弥千歳麿は、お兄さんにその事(=父ちゃんカッコ悪いー!って事)を話してみました。
お兄さんは言いました。
「そりゃ、父上は肥前の国では強くて権力を持っておられる。・・しかし、都のお役人の方が、父より偉いんだよ」と。
それを聞いて「じゃあ、都の役人が世の中で一番強いんだね?」と言うと、
兄さんは「違うよ。お役人よりもっと偉いのが天皇さまだよ」と言いました。
弥千歳麿は「じゃあ、天皇様が一番偉いんだね」と言うと、兄さんは「それも違う。・・天皇様より偉いのが、うーん⁉お寺の仏様っ、うちの宗派だと[大日如来]様が一番偉いのさ。」と言いました。
すると弥千歳麿は、「兄さんっ、僕は大日如来さまのようになりたい!」と叫んだのでした。
やがて父が亡くなり、弥千歳麿は、出家することになりました。
『僕は大日如来さまのように、きっとなってみせる!』と、彼は猛勉強し、京都の仁和寺で出家得度したのでした。
彼のお坊さまとしての名前は《覚鑁(かくばん)》でした。
やがて、覚鑁は修行する中で、悟りを開かれた(ある意味、大日如来のようになられた)《弘法大師空海》にあこがれ、20歳で高野山に上がり、さらに熱心に修行に励むのでした。 つづく
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紙芝居:「懺悔の聖者 覚鑁(かくばん)上人」(その3)
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