・・偉そうになってしまうが、僕は(やってることはちっちゃいけれど)「使命感(俺がやらねば誰がやる!というようなもの)」を持ってやってるつもりである。
 「楽しんできた・・」という言葉は、おそらくあちらの世界に還っても言わないと思う。
 だからみんなから、「楽しそうに『紙芝居』をやってますねぇ」と云われるのは、本当はちょっと心外なのだ・・よ。
 
 
 
 
 

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