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お盆の不思議なお話

今年の夏の、お盆の不思議な話。
今年も娘夫婦が、お寺へ[お盆参り]の手伝いに来てくれた。
そんな中の真夜中の出来事。
僕は、早寝をして布団の中で寝ていた。
すると、本堂から読経(重誓偈というお経)の声がする。
僕は「娘婿が明日の為に練習しているんやな。感心なやっちゃなぁ」と、僕も布団の中で発音が間違っていないかと、ハモって確かめて聞いていた。
読経は休みながらも、結構長いことお勤めしていたので、明日、しんどくなったらあかんので、横で寝ている嫁に「婿さん、読経の練習し過ぎと違うか。明日があるから止めてくるわ。」というと、何言うてんの?という顔をしている。
「読経の声が聞こえへんのか?」と言うと、「聞こえへんよ」と答えた。
「ほら、今も聞こえてるやろ」と言うと、「聞こえません」と又言われた。
僕は布団から出て、本堂に行くと真っ暗なままだった。
へんやなぁと、又布団に入ったらやっぱり聞こえる。
これは、娘の部屋で練習してるんやな、と僕はそのまま寝むることにした。
次の日、娘夫婦と朝食を一緒に食べながら、読経のことを聞いてみると、婿は読経の練習などしていないという。
追い打ちをかけるように、娘にも「それ、お父さんの幻聴!」と一言、つっぱねて言われた。
あれは幻聴やったんかなぁ?
確かに聞こえたんよ。お経ハモってんもん。
幽霊ではないと思うで、ありがたいお経あげてんねんもん。っていうか、誰?

僕は紙芝居の主人公たちからエネルギーをもらってます

僕は、自分が描いている「紙芝居」の主人公たちから、生きるエネルギーを貰っています。
人間は、十字路に差しかったら、こっちを選べば良いのだ!とか。
この生き方をすれぼ、必ず後悔するだろうな、とか。
どんな頑張っても、最後は死ぬのだから、こう決断した方が良いな、とか。
紙芝居を描きながら、主人公たちに教えられるのです。
これは、どんな哲学書を読むより、説得力があります。
紙芝居を作ることは、僕にとって、凄い教授に教えを受けているのと同じ事なのです。

これから発表する紙芝居シリーズ

 僧侶シリーズの紙芝居が、三本続けて完成しました。
 おいおい発表してゆきます。
 今日はその予告です。
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(『戦争は罪悪である』)
 まずは、真宗の反戦僧侶[竹中彰元(たけなか・しょうげん)]師。
 この方は、NHKスペシャルでも特集された有名な僧侶。
 このお話は、一種の悲劇です。
 来週、こちらのお寺に(最後の仕上げの為に)取材に行って来ます。
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(『戦争は集団殺人だ』)
 次は、タレントの故・植木等さんの御父様[植木徹誠]師。
 この方も真宗の僧侶だ。
 この方の生き方は、ハチャメチャで一言では言い表せれない。・・とにかく、僧侶としても人間的にも凄い人。尊敬に値します。 
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(『慈雲尊者(じうんそんじゃ)』)
 最後は、地元河南町の高貴寺の住職であった[慈雲尊者]。
 釈迦の再来と言われた真言宗の偉人である。・・いや、真言宗のような⁈禅宗のような⁈神道のような⁈・・ようわからんような。まぁ、とにかくすごい偉人ですわ。
 この方が、あまり有名でないのは何とも悲しいので、それで紙芝居化した。
 以上が、すでに完成した紙芝居シリーズです。
 追々このプログで発表します。お楽しみに!

反戦僧侶の紙芝居

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昨年の暮れから、平和というものを考え、それを行動に移した僧侶の紙芝居制作に入っている。
 『戦争は罪悪である』と、戦時下に世に訴えた、浄土真宗大谷派の僧『竹中彰元』師。(この方のご先祖様は、有名な戦国時代の秀吉公の軍師・竹中半兵衛公だ。)
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 それと、『戦争は集団殺人である』と訴えた、同じく浄土真宗大谷派の僧『植木徹誠』師である。(この方は芸能人の植木等さんの御父上と言った方が分かりやすい)
 この二人の僧侶の生き様を紙芝居にしようと思って、今調べて、すでに下絵の段階にいるのだが、中々筆が進まない。
 描きながら、『自分はどうなのだろうか?・・この方たちのような勇気はあるのか?』と絶えず、問われているような気がするからだ。
 すでに、何冊か資料は読み、関連の映画も観に行った。
 いや、実際、取材に行って、もうちょっと深く考えてから、制作に入るとしよう・・。

いつも、[紙芝居]の事を考えています

 いつも、僕は『紙芝居』制作について考えています。
 頭の中は、次回作の事(ストーリーやページ割りの配分、主人公の表情やセリフの事、色についての構成など)でいつもいっぱいなのです。
 もっと時間があれば、しっかりとした紙芝居が作れるのにと思っていますが、その時間を創り出すのが難しい。
 僕は、現役のお寺の住職なのです。
 やる仕事が毎日あります。
 檀家さん宅への月参りやら、年忌法要、お葬式、お寺の法要、お寺の事務、掃除、そしてお寺の来られる方の人生相談、さらに布教講演活動など・・。
 ああ、住職を引退したいと思うこともあります。
 そうすれば、紙芝居制作一本に時間が取れる!と、わがままに思ってしまうのですが・・、それはそれで生活するのがたいへんになってしまうので、やはり今みたいな生活配分がベストなのでしょうねぇ。
 後、何年生きて、後、何本作れるか解りませんが、とにかく僕の人生観・世界観・宗教観を絵に込めて、次回作・次回作に全力を費やしたいと思っています。
 ・・でも、もちろん住職の仕事もきちんとしますよ。(笑)

結婚情報誌『ゼクシィ』

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 結婚情報誌『ゼクシィ』(八月号)に、今年の三月の西本願寺での娘の[仏前結婚式]の模様が掲載されました。
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 あれから、もう三か月が経つのですね・・。
 月日の速さを感じてしまいました。
 それにしても、結婚情報誌って初めて読みましたが、電話帳ほどの分厚さがあるのですね・・。驚きの連続でした。

ボツにした『紙芝居』

 僕の作る紙芝居に(構想したが、)『ボツにした幻の紙芝居』という物がある。
 それは、昔、隣町で実際起った事件『河内十人斬り』をモデルにした紙芝居だ。
 これは明治時代に起こった、痴情と怨恨が絡む残虐な事件を題材にした話だ。(今では多々ありそうな話ではあるが?・・)
 僕は、人情ものの心温まる話も好むが、人間が起こす悪業の話(何でそんな事するねんなぁ、しゃあない奴ちゃなぁという話)も好むのだ。

 この、当時の大事件。世間は(デリケートなところがあるにも関わらず)タブーにせず、『河内音頭』の元(歌詞)にもして、何度も(この殺人者たちを)芝居小屋など劇場でお芝居の主人公にしている。(今ならテレビワイドショーが黙ってない話題なのだ)
 なぜだ!・・残虐な事件なのに、不思議すぎる? 
 これは人間のどうしようもない(仏教でいう)[業]が絡む何かがある。 そんな匂いがする。

 この二人の極悪な殺人者たちは、地元ではなぜか?「・・あれは悪いあほな奴やっちゃ、どうしようもないバカ者や。・・けど、どこか気の弱いあほやったそうやで。・・わしのお爺さんから聞いた話やけどな。」と、なぜか?好意的ともとれる部分をぼやかしてお話される。
 僕がインタビューした人のほとんどが、そうであった。
 けど、この話、今からそう遠くはない明治時代の話でもあり、事件の被害者の方々の子孫も居られるのだ。
 この事件をフィクションにして、脚色し紙芝居にして、人間の(やってはいけない)[業]をテーマにした作品を作ろうと思っていたのだが、・・やっぱり止めた。
 この紙芝居の構想を、或る檀家さんに話していたら、「住職さん、その紙芝居は作るのを止めた方がええで。その話を聞かれて嫌な思いをする人も居るかもしれん。又、住職さんの紙芝居は『人を助ける』・『人の気持ちを救うもの』やとわしは思うから、その話は住職さんが作るものと違うとも思うねんで。」と言われたからだ。 
 そうこう、いろいろ考えた上で、この紙芝居はボツにしたのである。
 

今年一年を振り返る(出前編)

さて、今年の『お寺の出前』を振り返ってみる。
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 今年の福祉分野への出前は、『大阪介護者家族の会』、『NPO法人遺族支え愛ネット』の会などに、行かせて頂いた。
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 又、施設へは、『特養白寿苑』の彼岸法要や『軽費老人ホーム河南荘』の地蔵盆などに行き、お勤めの後、紙芝居法話をさせて頂いた。
 又、近くの地域の『老人会』なども行かせて頂いたなぁ。
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 そして、あちらこちらの地域より紙芝居の見学に『バスの団参』も、今年もたくさん来て下さった。
又、あちこちのお寺から、『紙芝居法話』の布教に呼んで頂いた。
 ・・有難く幸せなことだった。
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変わったところでは、『薬剤師の会』への出前も忘れてはいけないなぁ。
 薬剤師さんへ[三尺三寸のお箸]で、薬ならぬ飴を、強制服用(笑)させて頂いた。(写真参照)
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 そして最後は、仏様からのご褒美(⁈)に超宗派の宗教新聞[中外日報]に、この出前活動を載せて頂けた。
 ほんとに、有難い一年であった。
 さぁ、来年も頑張るぞ! 合掌

今年一年を振り返る(寺内編)

 今年も後わずか・・。
 そこで、今回は二回(寺内編)・(出前編)に分けて、今年を振り返ってみたい。
(お寺の一年)
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今年も一月は、新年法要から始まった。
 お勤めの後、お善哉を食べビンゴゲーム。その後、息子の友達が演奏会を披露してくれた。
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 五月は、永代経法要。今年は、交流のある『河内長野観光ガイドボランティア』のメンバーの方達が音楽付「紙芝居」を披露して下さった。
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 そして、二か月に一度のペースで観念寺婦人会が、『フラワーアレンジメント教室』や『ちぎり絵教室』、『パッチワーク教室』、『歌声サロン』などを開催して下さった。
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 そして、今年のバス旅行は『奈良の吉野』へご門徒の皆さんと旅した。
 又、近場では『観念寺大人の遠足』と題して、みんなで『富田林寺内町雛めぐり』をして歩いた。
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 でも、やはり今年の一番思い出に残る行事は『寺カフェ』であろう。
 この行事は、ご門徒だけではなく、地域一帯を巻き込み、来年も続けることになった。
 さて、来年は何をしようか?
 又、みんなで考えよう。合掌

寺カフェの効果

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お寺でコーヒー・紅茶を飲んで、みんなにくつろいでもらう。
 これをコンセプトに始めたのが『寺カフェ』という。
 この「くつろぐ」という効果が、もう出てきている。
 たとえば、奥さんを亡くされ、泣き疲れたご年配のご門徒がいる。
 「寺カフェに来ませんか?」と何度も誘ってみたが、なかなか行動に移されない。
 そこで、先日、無理やり(笑)電話を掛けて車で迎えに行った。
 すると、すっと来られた。
 僕は、すでにおしゃべりに夢中なお客さん達に「○○さんという方が初めて来られましたー。イェーい」と言う。
 すると、お客さんのお一人が「こっち、こっちへおいでや。・・ここ座って。(すでに座っておられるお客さんに対して)『もう、あんたはそろそろ帰る時間やろ!』」とみんなに笑いを飛ばし、無理やり席を空け仲間に入れて下さった。
 そしてそのご門徒さんは、寂しい身の上話を、コーヒーを飲みながらいろいろと語り、そしてみんなもそれを聞いて下さり、初めてにも拘らず一杯お話をされ、喜んで過ごされた。
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 その帰りの車の中で「楽しかったですわ。又、来月も来ますわ」とおっしゃった。
 コーヒーを飲みながらワイワイと喋る。
 これは、お寺で無くても出来るかもしれないが、『南無阿弥陀仏』とお名号が掛かっている中で、皆で『くつろぐ』というのは、又ちょっと違った、心が優しくなれる雰囲気ができる。・・と思うのである。
 寺カフェは、良いものである。

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