妻吉(のちの順教尼)の芸を厳しくしつける養父[万次郎]でしたが、しかしこの頃、彼には深い悩みがありました。
それは、内縁の妻との関係に、万次郎の精神は病み始めていたのです。
そして、ついに・・、
明治38年の6月の深夜、万次郎は狂乱を起こし、一家6人を日本刀で襲ったのでした。
世に云う『堀江(ほりえ)六人斬り』事件でした。
芸妓を含め、五人が絶命。
がこの時、妻吉は、両腕は斬られながらも、一命は助かるのでした。
この時、妻吉17歳でした。 つづく
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紙芝居:「大石順教尼ものがたり」(その2)
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