住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『悲しき阿修羅(アシュラ)』(その7 最終回)

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「・・なんということだ。正義は勝つことが出来ないのか⁈」と、落ち込む阿修羅のもとに、[お釈迦様]が訪ねて来られました。(ようやく、真打登場!)
「阿修羅、もうこの辺で帝釈天と仲直りしたらどうじゃ。帝釈天も、娘も、そう願っておるぞ。」と云われるお釈迦様に、阿修羅は猛反発し、
「そっそれでは、正義は勝てないということですか⁈」と牙をむいて言いました。
 するとお釈迦様は「お前は正義、正義というが、その頑なな心が、お前自身も周りの者もすべてを苦しめておる。
 正義のためと、お前は味方がやられても、苦しんでも、『それはしかたがない!』と言って同情もせず、敵も許さず、争いを永遠にやめない。
 これから、そのような事を『修羅場(しゅらば)』と名付けよう。
・・まぁ、帝釈天の行いも褒められたものではないが・・、あやつは謝っておるし仲直りしたいとも願って居る。
 帝釈天がなぜ人気があるのか⁈お前は考えたことがあるか?
 あやつは、憐みの心があるのじゃ。その為、欠点は多いが周りの者が安心し、又共感するのじゃ。
 もう、許してやれ、阿修羅。
 今では娘も幸せに暮らしておるということではないか。娘に笑顔で会ってやれ。」と、云われました。
 それを聞いて阿修羅は泣きながら頷きました。
ファイル 1929-2.jpg
 こうして、阿修羅神は帝釈天と仲直りしました。
 そして、今では共にお釈迦様の仏教を守護する神の一員として、働いているということです。

・・そして、このお話はインドから日本に伝わり、この阿修羅神の像を作るにあたって、阿修羅神が辿ってきた過程(人生・歴史)を彫刻しようと、
[怒り、悔やむ表情]と[悲しむ表情]、そして[お釈迦様に救われ仏に帰依した表情]の三つの顔が彫られました。
 そして、手のポーズも[武器を持つ手]、「太陽と月を持つ手=一説では、朝から晩まで戦うことを考えるという意味」と、「合掌」のポーズになりました。(今は残念ながら、武器や太陽と月が無くなってしまいましたが・・。)
 今、この阿修羅神の像は[奈良]の『興福寺』さま祀られています。
 ・・悲しみに耐え、何かを静かに訴えるような・・、そんな表情をして。
 この少年のような一途な表情は、観る我々の心を魅了してやみません。
おしまい

 

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