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紙芝居:『相撲のはじまり』(その7 最終回)

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いよいよ、この紙芝居も最終話である。
 さて、この相撲の『始祖・神様』と呼ばれるようになった[土師(はじ)の宿禰(すくね)]は、そののち、天皇家の『葬式儀礼』を司る専門職になります。
 そしてその一族は、のち[桓武天皇]の時、新たに『菅原(すがわら)』という、苗字をもらいます。
 そう、あの有名な[学問の神様]『菅原道真(みちざね)』は、宿禰の子孫にあたるのです。
 ・・が、それは又別のお話にして、これにて『相撲のはじまり』は、おしまい。めでたし、めでたし
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(今は駅名だけとなった『近鉄[土師の里(はじのさと)]』。・・おそらく、この周辺に[土師(=野見)]の一族は暮らしていたのだろう。]・・面白いことに?この駅の横に大きな葬儀屋さんがある。(因縁か⁈この葬儀屋さんの先祖は宿禰に関係があるのか⁈・・わからない(笑))・・僕も昔一度、こちらでお葬式を執行したことがある。)
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(駅前にある古墳群(宿禰の一族の墓という説?もある))
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(今も、相撲の力士たちは、宿禰の墓参りをするらしい・・。)
おしまい

紙芝居:『相撲のはじまり』(その6)

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(野見宿禰の墓か?奈良:十二柱神社内)
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(當麻蹴速の墓か?葛城市:相撲館けはや座前)
 ・・本筋に戻す。
 この野見の宿禰たちの『力比べ』が、宗教儀式として、宮廷行事となり、現在の[相撲]の形となっていきます。
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 まず、『土俵』という神聖な場所を設置して、四隅に神々を祀ります。
 力士たちは、マゲを結い、マワシを絞めて、お塩と水で身を清めます。
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 そして、足元の邪鬼を封じ込める為に、シコを踏みます。
 柏手を打ち、さらに両腕を左右に開くのは、武器を持ってない証拠をあらわす為です。
 そして、勝った力士は、勝利の感謝をあらわす為に、三つの神々(神産巣日(かみむすび)の神、高御産美日(たかみむすび)の神、天御中主(あめのみなかぬし)の神)にお礼をして、懸賞金をもらいます。
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 こうして、相撲は日本独自のスポーツになっていきました。つづく
 

紙芝居:『相撲のはじまり』(その5)

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・・余談になるが、昨日、実際の『大相撲』観戦に行ってきた。(もちろん、この紙芝居の参考にする為である。)
 『大相撲 羽曳野場所』という、いわゆる[地方巡業]というものである。
 猛烈に暑い体育館の中、現役の人気力士たちの取り組みを観ようとファンたちで超満員であった。
 僕は、[マス席]という四角の座席を買ったのだが、狭くて観るのがつらかった、・・おそらく皆さんももそうであったろう。でも、会場は熱烈なファンの声援と熱気で多いに盛り上がっていた。(醒めた目の僕は、相撲の魅力とはいったい何なのか⁈・・ということを考えながら、老若男女の観客たちの表情ばかり観察していた。)
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『初切(しょっきり)』・・相撲の禁じ手をコントで面白おかしく教える見世物や、
『相撲甚句(じんく)』・・土俵上で力士が披露する余興的な歌、など、イベントならではの、対戦の間の大サービスのオンパレードで厭きさせなかったが、やはり、何時間も座ったままずっと観るのはしんどかった。
ファイル 1996-2.jpg つづく

紙芝居:『相撲のはじまり』(その4)

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野見の宿禰(すくね)は、天皇に言いました。
「天皇さまからの、有難きお言葉なれど、勝負とはいえ、人ひとりの命を奪ってしまいました。‥私は素直に喜べません。
 私は先祖より、人の命は尊きものと教えられてきました。
 もし、他にご褒美が頂けるなら、・・私の人の命を頂けませんか⁈」と。
 それを聞いて、天皇は「それはどういう意味じゃ?宿禰」と聞かれると・・、
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「はい、今、位の高い王族の方が亡くなられると、お墓(古墳)の周りに『殉死』といって、元気な人もあの世のみちづれに、・・つまり、生き埋めにされます。
・・それをやめて頂きたいのです。
 その代わりと云っては何ですが、私が作りました[人]や[馬]などの『埴輪(はにわ)』を代わりに埋めるというのは、どうでしょうか?
 そうすれば、元気な者も死なずに済むし、その家族も喜びましょう。」と、宿禰は言いました。
 それを聞いて、天皇は「うーん、それは良い案じゃ・・一度考えてみよう。」と云われました。
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(埴輪類[近つ飛鳥博物館]より)
 こうして、やがて[垂仁32年]から、『殉死』は禁止され、お墓の周りには、[埴輪]が飾られるようになりました。
 そして野見の宿禰は、天皇から、『土の師』と書く『土師(はじ)』という苗字をもらい、こののち、[土師の宿禰]という名前に変わったのです。つづく

紙芝居:『相撲のはじまり』(その3)

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 さぁ、力比べが始まりました。
 この力比べ、今でいう[格闘技]です。
 武器はダメですが、キックもパンチもありです。
 負ければ、死なねばなりません。
 そう、命掛けのものでした。
 ドシッ、バシッ! 骨も砕け折れました。
 まさに、力と力のぶつかり合いです。
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(相撲神社内:力士モニュメント「誰がモデルやろ?」)
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 ドッドッドッシーン!
 當麻の蹴速(けはや)が倒れました。
 野見の宿禰がジャンプして、蹴速の上に全体重を乗せて急降下です!
 グウェェェー!蹴速の断末魔が響きました。
 そして、當麻の蹴速は、血を吐いて死んでしまいました。
 「あっぱれー!宿禰!天下一。ようやった!」と、天皇は上機嫌です。
 「宿禰、・・ほうびとして、當麻の蹴速の土地をくれてやろう!」と天皇は云われます。(考えてみれば、残酷なひどい話です・・。)
 が、しかし、宿禰は・・。つづく
 
 

紙芝居:『相撲のはじまり』(その2)

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 天皇の家来は宿禰(すくね)に言いました。
「野見の宿禰、ただちに天皇様のもとに参るように!
 そこで、お前は[力比べ]をするのじゃ。
 相手は、當麻の蹴速(たいまのけはや)]という者だ。
 蹴速は『力比べで、わしに勝てるものはいない!』と、自慢しておる!
 天皇様は「あやつの天狗の鼻を折ってやれ!」と言っておられる。
・・が、蹴速と互角に戦える力持ちは、おぬししか居ないんじゃ。
 宿禰、天皇さまの御前で、お前の力を見せてくれ!」
「はっはい、わかりました。」と、宿禰はこの突然の命令に、戸惑いながら了承しました。
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 垂仁(すいにん)天皇七年、七月七日。
 奈良の[三輪山]のふもと・・。
 天皇が見守る中、野見の宿禰と當麻の蹴速の[力比べ]が始まろうとしていました。
 これが、『相撲のはじまり』です。 つづく
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(奈良県三輪:実際に「宿禰たちの相撲」は、ここで行われたという『相撲神社』)

紙芝居:『相撲のはじまり』(その1)

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(相撲のはじまり~野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹴速(たいまのけはや)の天覧試合の絵『奈良県葛城市相撲館[けはや座]より』
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 『日本の国技』ともいわれる[相撲(すもう)]。
 その始まりは『古事記』の中の「神々の力比べ」と云われています。
 ・・が、人間同士の[相撲]の最古のものは、(紀元前二十三年)垂仁天皇七年七月七日に行われた、埴輪作りファイター野見の宿禰(すくね)と、奈良の地元ヒーロー當麻の蹴速(けはや)の命を掛けた格闘がはじまりと云われているのです。
それでは、その模様を紙芝居で見てみましょう。・・はじまり、はじまりー
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 今から約二千年前、第十一代天皇[垂仁(すいにん)天皇]の頃。
 大和の国(今の奈良県)の[初瀬出雲(はせいずも)]の郷に、『気は優しくて、力持ち!』の[野見の宿禰(のみのすくね)]という男が居ました。
 宿禰は陶芸(焼き物)の仕事をしていました。
 そこに、ある日、天皇の使いがやって来ました。つづく
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(奈良県:初瀬出雲の野見の宿禰塚)

紙芝居:『一疋(ぴき)の竜』(後編)

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 竜は、皮の無い赤い肉ばかりで、地に横たわっておりました。
 この時、日がカンカンと照って、土は熱く、竜は苦しさにバタバタしながら、水のある所へ行こうとしました。
 その時、たくさんの小さな虫が、その竜の体を食おうと出て来ました。
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 この時、竜は考えました。
「今、私の体を、この虫たちにやるのは、誠の道(仏の道)だ。
 今、肉をこの虫たちにくれておけば、やがては[誠の道]をこの虫たちに教えることができる。」と。
 竜はだまって動かずに、虫に体を食わせました。
 そして、とうとう乾いて、死んでしまいました。
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 死んで、この竜は天上に生まれ、後に、世界で一番偉い人[お釈迦様]になって、みんなに一番の幸せを与えました。
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 そして、のち、この虫たちもみんな人間に生まれ変わりました。(・・そうか、僕らは竜の体を食べた虫だったのか⁉・・余談)
 そして、竜の考えたように、未来で、お釈迦様のみ教えを(お経を通して)聞いて、誠の道に入りました。
 このようにして、お釈迦様が誠の為に、身を捨てたことは、今は世界中、あらゆる所を満たしております。
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 この話は、おとぎ話ではありません。おしまい

 ・・もう一度、この話はおとぎ話ではありません。

紙芝居:『一疋(ぴき)の竜』(前編)

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(この紙芝居を描く為に、買って作った[竜]のプラモデル。結構作るのが難しかった。・・鉄のプラモなので手を切って血だらけになってしまった。[笑])
 (はじめに)
・・何年か前に、岩手県の『宮沢賢治記念館』へ行ったことがある。
 そこで、学芸員の方に『賢治』の仏教的作品について、色々と教えて頂いた。
 その作品に(ジャータカ(仏の前生談)などの影響から)『よだかの星』なども(自己犠牲談も)あるが、僕はこの『手紙』という名で、後世に残った『竜』の話がとても印象にのこった。・・なぜ、この題名が『手紙』かというと、賢治が誰かに宛てて書いた手紙ではなく、物語を思いついたら、やたらめったに友人や知らない家のポストに入れまくって配ったから、こんな題名が付いたらしい・・。もらった人はどう思ったろうか?案外迷惑な『手紙』だったのではなかろうか?「これ何?」と思ってすぐに捨てられた方もあったのであろう?・・が、それが賢治らしくて僕は好きだ。
 尚、この紙芝居は、原作の表現を少しわかりやすく変えて作りましたので、原文を読まれたい方は、文庫本を買って読んでください。
 それでは、はじまり、はじまり~
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 昔、あるところに、一疋(ぴき)の竜がいました。
 力が非常に強く、形も大層恐ろしげでありました。
 それに強い毒も持っていました。
 それで、あらゆる生き物がこの竜に遇えば、弱いものは気を失い、強いものでも死んでしまうことがありました。
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 が、ある日、この竜は良い心を起こしました。
「これからは、もう悪いことはしない!すべてのものを悩ませない!」と誓ったのです。
 そして、静かなところを求めて、林の中に入り『物事の正しい道筋』を考えていました。
 が、とうとう疲れて眠ってしまいました。(ねっ、寝んのかい⁉)
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 竜は眠っている間は、形が『へび』に変わります。(・・そんなん初めて知ったわ⁉・・余談だが、ブッタの弟子のカッサパ三兄弟の話に出てくる竜も、ブッタに諭されて蛇に姿が変わったと書かれてあったような・・、知らんけど)
 この竜も大きな蛇の形になりました。
 体は綺麗な瑠璃色や金色の紋があらわれていました。
 そこへ、猟師たちがやって来ました。
 そして、この蛇を見て、ビックリするほど喜んだのです。
(喜ぶ前に驚いて怖がれよ‥余談)
「こんな綺麗な珍しい皮は見たことがない。王様に献上すれば、さぞや喜ばれるであろう!」と。
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 そして、猟師たちは杖でへびの頭を押さえて、その皮を剥ぎ始めたのです。
 竜は気が付いて考えました。
「俺の力は、この国さえも壊せる。こんな猟師ぐらいなんでもない。
・・けれど、私は『もう悪いことはしない!』と誓った。
 この猟師を殺したところで可哀そうだ。
 もはや、この体は投げ捨てて、こらえてやろう。」と、竜はへびから元の姿に戻るのを、我慢しました。
 そして、すっかり覚悟が決まりましたので、目をつぶって痛いのをじっとこらえました。
 又、猟師たちに毒をかけないように、息をこらえて、悔しいという心さえ起こしませんでした。
 そして猟師たちは、皮を剥いだら行ってしまいました。
 そこで、ようやく蛇から、竜の姿に戻りました。 
 後編へつづく
 

紙芝居: 『インドのえらーいお坊様のお話~頼りになる者の巻』(後編)

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「あなた、この私には、まだ年頃の子供がおりまして・・、その子たちの将来のことも考えてやらねばねぇ・・。
 私が死んだら、どういうことになるか⁈・・心配で心配で・・。」と言って、薬を飲むのを断りました。
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 医者のふりをしている師匠は、次に彼の妻に声をかけました。
 そして、薬を手渡しました。
 妻は考えました。
 そして、やがて涙をためて言いました。
「主人は、今日までの寿命だったのですわ。・・私が死んだらこの赤ん坊はどうなりましょう⁈誰が育ててくれるでしょう?・・この薬を飲むわけにはいけませんわ。」と。
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 そうこうしているうちに、薬の効き目がなくなって、弟子は身体を自由に動かせるようになりました。
 彼はその時、誰一人、自分のものではない事を、はっきり悟りました。
 そして、ベッドから降りて、師匠と共に家を出て行きました。
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 師匠は弟子に話されました。
「これで分かっただろう・・。
 でもただ一人、自分のものと呼べるお方がいる。
 それが、神仏だよ」と。
 おしまい

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