住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「戦争は集団殺人だ!」(その5 最終回)

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やがて、戦争が終わりました。
ようやく、徹誠さんも刑務所から、出る事が出来ました。
がしかし、彼はお寺には帰りませんでした。
いや、お寺も帰れるような状態では無かったのです。
そこで、家族みんなで東京に向かい、そこで、小さな工場を始めたのでした。
又、息子の等さんも、(僧籍を持ちながら)芸能界に入りました。
ファイル 1863-2.jpg
徹誠さんは、僧侶は辞めましたが、心はやはり、浄土真宗の親鸞聖人と共にあったようです。
最初に述べたエピソードにかえります。
芸能界入りした、息子の植木等さんに、コミックソング「スーダラ節」を歌うようにと、社長から指示が来ます。
本来、真面目な等さんは、不真面目な歌詞のこの歌を、唄うかどうか迷います。
そして、父の徹誠さんに相談するのです。
すると、歌詞を見た徹誠さんはこう言いました。
「うん、この歌は真理をついている。
[わかっちゃいるけどやめられない]というところは、すべての人間が持つ弱さだ。
その弱さを、そのまま理解して救ってくださるのが、阿弥陀さまという仏様なのだ。まぁ、あちこち、おかしな箇所があるが...、
これは親鸞聖人の生き方そのものだ。
等、是非、歌いなさい!」と。
この一言で、歌う決心をしたそうです。
そして、「スーダラ節」は、大ヒットしました。
ファイル 1863-3.jpg
その後の徹誠さんの晩年は、お孫さん達に囲まれて、穏やかに過ごされました。
そして昭和53年、82才で病に倒られます。
病床の中、こう言われたそうです。
「俺はあの世で、親鸞聖人に合わせる顔が無い。ああ、恥ずかしい。」と。
そして最後の言葉は、「ありがとう。おかげで楽しい人生を送らせてもらった。」で、あったそうです。
おしまい

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