住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「戦争は集団殺人だ!」(その3)

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昭和4年。
徹誠さんは、34才で得度して、僧侶になりました。
そして翌年、空き寺に入り、住職になりました。
この頃、徹誠さんは身を持って、根強く存在する部落差別の現状を、目の当たりにするのでした。
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そして、自ら差別の激しかった地域のお寺移り、差別撤廃運動の指導者になったのでした。
こちらのお寺に移った時、徹誠さんは檀家の人達に、こう言っています。
「私の仕事は、死んだ人を供養するだけではなく、生きている人々の良き相談者になることです。」と。
そして、不平等と戦いました。
おそらく、[仏の下では、すべての生命は平等である]という、仏教思想が、彼を動かしたのでしょう。つづく

紙芝居:「戦争は集団殺人だ!」(その2)

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 植木徹誠(うえき・てつじょう)師。
 本名、植木徹之助さんは、明治28年、三重県の回船材木商の次男に生まれました。
 彼は学校を卒業してから、親戚である『ミキモト真珠店』東京工場に就職します。
 そこで働きながら、キリスト教や労働運動、そして社会主義などから様々な影響を受け成長していきます。
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大正12年、その東京で、彼は関東大震災に遭遇します。
その結果、工場は閉鎖。
彼は解雇されます。
それで、妻の実家であった三重県の浄土真宗のお寺に避難します。
そこで、次第に仏門に帰依する心になっていったのです。
つづく

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