昭和三年、武子様は突如、敗血症で倒られます。
おそらく、[震災復興活動事業]のご心労から、引き起こされたのではないかと言われています。
そして武子様は、昭和三年二月七日、42歳の若さでお浄土に還られました。
武子様が夢見た、総合診療所『あそか病院』の開設は、それから二年後のことでした。
武子様が初めて『巡教』に出られたのは、18歳の時。
それから42歳でお浄土に還られるまでの、24年間・・。
武子様は本願寺教団にとって、多大なる功績を残されました。
仏教婦人会の近代的組織の促進。
又、宗門女子教育機関の創設にご尽力。
さらに、慈善事業に多大なる心血を注がれたのでした。
武子様は、臨終の枕元で、皆に「また、来ます」と言われ、お浄土に還られたそうです。
浄土真宗の『還相回向(げんそうえこう)』という言葉には、お浄土に生まれた者は、再び、この世に還って来て、悩める衆生を済度する。という教えがあります。
武子様は、再び現世に還って来ることを、最後に約束されたのでしょう。
ご遺骨は、東京の『和田堀廟所』と、京都の『大谷本廟』に分骨され、納められています。 おしまい
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紙芝居:『九條武子(くじょう・たけこ)さま』(その7最終回)
紙芝居:『九條武子(くじょう・たけこ)さま』(その6)
阿弥陀如来さまに、命の尊さを味わせて頂いた武子さまは、自らも被災者でありながら、震災被災者の救済活動に打ち込んでゆかれます。
武子さまと志を同じくする門徒たちは『築地本願寺跡』に、まず[テント救護所]を作りました。
そして、はがきの代筆活動。(この頃は文字を書けない人が、一杯居られましたので)
又、薬品や食料、そして衣服の供給、または遺骨の預かり活動なども実施されたのです。
さらに、震災孤児のために[児童救護運動]を実施されます。
それは、全国からの寄付金を使っての[子供学校]や[幼稚園]の開設であったり・・、
震災孤児になった少女や若い女性たちの為の施設開設であったりしました。
足りない資金は本願寺教団を頼らず、武子様の著書の印税を、すべて使って補てんされたそうです。
大正時代に、武子様のような救援活動をされた方は、ほとんどいませんでした。
・・それは、誠に尊い活動だったのです。
が、無理が続いたせいでしょうか? つづく