・・しかし、〔洪庵〕の父の許しは遂に出ませんでした。
そこで、〔洪庵〕は16歳の時、ついに置手紙をして家出したのでした。
そして『大阪』へ向かいました。
なぜ、大阪だったかといいますと、その当時、この地で〔蘭方医〕が、塾を開いていたからなのでした。
〔洪庵〕は、この塾に入門して、オランダ医学の〔初歩〕を学びました。
又、幸いなことに、父親も大阪へ転勤となって移って来た為、やがて〔洪庵〕の医学修行も許してくれるようになったのでした。
大阪の塾で、すべてを学び取った〔洪庵〕は、さらに《師》を求めて江戸に行きました。
そして、江戸では『あんま』をしながら学びました。
『あんま』をして、わずかなお金を貰ったり、他家の玄関番をしたりしました。
それは、今でいうアルバイトでした。
こうして〔洪庵〕は、江戸の塾で四年間学び、遂に〔オランダ語〕の難しい本まで読めるようになったのです。
その後、〔洪庵〕は『長崎』へ向かいます。 つづく
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紙芝居:「洪庵のたいまつ」 その2
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