住職のつぼやき[管理用]

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紙芝居:「妙好人 大和の清九郎(後編)」その1

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 清九郎の妻『まん』が、極楽浄土へ還られて、二年が経ちました。
 ここは、清九郎の家の近くのお寺『光連寺』です。
 妻が亡くなった後、子供をおんぶした清九郎の姿が、よく見かけられるようになりました。
 清九郎は、誰よりも真剣に仏様のお話を聞くようになっていました。
ファイル 1361-5.jpg[光蓮寺]
 ご住職は言われます。
「阿弥陀様という仏様は、怒り・悲しみ・悶え苦しむ人が目当てなのじゃ・・。泣く人が居れば、一緒に泣いて、救ってくださる・・そんな仏様なのじゃ。」と。
 それを聞いて、
「おぉー、そうじゃったのか。阿弥陀様の目当ては、この極悪の清九郎が目当てであった。それを教えてくれた妻『まん』よ、母親よ、有難う!・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」と清九郎は合掌しました。
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 それからというもの、生まれ変わったように清九郎は、働き始めました。
『母を泣かせた。妻を苦しめた。世間様に迷惑を掛けた。・・何という、わしはつまらん人間だったんじゃ。』と、反省の気持ちが強い孝行心になり、世間に対しては、一挙一動、報恩感謝の気持ちをおこしたのでした。
 そんな清九郎の頭の上を、いつも[ウグイス]が『ホ~ッ、ホケキョウ。(法を、聞けよう)、(仏法を聞けよう)』と鳴いたのでした。
 「阿弥陀さま、こんなワシをも見捨てずに、じっと見守っていて下さったのですね。これからは、仏法を聞いてまじめに生きて行きます。有難うございます。」と、清九郎は空に向ってつぶやきました。
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 清九郎は生まれ変わりました。
 久しく見なかった母親の笑顔。
 無心に笑う娘の笑顔。
 清九郎の口から、お念仏がこぼれました。
 又ある時、子供を近所に預けて、老いた母親をおんぶして、京都の本願寺へお参りをしたこともあったそうです。

 ・・余談になるが、僕は以前、テレビ番組で元ボクサー俳優『赤井英和』さんが、母親をおんぶして、町を回って食べ物をご馳走するという放送を見た。
 「これって、現代の清九郎さん、やんか。」と、僕は思わずつぶやいた。
・・それで、この紙芝居の清九郎さんの似顔絵モデルは、赤井英和さんなのです。・・この人も若い頃は、やんちゃやったそうらしい・・ですね。
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 やがて、そんな母親も亡くなりました。
 清九郎は、母の恩を決して忘れまいと、母親の寝ていた時に使っていた『枕』を、天井からつるして、朝夕、お念仏をと称えたそうです。 つづく

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