病院を退院した妻吉(のちの順教尼)は、生活の為に働かなければなりません。
両腕を失い舞妓に戻れなくなった彼女でしたが、大阪の寄席に出て、三味線に合わせて長唄を歌いました。
見物客は、『堀江の六人斬り事件』の生き残りを、一目見ようと、寄席は連日、大賑わいであったそうです。
それから、彼女は旅芸人の一座と共に、日本中を旅することになります。
そして、旅の一座が東北の仙台の旅館に泊まった時の事です。
その宿に[カナリヤ]の鳥かごが吊るされていました。
その鳥かごの中を見ると、小さな雛が居て、親のカナリヤがくちばしでエサを懸命に運んでいました。
妻吉は「あぁ・・、この鳥たちは羽があっても手は無い。なのに、口を使って一生懸命にエサを運び育てている。
そうだ、私にも口がある!・・できないはずがない!」 と、彼女の前に小さなカナリヤを通して、大きな世界が見えた一瞬でした。
この時、妻吉19歳でした。 つづく
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紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その5)
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カンネン亭 2018年04月22日(日)21時02分 編集・削除
有難うございました。
ボク、順教尼さん、大好きなんです。
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Eru 2018年04月22日(日)11時56分 編集・削除
素晴らしい紙芝居の絵ですね。
本当に上手です。
内容も上手くまとまってます。