母を亡くし、一人ぼっちとなった円空さんは、やがて近くのお寺に預けられることになりました。
そして、小坊主として修行に励むことになったのです。
しかし、いつしか円空さんは、別れた母を思い出し、木切れを拾って来て、仏さまを彫り始めたのでした。
やがて、大人になった円空さんは、お寺を出て旅に出ます。
美濃の国を離れ、関東、信越、東北を経て、北海道まで渡ります。
そして、その土地土地で、仏像を彫り、お寺や神社、又は仏さまを求める人々に、どんどん寄進してゆきます。
又、宿賃の変わりに仏像を彫って手渡したことも、多々あったそうです。
・・おそらく、仏像彫刻は、初めは母の供養の為であったのでしょう。
しかし、いつしか円空さんの仏像製作は、貧しく、悩み苦しむ人々の為の〔心の安らぎ〕を目的としたものへと、変わっていったのでした。 つづく
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紙芝居:「円空上人と小さな仏さまたち」(その2)
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