住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「ハスラー博士の叫び『マスクを付けて命を守れ!』(その4 最終回)

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・・次の年、1919年の1月。
 サンフランシスコでは、新たに3000人の感染者、195人の死者が出ました。
 これに驚いた市議会は、今度は強行採決して『マスク着用条例』を再び出します。 
 ・・がしかし、この二回目の条例では、市民の9割がこれを無視。
 警察官も平気で違反したそうです。
 が、やがて、このスペイン風邪パンデミックは、生き残った者達が[抗体]を得て、集団免疫を作り自然と減少してゆきます。
 そして終息・・、この「マスク騒動」も収まりました。
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 100年前、ハスラー博士が命を狙われながらも、健康の大切さを考え、着用を訴え続けたこの[マスク]。
 我々は、今一度、感染者を半減させ、多くの命を守ったこのマスクの重要性を考えねばなりませんね。 おしまい 

(後書き)
さて、その後、ハスラー博士はどうなったのか?・・結論からいいますと、このスペイン風邪騒動が終った後も、博士はアメリカ公衆衛生協会会長を務め、62歳で、心臓病で亡くなっています。つまり、最後までご自分のお仕事を全うされているのです。・・今の時代から考えればお若い天寿ではありますが、それは幸せなご一生であったかもしません。テロに巻き込まれず、時限爆弾で亡くなられず本当に良かった。

紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その3)

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 スペイン風邪第二波の報告を受け、ハスラー博士は再び、
「もう一度、市民にマスクを義務付けましょう!感染拡大を防ぐ切り札は、やはりマスクなのです!」と強く提案しました。
 ・・がしかし、市議会は否決しました。
 その訳は・・、
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 市民の声でした。
 ただでさえ、不便で不快なマスク着用を、又強制される事を嫌った市民たちが強く反対したのです。
 「マスクがあるからタバコが吸い辛い。」とのお客の声や、店主の「タバコが売れない!」との声。そして、「マスクをした物品販売店主から買う気がしない」などの声が上がり、しまいには、
反マスク狂信者が『反マスク同盟』を結成したりしました。
 又、教育委員会に対して、マスク反対の親が子供達を学校に行かせなかったりする運動を起こしたりしました。
 そして、最後には、ハスラー博士の元に時限爆弾を送り付ける事件も起きたのです。
 これらの事によって、『マスク着用条例』は白紙になったのです。
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 その時、ハスラー博士はこう呟いたそうです。
「お金の問題が、健康の問題よりも優先されてしまった・・」と。
つづく

紙芝居:『ハスラー博士の叫び「マスクを付けて命を守れ!」』(その2)

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 ハスラー博士は、新聞広告を使って市民に訴えかけました。
『マスクを付けて、自分の命を守りましょう!
ガーゼマスクは、インフルエンザの予防に99%有効です。
マスクはあなただけでなく、隣人やあなたの子供も守ります。』
と、『マスク着用条例』制定後に広告を出しました。
 この広告の宣伝効果もあって、マスクはサンフランシスコの街中であっという間に広がりました。
・・この時、サンフランシスコで新たな患者は、9000人。死者は、734人になっていたのです。
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 がしかし、当然、違反者もおりました。
 この違反者達はマスクを付けずに外出し、警官に見つかれば、最初は罰金で済みましたが、それでも従わなければ、刑務所に入れられました。
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1918年11月・・。
 第一次大戦も終わり、インフルエンザの流行もほとんど収束。
 サンフランシスコ市は、11月の終わりに『マスク着用条例』を解除します。
・・が、戦争が終わった安堵とクリスマスが近づいた喜びに浮かれた市民は、又、街中に繰り出して・・、スペイン風邪、第二波の流行が起こり出してしまいました。(いつの世も同じ・・) つづく

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