住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「黎明(れいめい)のくろまろ」(その3)

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 やがていつしか、くろまろ達が、大陸に渡ってから[32年]が経とうとしていました。
 くろまろも、今や50才代。
 髭も髪も、白いものが増えておりました。
(余談だが、この留学年数の長さ、異常だと思いませんか?・・「あの~僕を忘れてませんか?・・いつまで、こっちにおらなあかんのですか?・・僕の青春を返せ!ぐれてやる、このまま蒸発してやる」と思わんかったんかなぁ?・・覚悟の上の留学やったと思うけど辛かったやろなぁ・・。)
 西暦540年 ついに、くろまろに帰国命令が来ました。
 「よーし、ついに来た!ついに来たまろ!ヤマトの国をより良い国にするまろぞ!」と、くろまろは夢を胸に、帰国船に乗り込みました。
・・しかし、その頃、ヤマトの国は大変な事になっていたのです。
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 日本では、くろまろ達を留学生に推薦した[聖徳太子]はすでに亡く・・、
 家臣であった[蘇我入鹿(そがのいるか)]という豪族が、ヤマトの国を、我が物顔で支配していたのです。
 その[蘇我入鹿]は、聖徳太子の一族を攻め滅ぼして、自分が権力のトップに立とうとしていました。
 日本に帰って来たくろまろは、これを見ても、どうする事もできませんでした。
 この[蘇我氏]に対して、反旗を挙げたのが[中大兄皇子(なかのおおえのみこ)=のちの天智天皇]と、家臣の[中臣鎌足(なかとみのかまたり)]でした。
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 「蘇我入鹿っ、覚悟せよ!」と、中大兄皇子は、剣を振り下ろしました。 つづくまろ
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(古代酒『玄理(くろまろ)』(ちょびちょび飲みながら、この紙芝居を描きました)と、くろまろくん人形(「僕くろまろ、とっても気が長いんだまろ。32年間の海外暮らし、まるで帰国後は浦島太郎だまろっ」と、対話して遊びながらこの紙芝居を描きました」)

紙芝居:「黎明(れいめい)のくろまろ」(その2)

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「うひゃ~、これが世界でも有数の大都市[隋]国か!僕等はここで、みっちり勉強するまろ。」と、くろまろ達一行は、隋国の門をくぐりました。
・・が、しかし、人は多い町でしたが、活気がありません。
 というのも、この国の皇帝は、わがままで残酷。人民の幸せを考えず、大土木工事やら戦争のやりたい放題し放題。
 民は泣いていたのです。
 そしてついに、堪忍袋の緒が切れて・・、
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 家臣(けらい)中から、反乱が起こりました。
 そして、あっという間に、『隋』国は滅亡し、『唐(とう)』という国が誕生したのです。
 建国に喜び民衆は唄いました。『隋、ずい~、ずっころばし~、唐が来てちょん。皇帝追われて、とっぴんしゃん。負けたーら、唐とこしょ~』と。(・・嘘です。又、しょうもない事、書いてもうたぁ[反省!])
 (話を戻して、)それは、くろまろ達がこちらに来て、10年近く経った時の大事変でした。
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 隋の国は滅びました。
 しかし、くろまろ達は日本へ帰国しませんでした。
 それは、この超大国の滅亡の原因と、新しい国の成り立ちの過程を、しっかり見ておけるチャンスだと思ったからです。
 くろまろは、新しい国の制度をしっかり学びました。
「うーん、何々・・。唐という国の仕組みは、『律令(りつりょう)制度』が基本になっているのかぁ。
『律』とは、人がしてはいけない事。
『令』とは、人が守らなくてはならない事。
 この制度が大事なんだ!
 これを、ちゃんと整備する為に、[役所]という所が必要なのだ。これを整備しないと、国は滅びてしまう。
 うーん、僕、いや私は、この制度を細かく勉強して、ヤマトの国に持って帰るぞ!」と、固く誓うのでした。 つづくマロ。
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(河内長野市立『くろまろ館』内、ゆるキャラ[くろまろくん])
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(河内長野市:高向(たこう)神社=高向氏一族の祖神を祀ったといわれている)

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