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紙芝居:『悲劇のゼンメルワイス医師「それでも手を洗え!』(その5 最終回)

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 そしてゼンメルワイスは、44歳の頃から精神のバランスを崩して、躁鬱病を発症。
 やがて、おかしな行動を取るようになり、ついに彼は認知症を発症、精神病院に入院します。
 が、入院してから僅か2週間で院内で暴れ出し(脱走を試みたという説あり)、職員が彼を取り抑えようとして暴行。
 そしてその時の傷が元で、僅か47歳で亡くなりました。
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 イグナーツ・ゼンメルワイスは、[手洗い消毒法]を考え出した偉大な医学者でした。
 がしかし、医療者達がゼンメルワイスが言ったように、こまめに手を洗うようになったのは、彼の死後2年が経ってからでした。
 又、手洗い消毒法が、健康管理の一環となったのは、それから100年も待たねばなりませんでした。
 今では、『感染制御の父』又は『母親達の救い主』と呼ばれるゼンメルワイスですが、その生涯は短く悲劇的なものでした。
おしまい

紙芝居:『悲劇のゼンメルワイス医師「それでも手を洗え!」』(その4)

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ゼンメルワイスの独断専行の性格も悪くとられた事もあったでしょう。
 [消毒手洗い法]という大発見をしたにも関わらず、彼は大学病院の反逆者として、大学者のお偉い方から、大学病院を辞めさされる事になるのです。
 その後・・、
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 彼は故郷ハンガリーに帰り、街の病院や地元の大学などで働き、『手洗いの必要性』を書いた論文を発表します。
 がしかし、彼の説は医学界に広く受け入れられる事はありませんでした。 
 医学者達が、それを無視したからです。
 それはやはり医者が、今まで多くの患者を殺してしまった事を認める事にあったからです。
・・が、それに対してゼンメルワイスは猛反発して反論しました。
 その結果、彼は医師の資格をはく奪され、医学界から追放されます。
つづく 次回、最終話

紙芝居:『悲劇のゼンメルワイス医師「それでも手を洗え!」』(その3)

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ゼンメルワイスは考えました。
「これは空気中の悪い空気が原因ではない。
・・私は[第一産科]の医師達と、[第二産科]の助産婦達をじっくり観察した。
 そして、その決定的な違いを発見した!
 それは[第一産科]の医師達だけが、お産の前に死亡した患者の解剖研究をしていた事が関係する。
 死亡した患者の体を触る事によって、『死体粒子』とでも言おうか、細菌が医者達の手に付着し、その手で妊婦を診察した為、産道に悪い菌が付き病気を起こしたのだ。
・・助産婦はそれをしない。
 つまり原因は、我々医師に原因があったのだ!」と。
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 そして彼は思いました。
「・・ならば、この悪い菌を取り除くには、・・徹底的に手を洗えば良いのだ!」と。
 そこでゼンメルワイスは、上の先生の許可も得ず、産婦人科の部屋の前で、
『解剖室から出て来た医者は、入り口の前の洗面器で徹底的に手を洗う事!』
と書いた紙を貼り、病室の前で医師達を監視続けました。
 他の医師達は「何故、オレ達は手洗いなんてしなくちゃいけないのだ!」とブツブツ・・。
 しかしゼンメルワイスは「それでも手を洗え!」と、もの凄い形相と気迫で迫るものですから、皆はしぶしぶ従いました。
 その結果・・、
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 この塩化カルシウム液を使った手洗いの効果は絶大でした。
 第一産科の産褥熱発症率は激減。
 入院患者の死亡率は劇的に少なくなったのです。
 こうしてゼンメルワイスは、のち『母親達の救い主』と呼ばれる事になるのですが、それはずっと後の事で・・、
 「患者の死亡は、手洗いをしなかった医療者たちに原因があった」と言われた医師達は、皆ゼンメルワイスに敵意を向けたのです。 つづく

紙芝居:『悲劇のゼンメルワイス医師「それでも手を洗え!」』(その2)

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ゼンメルワイスは、赤ん坊を産んで亡くなってゆく母親達を見て、何とかこの『産褥熱』の原因を突き止めようと研究しました。
 しかし、なかなか原因は分かりません。
 他の医師達は「これは[瘴気]という空中に漂う悪い空気が原因ではないだろうか?」というのですが、ゼンメルワイスは納得がいきません。
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ある日ゼンメルワイスは、近代医学をマスターした医師達がお産の手伝いをする「第一産科」が、
助産婦達だけでお産の手伝いをする「第二産科」よりも、死亡率が高い事を発見します。
 彼は「なぜ、医学知識を豊富に持った医師達の「産科」の方が、お産後、母親達が大勢亡くなってしまうのか?」と、考え続けました。
そして、ある結論に達したのでした。
つづく

紙芝居:『悲劇のゼンメルワイス医師「それでも手を洗え!」』(その1)

新型コロナウイルス感染症を防ぐ為に大切な事。
マスクの着用、ソーシャルディスタンスの確保、そして、手指の消毒。・・そう、手洗い。
 これは、その手洗いの重要性を世界で初めて説いた医師の物語です。
はじまり、はじまり〜
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19世紀、ここはオーストリア・ウイーン総合病院。
「そうだ!手洗い、手洗いだ。感染症対策には『手を洗い消毒する事』が大事なのだ!」と一人の医師が叫んだ。
 彼の名は(瀬戸わんや)ではなくて、[ゼンメルワイス]!。
 まだ当時、手洗い『消毒法』というものが発見されていませんでした。これは一人の産科医師の悲劇的な一大発見のお話です。

(不謹慎な余談) ・・ピッピ、ピヨコちゃんじゃ、アヒルじゃガーガー・・。昔このギャグで一世風靡した「てんやわんや」の漫才が僕は大好きでした。この紙芝居の主人公と、故[わんや]師匠のあまりにもお顔が似ていたので、(そして、すぐ向きになる真っ直ぐな性格も似てましたので・・)ずっとピッピピヨコちゃんと呟きながら、この紙芝居を描きました。全く不謹慎です。すみません。反省
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1846年、ここはウイーン大学総合病院。
ハンガリー人、イグナーツ・ゼンメルワイスは一人前の(漫才師、いや間違えた)、医者になるべく、医学部に入学し、懸命に学問に励んでいました。  
 そして、やがて彼はこの大学病院の産婦人科の助手になり、勤務を始めたのでした。
 その頃、産科病棟では、『産褥熱(さんじょくねつ)』という、お産の際に[細菌]が入り込み、発熱を起こして死に至る病気が流行っていました。
つづく

紙芝居:「ハスラー博士の叫び『マスクを付けて命を守れ!』(その4 最終回)

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・・次の年、1919年の1月。
 サンフランシスコでは、新たに3000人の感染者、195人の死者が出ました。
 これに驚いた市議会は、今度は強行採決して『マスク着用条例』を再び出します。 
 ・・がしかし、この二回目の条例では、市民の9割がこれを無視。
 警察官も平気で違反したそうです。
 が、やがて、このスペイン風邪パンデミックは、生き残った者達が[抗体]を得て、集団免疫を作り自然と減少してゆきます。
 そして終息・・、この「マスク騒動」も収まりました。
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 100年前、ハスラー博士が命を狙われながらも、健康の大切さを考え、着用を訴え続けたこの[マスク]。
 我々は、今一度、感染者を半減させ、多くの命を守ったこのマスクの重要性を考えねばなりませんね。 おしまい 

(後書き)
さて、その後、ハスラー博士はどうなったのか?・・結論からいいますと、このスペイン風邪騒動が終った後も、博士はアメリカ公衆衛生協会会長を務め、62歳で、心臓病で亡くなっています。つまり、最後までご自分のお仕事を全うされているのです。・・今の時代から考えればお若い天寿ではありますが、それは幸せなご一生であったかもしません。テロに巻き込まれず、時限爆弾で亡くなられず本当に良かった。

紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その3)

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 スペイン風邪第二波の報告を受け、ハスラー博士は再び、
「もう一度、市民にマスクを義務付けましょう!感染拡大を防ぐ切り札は、やはりマスクなのです!」と強く提案しました。
 ・・がしかし、市議会は否決しました。
 その訳は・・、
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 市民の声でした。
 ただでさえ、不便で不快なマスク着用を、又強制される事を嫌った市民たちが強く反対したのです。
 「マスクがあるからタバコが吸い辛い。」とのお客の声や、店主の「タバコが売れない!」との声。そして、「マスクをした物品販売店主から買う気がしない」などの声が上がり、しまいには、
反マスク狂信者が『反マスク同盟』を結成したりしました。
 又、教育委員会に対して、マスク反対の親が子供達を学校に行かせなかったりする運動を起こしたりしました。
 そして、最後には、ハスラー博士の元に時限爆弾を送り付ける事件も起きたのです。
 これらの事によって、『マスク着用条例』は白紙になったのです。
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 その時、ハスラー博士はこう呟いたそうです。
「お金の問題が、健康の問題よりも優先されてしまった・・」と。
つづく

紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その2)

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 ハスラー博士は、新聞広告を使って市民に訴えかけました。
『マスクを付けて、自分の命を守りましょう!
ガーゼマスクは、インフルエンザの予防に99%有効です。
マスクはあなただけでなく、隣人やあなたの子供も守ります。』
と、『マスク着用条例』制定後に広告を出しました。
 この広告の宣伝効果もあって、マスクはサンフランシスコの街中であっという間に広がりました。
・・この時、サンフランシスコで新たな患者は、9000人。死者は、734人になっていたのです。
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 がしかし、当然、違反者もおりました。
 この違反者達はマスクを付けずに外出し、警官に見つかれば、最初は罰金で済みましたが、それでも従わなければ、刑務所に入れられました。
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1918年11月・・。
 第一次大戦も終わり、インフルエンザの流行もほとんど収束。
 サンフランシスコ市は、11月の終わりに『マスク着用条例』を解除します。
・・が、戦争が終わった安堵とクリスマスが近づいた喜びに浮かれた市民は、又、街中に繰り出して・・、スペイン風邪、第二波の流行が起こり出してしまいました。(いつの世も同じ・・) つづく

紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その1)

 世の中、マスク、マスク、マスク。ああっ、めんどくさい!・・でも、マスクは命を守る大切なアイテム。
 これは、マスクと一人の博士の成功と挫折のお話です。
 はじまり、はじまりー。
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 今から100年程前のお話。
 アメリカ人、ウイリアム・C・ハスラー博士は、医学者であり、サンフランシスコ市保健委員会委員長でした。
 彼は史上最悪のインフルエンザと呼ばれた[スペイン風邪]に対して、史上初となる『市民マスク着用条例』を発令。
 そして、違反する者は「逮捕します」と発表しました。
 そして、その患者数を半減させる事に成功しました。
 これは、スペイン風邪という感染病と戦った、ハスラー博士とマスクのお話しです。
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 1918年、春。第一次世界大戦の最中。
 ヨーロッパ戦線で、人類の新たな脅威、『スペイン風邪』という感染病が、蔓延しようとしていました。
 戦場では狭い塹壕の中、多くの兵士がひしめき合い、インフルエンザは一気に広がったのでした。
 さらに兵士の移動により、わずか四か月で世界中に拡散されていったのです。
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 ここ、アメリカのサンフランシスコでも、1918年の9月、最初のインフルエンザ患者が発生するや、感染拡大の兆しを見せていました。
 このサンフランシスコの危機に立ち向かったのが、予防医学と衛生学の専門家で、市の保健委員会会長を務めるウイリアム・C・ハスラー博士でした。
ハスラー博士は、ワクチン接種を進める一方、他にも対策として、娯楽施設の閉鎖など行いました。
 そして第三の策として、当時、一般市民に馴染みの無かった[マスク]の着用を訴えたのでした。 つづく

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その6 最終回)

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 メアリー・マローンは、再び隔離島[ノース・ブラザー島]に、拘束されることになった。
 この島でその後、彼女は亡くなるまでの23年間を過ごすことになる。
(※余談ながら、この島は東京ドームの約1.3倍の小さい小島でで現在は無人島になっている。この島からニューヨークの街並みがはっきり見える。‥メアリーは何を思いこの街を眺めたであろう⁉)
 最後の救いは、本来勤勉でまじめな彼女が、島の病院内で医療関係者から信頼を得て、給料をもらいながら生きがいを得て院内で働き過ごせることになったという事であろう。
 その後、メアリーは62歳で脳卒中を発症し倒れ、69歳でこの島の病院で肺炎の為に亡くなったそうである。
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『チフスのメアリー』という名は、その死後も「純粋な悪の化身」、又は「無垢の殺人者」と言う意味の言葉になって、今も独り歩きしている。
・・・これは100年前のお話。
 が、『チフスのメアリー』のような、無症状感染者になる可能性は誰にでもある。
‥メアリーは好んで病気になった訳ではない。
 がしかし、彼女は自分がチフス菌を持っていると分かった後も働き続け、多くの人を感染させて、結果的に苦しみをもたらせた。
 その行動は安易で、今日でも批判されている。
(きつい言い方になるが)自分の欲を優先し、周りの迷惑を省みなかった彼女の弱さは、今日の私たちも気を付けねばならないだろう‥。 おしまい

(あとがきにかえて)
 先日とある新聞で、メアリー・マローンは『毒婦』や『悪女』と今でも呼ばれているらしい‥と書かれていた。
 が、果たして、彼女は本当に悪女だったのだろうか⁈
 この紙芝居を描きながら、ずっとメアリーの気持ちを考えてきた。
 僕は『悪女』ではなく、一人の『弱女』のような気がしてならない。
 ‥確かに、フォークを持って衛生士や警官相手に立ち回りもする気の強さはあったであろう。
 しかし、追い込まれれば誰でも抵抗はするだろう。
 又、(うすうす自分では感づいたと思われるが)、チフスと自分とが何らか関係し、その発生場所からそっと姿を消し続けるという行動はまさに心の弱さを感じてしまう。

 そして、その彼女の弱さ、悲劇を助ける、つまりメアリーには夫(又は恋人)や仲間が居なかったのだろうか⁈ 又、裁判の時の弁護士はどうなったのか?と思って調べてみた。
 これは、どちらも居たらしい。が、それは夫ではなく恋人であったらしいが、どちらも(恋人も弁護士も)早死にしてしまったのだそうだ。何という悲劇!
 メアリーが再び、又[調理の仕事]に戻ったのは、その仲間の死の寂しさが原因ではなかったのだろうか?
 ・・答えは見つからないが、彼女が(料理のたぐいまれな才能を持ちながら)辛い人生を送らざるを得なかったことを考えると、悪女にはとても思えず、どこにでもいる一人の女性の悲劇と思うのだ。

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