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紙芝居:「心やさしき聖者 念仏聖(ひじり)空也上人」 (前編)

(プロローグからの続き)
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 平安時代の中頃、『空也』上人は生れました。
 上人は、生涯、父母について何も語られてません。
 一説によると、とても高貴なお生まれだと云われているのですが、それもはっきりとした事は解りません。
 空也上人は若い頃、各地を巡り修行し、捨てられた遺体を見つけると、念仏を称え火葬してそうです。
 二十一才の時、上人は尾張・国分寺にて正式に『出家得度』され、僧侶となられます。
 その後、日本各地を回り、山に籠って、厳しい修行をされたそうです。
 そして三十六才の時、何を思われたか、突然静かな山を降り、人でごった返す騒がしい〔京〕の都に、そのお姿を現されました。
 「人々の暮らしの中にこそ、《仏さま》の教えが必要なのだ!」と、思われたのかもしれません。
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 そして、町中で《鉦(しょう)》を打ち鳴らし、『南無阿弥陀仏』と称えながら、身振り面白く踊りながら、人々に念仏を勧め、布教されました。(当時としては画期的なことやったやろな~。今のチンドン屋さんの走りやんか!)
 空也さまは、「念仏は〔死者の供養〕だけではなく、称える人の〔極楽往生〕につながるのだ!」と説いたのです。
 又、〔布施〕=(お金や食べ物)を得ると、貧しい人や病人に与え、自分は粗末な場所で寝泊りし、人々の生活を応援しました。
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 又、上人は、罪を犯した人の心を救う為にも力を注ぎました。
 この当時、〔見せしめ〕の為に、町中に『牢獄』がありました。
 いつ罰を受けるかと、不安におののく囚人達に、
 空也さまは、牢屋の門前に、〔鈴〕の付いた仏様の《石塔》を建てられたのです。
 風が吹くたびに、その鈴が『リンッ』と鳴り、地獄に堕ちる恐怖に怯える囚人たちを癒したのでした。
 罪人たちは、涙を流し『念仏』を称え、その音に聞き入ったと伝わっています。 つづく
 
 
   

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