住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「安居院 聖覚法印さま」(その5)

ここで、ちょっと余談ながら、『聖覚(せいかく)』という人について、僕の想いを書く。
 この親鸞聖人外伝(スピンオフ)的な、お坊さんのお話を描くに当たって迷いがあった。
 この『聖覚』というお坊さんは、平安時代末期においては、その当時の大有名人なのである。(鎌倉時代に編纂された『沙石集』という本に、聖覚法印は、よく有名人として登場されるのだ。)
 その点、『親鸞聖人』は、当時の(聖覚さんに比べたら)、大御所の先生(=聖覚法印)と、青二才の書生(=親鸞聖人)みたいな差がある。
 が、今は逆である。
 『親鸞』という名前は中学生でも知っているが、『聖覚』という名は、この道の専門家でもあまり知られていない。
 なぜ、そうなったのか?・・わからない。
 そこからは、想像でしかないのだが、二人の生まれの違いによる性格の違いからなのかも?と、僕は勝手に想像する。(ええトコのボン二世と、無名のガッツな成り上がり青年。)
 ガッツな親鸞聖人はあくまでも、浄土系の信仰一本を通された。
 が、聖覚法印は、浄土宗の中で活躍しながら、生まれながらの宗派「天台宗」は、(どっちつかずで)死ぬまで止めなかった。のち、天台宗と浄土宗は激しい論争をおこし争うことになるが、この時、聖覚法印はどっちについたのか?ひょっとして、この時の争いが、聖覚法印を歴史の闇へと落とし入れたのかもしれない。・・まったく想像なのだが。(僕は『鳥と動物の戦争』の物語の中のコウモリをなぜか思いだしてしまった)

 ・・だが、おそらく人柄の良い、世話焼きなボンボン聖人『聖覚』法印が居なかったら、『親鸞』聖人は存在しなかった。・・これは確かなことだろう。(このエピソードは次回述べる)
 はたして、歴史上『聖覚』法印は、高僧であったのか?・・はたまた?最後は自分を守る事だけによって生涯を終えた、浄土宗と師を裏切った男だったのだろうか?
 ドラマチックすぎて・・こんな事を想像しながら、書き始めたのだが、出来た紙芝居を見てみれば、そんな深いところまで描けていない。
 それは、書いてるうちに『聖覚』法印に情が移ってしまい、ブラックなところは描けなかったらからなのだ。
 迷いながらも、聖覚法印の好きな部分だけを取り上げ、僕の拙い紙芝居は完成した。
 ・・はたして、此れで良かったかと、書き終えた今も迷っている。
 本当に、今回はまとまりのない(その5)になってしまった。次回は続きを描きます。すんません。
 つづく

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