住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「戦争は罪悪である」(その6:最終回)

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 釈放されてから、彰元師はご自分のお寺の離れで、ひっそりと晩年を過ごされます。
 昭和20年八月十五日、敗戦。
 『・・この戦争は聖戦ではなかった。』と、手のひらを返したようにマスコミが訴えはじめたこの年の夏の終わり頃、ご高齢でずっと寝たままの彰元師に、ご家族は次のようにお話をされたそうです。
「おじいちゃんの言うた通りやったね。・・今に表彰されるかもしれんね。それまで頑張らんといかんよ。」と言うと、
彰元師は「うふふふ、そうかい。」と答えられたそうです。
 その昭和20年10月21日、彰元師は77歳で往生されました。
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 ただ、「今に表彰されるかもしれんね。」と言われた、宗門からのお言葉は無く、宗派が『竹中彰元』師の処分を取り消し、謝罪を表明するまで、2007年まで(約50年間)待たねばなりませんでした。(完全に忘れられ取ったんやろなぁ。・・ああ、可哀想)
 現在、明泉寺山門前には、彰元師の言葉『戦争は罪悪である』と刻んだ石碑が建立され、非戦を訴えかけています。
おわり
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(明泉寺本堂)
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(明泉寺山門前の石碑)
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(竹中彰元師の墓)

紙芝居:「戦争は罪悪である」(その5)

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 昭和12年10月31日、竹中彰元師は、『陸軍刑法「造言飛語罪(ぞうげんひござい)」』で、警察に逮捕されました。
 そして、禁固四カ月の実刑を受けます。(が、控訴した為、最終的に禁固二か月20日間、執行猶予三年の刑となりました)
 さらに、この判決を受けて、宗派は[布教使資格]を取り上げ、僧侶の位を最下位に落としました。(身内からのこの罰則は、最も辛かったかもしれません)
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(家族も何かと辛かったでしょう・・)
 拘留中、彰元師は家族から『反戦発言』を取り下げるように頼まれます。
 が、彰元師は「わしは自分の得手勝手を言うとるんじゃない。仏法を語ったんじゃ。間違ったことは言うとらん!」と、言い切ったそうです。
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(お寺の前の[竹中半兵衛の居城跡])
 余談ですが、頑固で一徹なところは、彰元師のご先祖の豊臣秀吉の軍師『竹中半兵衛』に似てるかもしれませんね・・。
 つづく

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