蓮如さまを慕い、お念仏を歓び、お念仏に生きた妙好人『赤尾の道宗』。
永正13年(1516)、七十才前後?に往生されたのではないかと伝わっています。
現在、そのお墓は、富山県南砺市西赤尾の[行徳寺]さま境内にあります。 おしまい
(道宗の墓)
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紙芝居:「妙好人 赤尾の道宗」(その10 最終回)
紙芝居:「妙好人 赤尾の道宗」(その9)
道宗さんが生涯慕い続けた[蓮如上人]は、明応八年(1499)、85歳で往生されます。
その二年後、道宗は、蓮如さまとの思い出を胸に、『二十一箇條の心得』を書かれます。
それは道宗にとって、自分自身への信心の問い掛けであったものでした。
長いモノですので、・・少しだけ読んでみましょう。(全文、興味のある方はアマゾンなどで探してみてください。まるで、聖書みたいな文章(道宗と阿弥陀さんとの心の会話)も出てきます。道宗の仏への魂の叫びみたいで凄いっすよ。)
第一条「御生の一大事、命のあらんかぎり、油断あるまじき事。」(意味:命が終わったらどうなるのであろう⁉それを今、しっかりと聴聞しなくてはいけない。油断して聞いていてはいけない!)
第二条「仏法より他に、心に深く入ること候わば、浅ましく存じ候いて、すなわち、ひるがえすべき事。」(意味:仏法より他に、心に誘惑が入るなら、それは浅ましい事だと思って、すぐ反省し、心を入れ替えるべし!) エトセトラ、エトセトラ‥このような事が書いてあります。 つづく(次回、最終回)
紙芝居:「妙好人 赤尾の道宗」(その8)
このような道宗さんでしたので、その噂を聞いた隣村のお坊さんが、『一度ためしてやろう!』とやって来ました。
そして、草抜きをしていた道宗の後ろから、いきなり蹴り飛ばしたのです。(無茶しょるなぁ・・)
前につんのめった道宗でしたが、何食わぬ顔で、又草抜きを始めました。
それを見たお坊さんは、もう一度蹴り倒しました。
しかし前と同じように、草抜きを又始めるのです。
お坊さんは、「お前さん、なぜ蹴られても怒らんのか⁉」と問うと、道宗は振り向いて言いました。
「お念仏の教えを頂くと、自分が蛇やサソリのような心で、人様と接していると思い知らされます。・・お宅様にも、どこかで知らず知らず、御迷惑をお掛けしたのございましょう。・・だから、私はこのような目に遭うのでしょう。・・お恥ずかしい事でこざいます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。・・どうかお許しください。」と手を合わせました。
それを聞いて、このお坊さんは心の底から反省したという事です。 つづく
(行徳寺内の『赤尾の道宗記念館』)
(棟方の書『南無阿弥陀仏』も飾られている)
(日本を代表する版画家『棟方志功』が残した道宗の版画:戦時中、棟方はこちらのお寺に疎開し、道宗を知り熱烈なファンになったという)