住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その5)

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隔離されて三年近く過ぎた。
 裁判にも負けたメアリーだったが、[衛生局]の中にも彼女に同情する声があり、
『今後、一切[料理]の仕事をしない。そして居住地をいつも明らかにしておく。』という、二つを守れば解放しても良い、という[誓約書]が出された。
 メアリーは、その誓約書にサインをした。
 そして彼女は、三年ぶりにニューヨークの街に帰ることが出来たのだった。
 ・・それから、五年が経った。
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 ある日、ニューヨークのとある産婦人科病院で、腸チフスの集団発生が起きた。
 医師・看護師など、医療スタッフ25名が感染し、内2名が亡くなった。
 事態を重く見た[衛生局]は、調査に乗り出した。
 「チフスは出来るだけ早く、感染源を突き止める事が大切です。‥新しく入ったという料理人はいませんか⁈」と、以前、メアリーを捕えた女性の衛生士が、病院の調理室に入ってみると・・・、
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 なんとそこには、名前を変えて、調理しているメアリーがいたのだった。 
 「メアリー!あなただったの⁉でもなぜ、誓約書までサインしたのに‥⁉」
 「あー、見つかってしまった。
 ・・私も最初は、洗濯ばかりの仕事をしたの。でも、生活が苦しくて、苦しくて・・。私には料理しかなかったのよ・・。」
 そして、その場で彼女は拘束され、再び、隔離病棟の島に送られることになったのである。つづく
 
 

紙芝居:『無症状感染者 チフスのメアリー』(その4)

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そして[衛生局]は、強制的にメアリーの排出物を検査した。
 すると、便からかなり濃度の高い『チフス菌』が検出されたのだった。
 そこでメアリーは、ニューヨークに近い川の中ほどにある小さな無人島(ノース・ブラザー島)に作られた[リバーサイド病院]に隔離された。
 そこで彼女は、不本意ながら3年近く、隔離生活をして過ごすことなるのだった。
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 その隔離生活の中、彼女は[衛生局]を相手に「不当な扱いを受けている!」と、起訴裁判を起こした。
 ・・が、結果的にこの裁判には負けてしまう。
 さらに、新聞記者などのインタビューにも応えたりする。
 がしかし、1909年、『ニューヨーク・アメリカン』紙は、このメアリー事件をセンセーショナルに報道する。
 そこには、「アメリカで最も罪が無いとはいえ、最も危険な女」と書かれ、料理に骸骨を入れて平然と料理をしているメアリーの姿が描かれていたのだった。
 『チフスのメアリー』はアメリカ大衆に、この記事によって強烈なイメージを与えたのである。 つづく
 

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